狩人加入編
シ・ワルキを発った朝、ハンイットが最初に遭遇したのは昨日知り合ったばかりの旅人二人だった。
「あなたたちは……」
「実はお話が聞こえてしまって」
陽の光を浴び、朝露がきらめくような眩しさを覚えたのは、彼女の衣装が白いせいだろう。先に歩み寄ったのは神官オフィーリアだ。
その隣、学者サイラスが卒なく微笑む。
「手を貸し合えないかと思ってね。我々は既に手の内を明かしている。構えることもないだろう」
オフィーリアと対照的な色合いのせいか森の陰に馴染んで見える。木陰が肌の青さを強調する。
村はずれの木材置き場に彼ら以外の人影はない。商談や馬車待ちで待っていたのではないだろう。ハンイットは状況と二人の様子を冷静に考え、相棒リンデをみた。
リンデはハンイットを待っていたのだろう。目が合うとサイラスの足元へ歩み寄る。
そういえば、初めて顔を合わせた時も妙に懐いていた。
ハンイットの不得手な部分を補うように、時々こうしてリンデはその人柄を見抜いて交流を図ることがある。オフィーリアの手を受け入れ、サイラスのローブの裾を前足で掻いて遊び、警戒心は不要だと教えてくれる。どこか無邪気な二人と一頭に絆されて、吐息を一つ。
最後にハーゲンが鳴いてハンイットに返答を促した。
「申し出は有難く受け取ろう。旅は道連れとも言うからな」
二人の笑顔はあたたかい。リンデの後に続いて、先頭を歩き始める。
「それで、どちらの方角へ向かう?」
彼らがこの付近に慣れていないことは聞いている。森道に詳しい自覚があったので、ハンイットは素直に問うた。
オフィーリアとサイラスは互いに目配せをした後、サイラスが先を譲った。杖を両手に持ち直す彼女の手元で、採火灯を揺れる。
「私たちはセントブリッジ、リバーランドの方へ向かう予定です。サイラスさんは、その途中にあるクオリークレストへご用事が」
「そうか。私はストーンガード、ハイランドの方だな。折角だ、あなたたちと同じ方角から向かおう」
「……よろしいんですか?」
脳裏に地図を浮かべて応えると、申し訳なさそうに確認される。
「構わない。どちらから行っても変わらないだろう」
ハンイットは付け足したが、オフィーリアの表情はまだ晴れない。どう伝えたものかと口を噤んだところで、学者が割り込んだ。
「ハイランドは中つ海を挟んだ反対側だ。彼女の言う通り、どちらから向かっても変わりはないだろう。砂漠を越えるか、雪山を越えるかの違いだよ」
「そう、ですか。……ふふ、では、次にフロストランドを通る際は、ぜひフレイムグレースへ寄ってくださいね」
「ああ、そうしよう」
木漏れ日の下、そんな風に少しずつ事情を明らかにしながら、三人と二頭で先を進む。時に魔物と遭遇し、あるいは先手を取って対応することで、なんとか窮地に陥ることなく森を横断する。
やがて、最初の星が空に輝く。
クリフランドの景色は目前だったが、ちょうど魔物との戦闘もあり、暮れ始めがもっとも危ないと言って、小川からそう遠くない場所で野営となった。
焚き火に使える薪を集め、三人広がってもゆとりのある場所に火を用意する。暗くなる前に、調理を始めた。
「良かったら」
オフィーリアが提げていた鞄から毛布を取り出す。サイラスが何食わぬ顔で受け取り、焚き火の近くで腰を落ち着けた。杖、鞄、と荷物を下ろし、寄ってきたリンデに気付いて拡大鏡を取り出す。
「……あなたたちは、荷物は交代で運んでいるのか?」
慣れた様子の二人をみて、思わず、そんなことを訊いてしまう。オフィーリアは、はい、と朗らかな返事をした。
「今朝はサイラスさんに持っていただいてました。ハンイットさんもどうぞ、使ってください」
「私の分まであるのか?」
思わず驚いてしまった。彼らの荷物がそれほど重装備に見えなかったからだ。
「ええ、商人の方々にたすけていただいています。ありがとうございます」
「そうか、ありがとう。使わせてもらう」
「はい」
矢筒に弓矢を下ろし、傍へ毛布を置く。
オフィーリア、サイラスはそれぞれ安堵の吐息を零し、道中を振り返り始めた。火にかけた鍋の中身をレードルでかき混ぜながら、二人の会話にしばし耳を傾ける。
やがて、三人の手元に湯気の立つスープが行き渡る。
「すごいな」
木を掘って作った食器にスープを見つめて、サイラスが感心する。それは少し前、すれ違った商人から買い取った木の器とスプーンだ。
「表面が滑らかで持ちやすく、手に馴染む。木彫りと語っていたが、相当の腕前なのだろう」
「ハンイットさん、スープ、とても美味しいです」
「それは良かった」
食器について語り出したサイラスを他所に、スープに口を付ける。ハンイットにとってはいつもの味だが、二人の口に合って良かった。
リンデとハーゲンがハンイットの方へ寄ってきてすんと鼻先を肩口にこすり合わせた後、そっと離れていく。食事に出かけたらしい。
「いいのかい?」
スープを吹き冷ましながら、サイラスが訊ねる。
「ああ。彼らには彼らのやり方がある」
遠くで鳥の声が響いた。かすかな食器の音に薪の燃える音が重なり、少しの間、三人は黙々とスープを口に運ぶ。
器の中が半分ほどとなったあたりで、再び、サイラスが顔を上げた。
「魔物と心を通わせる狩人が、本当に居るのだね」
話しかけるというよりは独白に近く、しかし、ハンイットとオフィーリアの視線を待っていたように彼は言葉をそこで止めた。
「……知っているのか?」
「話だけはね。実際に見たのはあなたが初めてだ」
頬を綻ばせ、それからスープをもう一口味わう。
「もう一頭の……ハーゲンと言ったかな、彼もあなたの片割れかい?」
「いや、ハーゲンは師匠の相棒だ。私はまだ半人前でな。あなたが聞いたのは、おそらく師匠のことだろう……」
一年前に別れたきりの師匠の顔を、今でも容易に思い出せる。
いつも、見送る側だった。見送って、迎える側だった。ハンイットが狩りに出かけていた時には師匠に迎えられることもあったけれども、大半は師匠の代わりに村に残り、役目を果たすことが多かった。
ハーゲンとリンデの去った方へ、自然と目が行く。
おかしな話だが、彼らと共に師匠が戻ってくるのではという期待が、わずかに胸に残っている。二人と二頭で狩りに出かけたときのことを思い出しているのだろう。
爪が地面を削る音がして、二頭が帰ってくる。
人の気配はない。
わかっていたことだ。ハンイットは瞼を伏せて、そっと自分を慰めた。
「……おかわり、いただいてもよろしいでしょうか?」
「ああ。明日の朝で食べ切りたい」
それからあとはオフィーリアの式年奉火の話に移り、夜も更けないうちに、三人は眠りにつくことにした。
薪の燃える音がしてハンイットは目を開けた。
隣にはリンデが眠っている。反対側ではサイラスに肩を借りる形で、オフィーリアがすうすうと寝息を立て、彼の向こう側にハーゲンが臥せている。
尻尾がゆったりと左右に揺れていたので、彼は起きているのだろう。上体を起こす。
朝露が、指先に触れた。
「起こしたかな」
焚き火に照らされた横顔が静かに問う。
「……炎の音がしてな」
「難しいな。静かにしたつもりなんだが」
「気にするな、物音は立つものだ」
リンデが姿勢を直したので、そっと毛並みを撫でる。
「フレイムグレースで、魔狼を連れた狩人の話を聞いたことがあるよ」
早朝の森の中、霧の漂う空間を壊さない、しずかな低音がいつか聞いた話を語る。
「そうか。……実を言うと、師匠の話はいつも大げさで、少し疑っていたんだ」
ふ、とハンイットは笑いを零して、目を伏せた。
彼が知るように、ザンターの実力は人々が噂するほどのものだ。シ・ワルキの狩人に依頼が舞い込むのもザンターの存在が大きい。村長も言っていたし、エリザも、だからこそ彼に頼むのだと語っていた。
次に目蓋が開かれた時、灰緑の瞳に決意の輝きが灯ったことを、隣の学者だけが気付いた。
「師匠の後を追うのは、これがはじめてだ」
「……実態を知るいい機会というわけか」
「そうかもしれない。……無事だと嬉しいな」
どちらからともなく会話を止め、鳥の声に耳を澄ませる。しんと静まり返る森に、朝日が降り注ごうとしていた。