連作「並行世界でまた会おう」
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前書き
覇者軸での旅団団長は薬師ロディオンの設定で書いています。
最初に導いた旅人なので。
01
厄介な執事だとは聞いていた。
レイヴァース家の秘宝。酒場の店主からそれを聞いたときは、ただの腕試しに丁度良いと考えた程度であったが──まさかその先で噂の執事と出会うとは、運がない。
「なるほど、あなたがテリオンでしたか」
「……流石に話は聞いていたか」
「ええ。ロディオン氏からかねてより。しかし、それとこれとはまた、話が違いましょう」
刃を交わした回数は数え切れない。老体と見下すことこそしなかったが、年に不相応な動きは素早さで勝るテリオンをも欺き、膝をつかせることは出来たものの、結局この手に枷を嵌められてしまった。
可憐なお嬢様とやらの配慮を受けてボルダーフォールを旅立つ。
テリオンが向かったのは、クリフランドにある金鉱の街クオリークレストだ。
崖の上の家を訪ねると、そう間を置かずに家主は姿を見せた。
「……あんたが訪ねてくるとは、珍しいこともあるもんだね」
「学者のあんたに聞きたいことがある」
「いいさ、入んな。その洒落た腕輪も見てあげるよ」
学者は話が早くて助かる。以前サンシェイドで手伝ったときも、クラグスピアで一枚噛んでもらったときも、彼女は卒なくテリオンに合わせてみせた。
机上の本と紙束を脇に避け、椅子に座ると片手を差し出す。
「見たところ、ただの腕輪じゃなさそうだ」
「ああ……罪人の腕輪を知ってるか?」
「あんた、捕まったのかい?」
テリオンの端的な答えに、オデットは早合点して問う。ゆるく首を振り、片手を差し出した。
「いや、取引として付けられた」
「……なるほど、首輪みたいなもんだね。悪趣味な」
あたしも見るのは初めてだ、と呟き、拡大鏡で調べ始める。
他人に商売道具を晒すことなどあり得ないことだが、共に旅をし、それなりに関係のある彼女にならそうすることに抵抗はない。
一通り観察させたあと、本来の話題に移った。
「ノーブルコートの学者から品を盗む。協力してくれ」
「……ノーブルコートまであたしに付き合えって?」
「ああ」
てっきり、いいよ、と快諾されるものと思っていたが──オデットは素っ気ない表情で首を横に振る。
「悪いけど、あたしはいけない」
「……なにか厄介事か?」
「いいや、ちょっと……事情があってね。代わりと言っちゃなんだが、あんたに知り合いを紹介してあげるよ」
言いにくそうな口ぶりであったものの、即座に表情を明るくし、彼女はメモにペンを走らせ始めた。テリオンが別にいい、と止める間もなく、アトラスダム、学者、サイラス・オルブライトの名前が綴られていく。
「あたしの後輩さ。たぶん今なら学者をしてるはずだ。変なところもあるけど、あんたの力にはなると思う」
「……あんたのことは信用しているが、こいつまで信用するとは限らないぞ」
オデットは快活に笑う。
「そこはそれ、あんたの好きにするといい」
頬杖を付くように首筋に手を添え、長い月色の髪を背に払う。
「なにせそいつは『知りたがり』なんだ。大抵のことなら頭に入ってる。そこいらの学者を頼るより、よほど話が早いだろうね」
彼女は研究者を名乗っているが、テリオンは彼女を学者だとみなしているし、以前にはアトラスダムで教師をしていたとも聞く。学者というのは、大概にして妙なやつが多い。その上でそこまで彼女が推すのだ。役に立つのは事実なのだろう。
問題は、話の通じる学者であるかどうかだ。
「……考えとく」
「ん。まあ、気を付けて行きな」
「飲まないのか」
「その気持ちはやまやまなんだけどね」
クオリークレストでの研究者、もとい学者というのはなかなか数が少ないらしい。言ったそばから扉をたたく音がして、ほらね、とオデットは肩を竦めた。
ひとまず手ぶらで引き返す羽目にはならずに済んだので良しとしよう。別れを告げ、テリオンはそのままクオリークレストの酒場でエールを飲み、宿で休んだ後に出発した。
アトラスダムを目指せとは言われたが、オデットから預かった地図によれば、ほぼ反対側に近い。
学者というやつは得てしてこういうことをするので厄介だ。途中、ロディオンがいないかと、ネフティが興した街に寄ったが、生憎の留守だった。彼もまたグレース熱の正しい治療法を流布すべくフロストランドを駆け回っているというから、テリオンの用事で連れて行くのは忍びない。
「手紙でも送ろうか?」
「いや……いらん」
「そう? ま、それならそれで、休んでいってよ! 久しぶりに帰ってきたんだしさ!」
ネフティに促されるまま一晩家で休み、翌日の昼前、アトラスダムにたどり着いた。
初めて見る町だ。広く、城門も大きく、衛兵の数もそれなりだ。
シアトポリスやアトラスダムには学者が多く、自分もそこの学院に通うのだと言っていたのはテレーズだったか。まだまだ世間知らずのお嬢様感の抜けなかった少女を思い起こし、見かけたら挨拶くらいはしてやってもいいか、と広場を見渡す。
町人、料理人、商人と、ここに住み、通う者はそれなりに衣食住に困っていないらしい。大人たちは身だしなみに気を配り、あちらこちらで会話に花を咲かせ、子どもたちは無邪気に海賊ごっこなんぞして遊んでいる。
宿の女主人も気さくに答え、「旅人かい?それならアトラスダムの王立学院と図書館!見てから旅立ちなよ」なんて宣伝文句まで投げられた。
オデット曰く、あれから何も変わっていなければ、図書館にいれば出会えるだろう、ということだ。そのサイラス某とやらは。
制限時間があるわけでもないが、右手首の腕輪はそう人目に晒すものでもない。懐に隠すようにして大通りを抜け、早速、図書館へ足を踏み入れた。
しんと空気の流れが止まる。それだけここの空間には風がないのだ。テリオンは仕事の時だけ自分の纏う音を選ぶが、知らず、ここでの音もそれに合わせてしまった。
呼吸は最低限、足音は忍ばせ、耳を澄ます。
──だが、それはどちらかといえばここを利用する者の真剣さに引きずられただけのようだった。ブツブツと本とにらめっこをしながら考え込む者、ちらちらと本より人へ視線を投げる者、机の上でペンを走らせる者、それから。
「はい、確認しました。閉架書庫へどうぞ、サイラス先生」
「ありがとう、メルセデスくん。では、しばらく籠もらせてもらうよ」
丁度、扉から入って真正面の受付。
その奥の扉が開き、中へ入っていく学者を見つけた。黒髪、黒いローブ、間違いない、彼だ。
受付に立つ、メルセデスというらしい女に声を掛けた。
「さっきの学者に用があるんだが」
「どちら様ですか?」
ニコ、と卒ない微笑みを向けられた。
「……知り合いだ」
「どなたの?」
「さっきその部屋に向かった、サイラスという学者だ。……オデットから紹介されてきた」
「ああ、オデットさんからでしたか」
失礼しました、と爽やかに応えているが、その対応はどこか空々しい。なんだろうかとテリオンが訝しむ間もなく、隣に女の学者が割り込んだ。
「失礼。サイラス先生はこちらに居ますね」
「ルシアさん。どうかなさいましたか?」
「学長がお呼びです。そう伝えて下さい」
「分かりました」
暗色髪の女はテリオンの方を一瞥することもなく、まっすぐに図書館を出ていく。
そうやって呼び出しの多い学者であるから、テリオンは怪しまれたのだろう。見てくれに共通点など何もない。
「……あなたの用事はお急ぎでしょうか?」
「いや、別に」
「分かりました。サイラス先生を呼んできますが、用事は学長のお呼び出しの後にしてあげてください。この地下の書庫も、閲覧時間が限られているので……」
申し訳無さそうに言われては、仕方ない。じゃあまた後でここに来る、と言付けで、図書館を後にした。
「キミがオデット先輩からの紹介でやってきたという……?」
「テリオンだ」
「テリオンくんだね。サイラスだ。よろしく」
片手を差し出されたので、首を振って断った。
「俺が聞きたいのは二つだ。ノーブルコートについて知っていることがあれば教えてくれ。それと、オルリックという学者についても、知っていれば話が聞きたい」
整った顔立ちにすっきりとした物言い。品よく着こなしているがそのローブは肩に羽織るだけという学者は、見るからにそこらを歩く学者とは違うように思われた。
ふうむ、と通る声を発し、顎に手を添え少しの間考え込んだものの、
「ノーブルコートについては話ができるが、オルリックなる人物は初めて聞く名だ」
あっさりと答えた。
「なら、ノーブルコートについてだけでいい。話を聞かせてくれ」
「それは構わないが……少し時間をもらえるかな? メルセデスくんに頼みごとをしてしまっていてね、そろそろ業務も終わる時間になるから、先に聞いておきたい」
「……いいだろう」
「助かるよ」
ついさっきあったばかりの人間と、付き合いの長い住人同士。どちらが優先されるかは理解している。
テリオンは半目のままサイラスの後に従い、そして、そうしたことをすぐに後悔した。
「というわけで、聖火教会史を探そうか」
「おい。勝手に人員に含めるな」
あの学者にしてこの後輩ありと言えばいいのか。
メルセデスの呆れた反応を物ともせず、サイラスは意気揚々と図書館を出た。
「いやいや。これはれっきとした取引ではないかな、テリオンくん。キミはただで私から話を聞き出せると思っていたと?」
「……さっきまで話すつもりだっただろう」
「キミが好奇心旺盛で嬉しいよ」
にこやかに応えるので、ようやく理解した。話をはぐらかされたのはわざとだ。
「あんたな……」
「まあまあ、取引というのは本当だ。オデット先輩の紹介とはいえ、キミが私から聞き出した情報をどう扱うのか気になるところでもある。──見たところキミは盗賊のようだが……オデット先輩が紹介するということは、なにか事情があるのだろう」
話が早いよ、とはたしかにオデットも言っていたが。こちらが話す前に先々と事情を汲まれては、居心地の悪さが際立つ。
「俺の話はいい。あんたの話が先だ」
「では、取引は成立ということでいいかね」
「……勝手にしろ」
渋々折れてやるとサイラスはありがとう、と無邪気に笑い、彼が見つけた謎とやらについてこんこんと語り始めた。
一通り話を聞いて理解したのは、他の盗賊が関わったわけではなさそうということだ。書物なんてのはかさばる上に重く、片手が塞がる。武器として扱える書物ならいざ知らず、片手剣と短剣を扱うテリオンには不要のものであるし、わざわざそれを盗むなら金品を奪ったほうがマシである。
テリオンがそう付け足すと、おお、とサイラスは驚いた。
「なるほど。手に取り、読むふりをして手元や懐に忍ばせるのか。確かにそのやり方ではここだと見抜かれてしまうだろうね。……入り口には衛兵が立っているし、利用者も少なくはない……」
後半はほとんど独り言のように小さな声だった。が、学者はそこで何かに気付いたか、顔を上げ、衛兵に声をかけに行く。
一言二言会話した後、近くで露店を開く商人に声をかけ、再びテリオンのところまでで戻ってきた。
「いい話が聞けたよ。あそこの衛兵は居眠がちで、昼食の後や夕暮れになると、立ったまま寝てしまうらしい」
「……ほう?」
「そして、メルセデスくんの話によれば、この図書館の鍵を預かるのは彼女と、その衛兵二人だそうだ。……キミならどうする?」
「決まってる。仕事をしていない方から盗む」
はは、と苦笑いこそ浮かべたが、サイラスもまた頷いた。
「同感だ。あとは使った鍵を彼に返すだけだが……これは見知らぬ者より顔見知りの犯行と考えたほうが良さそうだね」
「返すのか」
盗まれる方が悪いのだ。どうして盗んだものを返してやらねばならないのかとテリオンは首を傾げたが、すぐに合点がいった。
「……盗みたい本は一つだけ。鍵さえもとに戻しておけば、誰が盗んだのか分からなくなる」
「そういうことだ。よし、では動機のありそうな人物を探るとしよう」
足を動かしめぼしい情報を拾い、そこから状況を推理する。サイラスの行動はなるほどテリオンにも分かりやすいものであり、聞き出された情報一つ一つもまた無駄がなかった。
そうして彼が辿り着いたのは、同期らしいラッセルなる研究者の存在だ。
「彼とは学院の頃からの知り合いでね。唯一アトラスダムに残った知人なのだが……最近は論文の提出も遅れているらしく、姿を見ていなかった」
「同期ってなんだ?」
「うん? ああ、同級生……と言っても伝わりにくいか。共にアトラスダム学院で学問に励んだ仲間といえばいいのかな」
雑談をしながら地下研究室の道を進む。魔物はサイラスの魔法とテリオンの短剣、鬼火で蹴散らし、さして苦労することもなく奥の部屋に到達した。
研究室というのは、どうしてこう薄暗い場所にあるのだろうか。テリオンには分からない陰気臭いその場所には、サイラスの言うとおり、一人の男が──見てくれは学者のようだ──いた。
「……何しに来た、サイラス。人を連れてきて一体何を……」
「見覚えがあるな」
「ロディオンの知り合いか。面倒な……」
「おや、キミもロディオン氏と知り合いか」
これから糾弾でも始まるのかと思えば、呑気に茶会でも開きそうな懐かしい昔話が飛び出、数分、場の緊張感がなくなる。
聞けば、サイラスもまたテリオンと同じくロディオン率いる旅団に属していたことがあったらしい。ラッセルは金に困っていた際、いい仕事先だとロディオンの旅団を紹介されて付き添い、テリオンとはそこで何度か顔を合わせていた。
「さて、昔話はこのくらいにしよう。ラッセル」
手を叩いたわけでもないのに、サイラスが少し声を張っただけで空気が震えた。緊張感を孕んだその空気にラッセルが狼狽え、テリオンは片手で短剣に触れる。
「聖火教会史を盗んだのはキミだね?」
そうして、学者の話は始まった。
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