2024/10/09

テリサイ
全年齢

秋の新刊「月と狼」より「二、」



サイラスは謂れなき理由で学院を追放され、オルステラ中を旅したことがある。
それは図書館から消えたとある一冊の本を辿るという、自分なりの目的を設定しての旅ではあったが、幸運にも仲間に恵まれ、無事五体満足で故郷へ戻ることとなった。
知識の独占を願う学長の考えには馴染めず、別の場所あるいは旅の学者として啓蒙する道も実際に考えたはずなのだが、熱心な生徒に命を助けられたこともあり、後継となる彼らに必要とされるのならば、彼らの道をもう少しだけ照らす役目を果たそうと考えたのだった。
仲間達との別れは寂しさを伴うし、名残惜しさもあったが、彼等の強さはサイラスも知るところであったので、生きていればまた会える、手紙でも送ればいいと考え、前を向くことにした。
仲間達も時折集まっては語らい、再び別れることを繰り返しているようだった。
ある日のこと、サイラスはアーフェンとトレサ、ハンイットと再会した。
「久しいな、サイラス」
「ガウ」
ユキヒョウを連れた狩人が現れた時は、図書館の中が一時騒然となった。
ちょうどメアリー王女がテレーズと共にサイラスを探しにきたこともあり、興味津々にリンデに近付こうとする彼女をどうにか宥め、紹介だけを済ませる。講義を理由に三人とは夜、酒場で待ち合わせとなった。
「先生、こっちよ」
賑やかな室内ながら、前途有望な若者の声はよく響いた。
「トレサくん。久しぶりだね」
「ええ! 先生も元気そう」
「よーう先生! 飲もうぜ」
トレサはウッドランドへ、アーフェンはノーブルコートやウィスパーミルに行くのだとそれぞれ語った。リンデの食事を済ませ、別行動を取っていたハンイットが酒場へ戻ってくると、ようやく四人で乾杯をした。
「オルベリクさんはね、村の警備が安定してきたから、今はハイランドの賊を倒して回っているんだって」
「一人でかい? それは随分と無茶に思えるが」
「大丈夫よ! 私やアーフェンが途中まで一緒だったし、最近はプリムロゼさんもついているから」
「へえ、彼女が」
「プリムロゼは私と一緒にサンランドまで旅をしたんだ。狩りが終わっても寄り道をしたいと言っていたし、ちょうど良かったんだろう」
「素直じゃねえしな。あいつも」アーフェンがエールを飲み干し、口を拭う。「そんで、俺たちテリオンと一緒だったんだよ。あいつ、酒場経由で盗みの依頼を受けてるみたいでさ」
「オフィーリアとは、セントブリッジまで一緒だったこともあるの」
近況報告には仲間の名前も多く登場した。
アトラスダムに戻ってこの方、一歩もこの町の外に出ていない。サイラスからしてみれば、別れてからはじめて聞く仲間達のその後の話となるから、新鮮な響きがあった。
手紙のやりとりをしていたハンイットやオフィーリアはともかく、オルベリクやテリオン、それからプリムロゼにおいても変わらずやっていると分かり、つい口元が緩む。
「三人ともフォークを動かしてくれ。冷めてしまう」
「そうね、食べましょ!」
いい食べっぷりの彼等を見ているだけで満たされるものもあった。懐かしい旅の光景を前に、サイラスは一人蒸留酒を追加して、のんびりと彼らとの時間を楽しんだ。

夜更け頃に解散し、一人、自宅を目指す。
一軒家の管理はサイラスには不向きであるので、家を複数持つ商家から借り受け、使用していた。自炊の頻度が少ないので、キッチンの窓には蜘蛛の巣が張られている。
平屋だ。リビングや寝室、キッチンを隔てる壁はないので、そのまま部屋の奥へ移動する。
窓を見上げる。
あと数日もすれば満月となるようで、膨らんだ月が星空に浮かんでいた。
(……久しぶりに彼の名を聞いたな)
こんな日は星座と同じ名の彼の顔が浮かぶ。
手職に火を灯し、それから机上の燭台に移す。室内が仄かに明るくなったので、酔い覚ましを兼ねて茶を淹れた。
窓際に椅子を動かし、腰掛ける。香り立つ紅茶の温かさにほうと一息ついて、ゆったりと月を眺める。

サイラスの人生において『友人』も『仲間』も『生徒』も『先輩』もかけがえのない存在である。取り扱いに違いはなく、せいぜい関わり方や交流の仕方が異なる程度だ。
しかし『仲間』というのは──一時的な関係を示す名称であり、旅を終えた後も維持されるかというとそうではない。
今夜のように顔を見に来てもらえる限りは繋がっていられるだろうし、サイラスとて調査や本を運ぶため、外を出歩くこともあるだろうから、その過程で彼等と再び見えることはあるだろう。だが──
(テリオンとは、顔を合わせることはないのだろうな)
盗賊を生業とする仲間は、フィールドをクリフランドとしていた。レイヴァース家との関わりを踏まえても、あちらからフラットランドまで動くことはそうそうないと予測がつく。
依頼によっては近くを通るだろうが、そこで彼が顔を見せに寄るだろうか? 旅中での関係を思えば、他の仲間達と同様そうしてくれる気もするが、それだけだと、サイラスが見つからなければまた次回となるだろう。
学院にはメアリー王女が立ち入るようになり、警備が強化されている。図書館には彼の好きそうなものはなく、機会があるとすれば酒場だが、時間や時期によってはすれ違うことすら難しくなる。
つまるところ、こちらから働きかけなければ、彼の顔を二度と見ることはないといえた。
紅茶で喉を潤し、吐息する。
こんなふうに誰かについて考える日が来るとは思いもしなかったし、きっと当人は思いもしないはずだ。
オデットとは十年顔を会わせなかった。うまくやっているだろうと思っていたし、サイラスにはやりたいことがあったから、手紙を受け取った後は自分のことに集中した。
それがこれまでの自分で、それは変わらないはずだが、どうにも満月の日はそうもいかない。
こめかみを指で揉むようにして悩み、やがて腹を決める。
「こうしようか」
長話を厭いつつも、なんだかんだと付き合ってくれたテリオンのことだ。一言手紙さえ書いておけば、そのうち顔を見せに来てくれるだろう。三ヶ月後か、半年後か、はたまた十年先のことになるかもしれないが、それでもいい。行動しないことには何も始まらない。
とにかく、サイラスはテリオンに手紙を書くことにした。
曖昧な内容では困らせるかもしれないので、一応、時期を記載する。多少彼にとって利となるような時期となると人の集まりやすい秋が良さそうだ。
手紙は彼の性格に合わせ、なるべく短くした。
明日、使いガラスに届けさせよう。
着たままだった服を脱ぐ。どこか軽い足取りで寝台へ寝そべり、その理由を考えることもなく眠りに落ちた。

使いガラスが空に飛び立って一ヶ月、二ヶ月と過ぎ、三ヶ月もすればエベルの月となる。
辺獄の書の翻訳は順調だった。フィニスの門の出来事を含めて書き加えているので、来年には完成する見込みである。その頃にはオデットにも校正を依頼できるだろう。ダスクバロウからの書物の移行も八割方完了し、次の移行は春が予定されていた。
つまり、サイラスの学者としての仕事には、ゆとりが生まれ始めていた。
生徒に課題を言い渡して教室を後にする。
論文大会に豊饒祭とこのところ町も学院も浮足立っており、生徒から呼び止められることはない。サイラスは大会に出場する生徒の論文を片手に、図書館を目指した。査読を済ませ、今日中に本人達に返却しようと思ったのだ。
魔法学の学位を持つサイラスに査読依頼が届くとなると内容は魔法学に偏る。それ以外の分野もあるが、数は少なく、おかげでサイラスは彼らに対して真摯に向き合うことができた。
図書館で植物学の書物を探す。これは部屋の角にあり、棚の位置的に、サイラスが背を伸ばしても届かない。台を用いて本を手に取り、そのまま片腕に載せるようにして本を開き、目を通した。
効能だけでなく植生、採取方法、育て方。植物の外観も記されており、索引をみれば論文で使われている植物の名がいくつも載っている。これが良いだろう。
他にもいくつか目星を付けていた本を取り、台を下りて陣取りしている席へ向かう──テリオンがいる。
旅の始め、まだ不慣れであった頃の待ち合わせで最初の二人となってしまった、あのときの感じに似ている。
手紙を読んで、来てくれたのだろうか。小走りになってしまいそうな足をどうにか宥め、彼の下へ向かう。
「まさかここでキミと出会うとは」
声を掛けるとテリオンは胡乱な目をこちらへ向けた。腕を組みながら呆れたように息を吐く。
「……久しぶりに会った仲間に掛ける言葉がそれか?」
若干皮肉めいているが、それなりに再会を喜んでくれているらしい。その姿の微笑ましさと、彼らしい遠回しの素直さが懐かしくなり、胸が温まる。
サイラスはつられて頬をほころばせた。
「驚いたんだ。久しぶりだね、……ここへは何か用事で?」
会えて嬉しいよ、と他の仲間達へ向けるのと同じ台詞を唱えようとして、大袈裟かもしれないと言葉を変えた。
「あんたを探すならここだろうと思っただけだ」
「その推測は正しい。こうして会えたのだから」
探してくれたらしい。ということは、やはり手紙が理由か。
(しまった。手紙にはなんと書いたのだったかな……)
これでは顔を見たいがために嘘をついたことになる。それは──彼の性格も踏まえると──かなりまずい。
一旦、仕切り直しをしよう。冷静に判断する。
立ち話をするには向かない場所だ。メルセデスから指摘を受ける前に、一時的に借りている長卓へ移動した。
腰を落ち着けて、テリオンを振り仰ぐ。
「来てくれて嬉しいよ。ただ、この通り取り込み中なんだ。今夜は空いてるかい?」
彼は存外素直に頷いた。一時間後に酒場で会おうと約束し、別れる。
サイラスは論文の査読に取り掛かった。

時刻は流れて夕暮れを過ぎた頃。
サイラスはアトラスダムの酒場のうち、広場に最も近い店へと向かっていた。
この店は万一テリオンが酔い潰れてもなんとかサイラスが運ぼうと思える距離に宿があった。無論、彼がサイラスの前で酔い潰れたことはないので、彼に訊ねられた際には、宿に戻りやすいから、と答えることになる。
テリオンは広場で待っていた。ほとんど紺碧に塗り替えられた空の下、アトラスダムの町全体を臨むことのできる位置で、ぼんやりと手すりに腰掛けている。
雑踏の中で彼を見つけたような、妙な感覚があった。
その感覚を後押しするかのように、遊び足りない子供達が海賊ごっこをしながら通りを駆け抜けた。夕飯を籠に入れた婦人達の穏やかな笑声が響く。

一等星が空に輝く。
彼が何気なく首を回し、サイラスに気付いた。
顎で示されたのは、提案した店である。
「待たせたね」
扉の前で合流し、中へ入った。
テーブル席が空いていたのでそこへ着席すると、テリオンはさっとエールを頼んだ。
「あんたは何を飲む?」
「私も同じものを頼もうかな」
一人酒なら蒸留酒なりワインを頼むサイラスだが、この時はテリオンに合わせた──彼はアーフェンやオルベリク達とよくエールを飲むからだ。
テリオンは意外そうな顔をした。といっても、表情自体は特に変わらない。わずかにその目が開かれ、まじまじとサイラスを見つめたので、そう思っただけだ。
「今日着いたばかりなんだろう? そんな日くらい、私も付き合うさ」
「……学者先生も、人付き合いというものを考えるんだな」
しみじみと呟かれて、むっとする。
「どういう意味かね」
「そのままだ」
オルベリクへの気楽さとも、アーフェンへの穏やかさとも違い、テリオンとの会話はどことなく気の置けない軽やかさがある。
「それにしても、本当にこの時期に来てくれるとはね。今はどんな生活をしているんだい?」
「前と変わりない。ここへ来たのは、調べてこいと言われたからだ」
なぜかその言葉が耳に引っかかった。
分かっていたはずなのに、いざ仕事のついでで来てくれたと知ると喜べないとは、随分と傲慢な。
手渡されたメモを開き、記された書物の名を確認する。これなら、明日にでも一通り集まるだろう。調べるとなると、それはテリオン次第となるだろうが。
エールが二つ届く。テリオンはそれを無視して手紙を取り出した。サイラスが送った手紙だった。中を見ると、仕事を手伝ってくれと書いてある。
「貸しはなしにしてやる。頼んだぞ、先生」
「キミに借りを作るつもりで呼んだわけではないよ」
すかさず本心を伝える。
「……しかし、そうだね。私も手伝おうか」
書物から推察するに、これはレイヴァース家からの依頼に違いない。そういえば、彼らに関する書物について詳しい者がハイランドにいた。いつか書物を受け取らねばと思っていたが、これは僥倖──テリオンへの礼として渡してしまおう。写しは別途自分宛の手紙としてもらえば問題ない。
肝心の依頼は、学院の行事や雑務でも頼めばいいか。
どのみち彼には盗みのフィールドとして町を提案している。これもまたある種の依頼のようなものだ。
素早く依頼と報酬についての算段を立て、エールを片手に持つ。
「では、一体どんな盗みの旅をしてきたのか、聞かせてくれないか」
「……いいだろう。あれは──」
早速乾杯の後に訊ねると、テリオンは語り出す。
学者の話題となると反応の薄いテリオンだが、盗みに関わる話となると口数が増える。もとより寡黙な方ではなく、アーフェンといる姿を見ていたから、好む話題も知っていた。
ビアマグ二つ分の距離が心地良い。
窓の外では、長い秋の夜が始まろうとしていた。