2024/10/08

テリサイ
全年齢

秋の新刊「月と狼」より「一、」



盗みの依頼を引き受けるようになって久しい。
それはレイヴァースの一件と、七人の仲間たちの影響が大きく、片割れとの決別を経た今は盗賊テリオンの新しい日常として受け入れられつつある。

生きるための盗みだった。それが、誰かと共に在るための技術となり、誰かを助け、関わるための手段に成り代わった。
盗みは褒められたことではないが、それでも、この形でも誰かと生きられる確証が得られたという事実は──仲間の言葉を借りるなら、聖火の加護とやらがあったのかもしれない。
必要以上の金を渡されることも増え、今は日銭を稼ぐというより依頼主の憂いを晴らし、テリオン自身も腕を試すために盗みをしている。
「手紙を預かっています」
アトラスダム学院から手紙だと渡されたときも、そのうちの一つだと思った。ヴォルド王国王都から手紙とくれば、差出人は一人しか思い浮かばない。そこまで名が売れたとは思わないからだ。
(テリオンへ、……)
──仕事を手伝ってくれないか。時期はビフェルガンか、エベルの月が良い。
手紙には、要件のみ記されていた。
顔が思い浮かぶほどにその印象は強く、彼が読み上げているのではと感じるくらいに、その声は記憶に新しい。
しかし実際のところ最後に顔を合わせたのはフィニスの門を閉じたあのときだ。
あれから、三ヶ月は経過していた。
「エベルの月は祭りが多く、学院も賑やかになる……。はっ、余程仕事がないと思われているらしい」
「そうなのですか?」
コーデリアは首を傾げた。テリオンが返した手紙は、ヒースコートが代わりに受け取る。
「……私達にはなんとも都合の良いことです」
開いたまま突き返したのだから、彼が目を通しても何も思わなかった。目を眇めて続きを促せば、老執事の嘆息が返る。
「お願いしたいことがございます。アトラスダムの図書館でこちらを調べていただきたい」
手紙に重ねるように差し出されたメモには、いくつかの文献らしいタイトルが記されていた。話の流れから学者を頼れと言われたような気がしたので、わかった、と懐にしまう。
「テリオンさん」
上衣を翻すとコーデリアに呼び止められた。半歩を引く。
「友人から聞きました。ヴォルド王国の秋祭りは大規模なもので、グランポートの大競売のように多くの人やものが集まるのだと」
「……土産でも持って帰れと言うつもりか?」
「いいえ、楽しんできてください。そしてまた、旅の話を聞かせてください」
彼女にも立場があり、ボルダーフォールの祭りにこそ参加するが、国を出ての移動となると面倒が付きまとう。
両親を事故で亡くしていることからも、彼女が表立って出かけられるのは、それこそ政に関わるときだけ。
微笑みに巧みに隠された期待を汲み取り、テリオンはため息をついた。
「学者と盗賊だ。あんたの期待するような話ができるとは思えない」
「テリオンさんの旅の話は、聞いていて楽しいですよ」
「やれやれ……。行ってくる」
「ええ。いってらっしゃいませ」
この依頼を果たして戻ったとき、彼女に聞かせてやれる話があればいいが──そんなふうに思うようになった自分をどこか笑いながら、背を向ける。
そうしてテリオンはボルダーフォールを旅立った。



聞けば八つは年も離れているという学者の存在を許容したのは、彼の旅についていき、その人となりを知ったからだ。
胡散臭いやつだと鼻白み、話の長い面倒なやつだと見ていれば、存外、周囲を気にしていると分かった。彼の生来の鈍感さがあらゆる問題を引き起こしていると知るや、他の仲間達のように見て見ぬふりをしにくくなった。面倒だ、厄介だという気持ちと、放っておくとそれこそ面倒なことになるという気持ちとが毎度せめぎ合い、結局は手を貸すまでがお決まり動作になっていた。
盗みの下調べは、他人の口から語られる話を信用してこそ始まる。学者の語る知識は真偽を判じにくいことが多く、それ故に警戒していたが、学者の性格が明らかになるにつれて、彼の持つ知識への信用が増し、傾聴した方がいいらしいと一旦は聞くことを覚えた。
少なくとも彼は、自己のために他人を騙すことはしない。
持ちうる知識の共有を厭わない。
嘘偽りのないところが己の性格に馴染み、いつの間にか自分の行動までもが変わった。
幼い頃、たとえばダリウスと出会った頃に彼と出会っていたら。きっと抱えた傷はそう深くなることもなく、もしかするとそれこそ、彼の言う通り学者なんてものになっていたかもしれない。盗賊を辞める気などないのに、そんなふうに空想したこともあった。
向いてないといいながら、取り上げられた一つ一つの共通点を大事にしてしまう。そのくらいには親しんだ。
学者は他人から向けられる感情に疎く、その『他人』にはテリオンも含まれたので、この関係は『仲間』と呼べた。学者に対する信頼も親しみも、こちらの一方的なものだと理解していたから、学者と別れる道を選んでも悔いはなかった。
どのみち、学者はアトラスダムに帰ると決まっていた。
生まれ故郷だというし、生徒のため、後世に辺獄の書を読む者のためを考えるとそれが最善なのだと聞かされた。
落ち葉が川を流れて滝壺に集まるように、旅をする時が偶然重なっただけ。そこから沈む葉もあれば、流れていく葉もある。
彼とはもうそれきりなのだと思っていた。
まさか、手紙が来るとは。
野営の度、眠りに落ちる少しの間、学者から──サイラスから届いた手紙を焚き火の明かりに透かし、変わり映えのない文字を眺めては懐に戻した。

ボルダーフォールから移動するとなると、シ・ワルキやフレイムグレースで足を休めることになる。
顔を見せると彼女達は各々歓迎してくれた。サイラスに会いに行くと知るや、これをお土産に、と酒や菓子をテリオンに持たせた。
彼女達も拠点に戻った側なので、あれ以来、学者に会っていないらしい。
肩に積もった雪を払いながらフラットランドの平原を往く。
小麦の実りが眩しく、あちこちで農家が精を出していた。

ボルダーフォールを発って二・三週間は経過した頃。
ようやく、テリオンはアトラスダムに到着した。
さて、学者はどこにいるだろうか。学院、図書館、酒場の三択とくれば、迷いなく酒場を選びたいところだが、生憎とまだ日は出ている(闇曜日であれば可能性はあっただろう)。
レイヴァースの依頼もある。無難に図書館を目指した。
王城へ向かう大きな通りを進めば、学院と図書館が見えてくる。
記憶を辿るに、サイラスが仲間達をこの町へ連れてきたことはほとんどない。それこそ、ダスクバロウから戻った時ぐらいで、彼が故郷を直接案内したことはなかった。
トレサ、アーフェン、オフィーリア、ハンイット、プリムロゼ──そしてサイラスは故郷がある。オルベリクはコブルストン、テリオンは──一応ボルダーフォールと、各々拠点がないわけでもなく、旅をしている間はそれなりに手を貸すことも多かったわけだが、どうにも、ここにはそういった思い出が薄い。
それでも道を覚えているのは、サイラスがよく語っていたからで……テリオンはゆるく頭を振って、もう一度ため息をついた。
衛兵の視線を頬に受けながら、図書館の扉を押し開く。
こもった、カビ臭い、独特な匂いが鼻をつく。空気が停滞している空間の、この重苦しい雰囲気は忍び込んだ屋敷のそれと似ている。
利用者は思い思いに過ごし、テリオンが近くを通ろうと気にしない。彼はどこだろうか。
本棚と本棚の間に視線を走らせながら奥まで進み、角の方に見覚えのある後ろ姿を見つけた。
採光のための小さな窓から光が降り注いでいた。学者は細い指先で分厚い書物を引っ張り出すと、腕に抱えるようにして開き、考え込むように顎に手を添える。
サイラスといえば、トレサに次いで好奇心のままに先へと進む、ハンイット曰く魔物の幼体のような予測不可能な行動が思い浮かぶのだが、室内でじっと考え込む姿の方がずっと彼らしく、様になっていた。
やがて学者は本を元の位置へ戻し、段差を降りる。
すっとその顔が真っ直ぐにこちらを向いて──ぱちりと音がしそうなほどはっきりと、瞬きをした。
通り過ぎる利用者を避けてこちらへ歩いてくる。
「まさかここでキミと出会うとは」
「……久しぶりに会った仲間に掛ける言葉がそれか?」
腕を組んでみせると、彼は、ふ、と小さく吹き出すように笑った。
「驚いたんだ。久しぶりだね。ここへは何か用事で?」
「あんたを探すならここだろうと思っただけだ」
「その推測は正しい。こうして会えたのだから」
肩を竦めて、サイラスはテリオンを近くの長卓へ促す。
積み上げられた書物の間に何食わぬ顔で腰を下ろし、サイラスはテリオンを見上げた。
「来てくれて嬉しいよ。ただ、この通り取り込み中なんだ。今夜は空いてるかい? ……よし、では一時間後に広場前の酒場で落ち合おう」
じゃあまた、と言って手元に集中する。
歓迎されたいわけではないが、まるで昨日別れたかのように応対する学者の姿に肩透かしを食らう。
妙に煮えきらない思いで図書館を後にした。