sweet desire
初夜と2回目の夜の話
「受けが自分を攻めだと思い込んでたけど抱かれてから受けとしての本能に目覚めてしまい、悶々とした結果、懺悔のように攻めに抱いてほしいとお願いをしにいく」話(なってない)
──キミは許してくれるだろうか? 我儘な私の願いを。
1.
昔から、予習は得意な方だった。
それは、教本を与えられたその日に読破し、講義では教師に派生や応用の質問を投げ、休み時間にはクラスメイトに請われて講義の解説をするほどで、図書館では上級学年の教本を手に取り、一日一つとルールを決めて予習していたこともある。
一度読めば大抵のことは理解できる。それでもサイラスが講義を真面目に受けていたのは、理解したという感覚が浅はかなものでしかないことを十分に知っていたからだ。
(そして、この分野においてもそれは言えるはずだ)
今、真面目くさった顔をしてサイラスが目を通しているのは、いわゆる性行為や手管について記された春画──ここではそう表現しよう──である。
三十年男として生きてきた以上、彼自身、人並みの興味を持ってこういった分野に触れ、必要な限りで自慰も行ってきた。とはいえ、身体を悪くするから、下半身が重く感じて動きにくいから、という理由で自慰をしてきたゆえに、これまで春画の類に手を出したことはない。
元々、知識だけは十分にある。どのようにすれば興奮を兆すのかは分かっているから、あとは自分がそれに集中すればよいと考えるほどには、興奮材料は不要だったのだ。
結果、恋や愛と性欲がなかなか結びつかない男となっていた。
しかし、そんな彼にも転機が訪れた。恋人ができたのだ。
年下の、育った環境も、価値観も異なり、初対面の頃はそれこそ相手の職業からあまり関わるべきではないと感じてすらいたはずなのだが──不思議と居心地が良く、サイラスの知識に信頼を置き、言動や行動に反して誠実さの伴う『彼』との距離感が、いつの間にか分からなくなってしまった。
それが盗賊テリオンの作戦に基づくものだと、今この時もサイラスは気づいていない。
気付いたところでさして態度は変わらないだろうが、この学者は、どうにも他者から向けられる感情に疎い。その質にも、量にも、とにかく疎いので、『テリオンはサイラスのことを、友情の延長線で好きと考えてそばにいてくれている』のだと信じていた。
つまるところ、サイラスが春画を手に取ったのは、他でもないテリオンのため──と本人だけが思っている──であった。
(了承を得て、半年だ。口付けも嫌ではないと言ってくれたし、旅を終えても、時折顔を見せに来てくれる)
テリオンからの愛情を振り返り、サイラスはもう一度部屋の扉を振り返った。
ヴィクターホロウの宿で、落ち合おう。そう使いガラスを放ってテリオンに手紙を送ってから、一週間が経過していた。
カラスは手紙を届けて帰ってきたので、テリオンに伝わっていることは間違いない。
酒場で依頼を引き受け盗みをするようになったテリオンは、フィールドをクリフランドからオルステラ全体へと広げていた。
彼がウッドランドに行くと言っていたから、近くに行けばいいと思ってヴィクターホロウを選んだ。『いつも会いに来てくれているから、今度は私からキミに会いに行く』と付け足して。
それから、こうも書いておいた。
『キミが許してくれるのなら、同衾したい』とも。
(直接的過ぎただろうか……)
手元の本へ視線を戻し、サイラスは少しだけ悔やんだ。
恋人に会うのだからと贈り物の用意はした。だが、それを受け取ったところで性行為の同意にはならないし、同じ部屋に泊まったからといって身体に触れていいかは別である。
それに、テリオンとサイラスは同性であり、愛情を確かめ合う以外で性行為を必要としない。
テリオンの性格としては人と触れ合うことへの抵抗は少なそうに見えるが、性的な接触となればまた違うはずだ。貧富の差の激しい地域では相手をねじ伏せるために男を抱く者もいると聞く。テリオンの育った環境でそれが横行していた場合、性的な接触はただの暴力となるため、崇高な志を持つ彼は忌避しそうだと推測していた。
それでも、恋人をやめたいと言われることはなく、キスまでは許されていたことから、サイラスは前に進む決断をしたのだ。
とにもかくにも、サイラスはテリオンとそういうことをしたいと思ってこの部屋で待っていた。が、テリオンが来なければ同意を得られなかったと考え、謝罪の文を送ろうとも思っていた。
本を鞄にしまい、ペンとインク、トレサから買い付けた便箋を取り出す。そうでもしないと、また今夜も来なかったかとため息をついてしまいそうだった。
──不意に、扉が叩かれた。
「……居るか?」
次いで、伺うような声。間違いない、テリオンだ。
「いま、開ける」
サイラスは急ぎ扉を開けた。
「! ……居るなら返事くらいしたらどうだ」
「すまない、声が小さかったようだね。……どうぞ」
「ああ。待たせたか?」
テリオンが、部屋に入る。
サイラスの隣をすり抜けるように入ってきた彼の姿に、今更、緊張した。
「そんなことは。それより、会えて嬉しいよ。挨拶代わりに抱きしめても?」
「……いちいち聞くな」
本当は口付けもしたかったが、それは堪えた。一度触れてしまえば、待っていた分、堪えきれなくなりそうだったからだ。
「ふふ、酒の香りがする」
「飯を食ってきた。あんたは……石鹸か」
「あ、うん」
首元を嗅がれて、どこか気恥ずかしい思いで肯定する。
いつ来てもいいように、部屋にいる間はなるべく身体を清潔にしていた。などと言ったら、テリオンも困るだろう。そこまで求められていると知ったら、断りにくく感じるかもしれない。
サイラスは努めて平静を装い、すぐに離れた。
「今日着いたばかりかな。今夜は休むかい?」
「……まあ、そうだな」
気まずそうに首を掻いて、テリオンはおもむろに懐から手紙を取り出した。
「あんたの言うこれは、いつするんだ?」
「あ、ああ……そうだね。キミがよければ、今夜からでも……」
「いいのか?」
「え? うん」
既に、サイラスは寝間着用のブラウスとブリーチズ(ズボン)に着替えている。テリオンは無造作に上衣や腰元の道具を落とすと、靴を脱いで靴下代わりの布を解き始めた。
「あんたから誘われるとは思ってなかった」
「……これでも待ったんだよ。キミにも心の準備が必要だろうと思って」
「……それはあんたの方だろ」
「テリオン」
ベッドに腰掛けたテリオンの肩に手を置き、座りながら顔を寄せる。
「キスをしても、」
「いちいち聞くなと言ったろ」
唇を奪われる。プリムロゼは彼のことを『言葉が足りない』と言ったが、サイラスはこのような時に言葉より行動で示してくれる姿を好ましく感じていた。
つまるところ、プリムロゼの忠告は好みの問題なのだろう、とサイラスは呑気に考える。
「でも、勘違いしてはいけないから。これからキミと……セックスを試してみたいのだが、いいだろうか?」
「……。……嫌なら来てない」
「そうか、……ありがとう。服を脱がすよ」
ムス、と拗ねたように応える姿は年相応で可愛いと感じる。ふふと笑いながらテリオンの頬に触れ、首元へ手を下ろし、緊張で震えそうな指をどうにか動かしてボタンを外す。
「積極的だな」
「そう、かな。そうだね、少し……少しだけ、私に任せてくれるかい?」
「……いいだろう」
触れたかったのだ、と言うのはまだ早い。テリオンが嫌がってはいないか、無理をしていないかを極力意識しながら、肌を晒していく。
テリオンはサイラスよりも筋肉質だが、小柄で、盗賊という職業ゆえかオルベリクとは違った肉付きをしている。肌を撫でるとしっとりとしていて、張りがある。若いからだろう。傷跡もあるが、凹凸の差はなく、身体に馴染んだ傷なのだと分かった。
初めてであるから、胸部に触れるのは避けようと思った。女性のように抱きたいわけでもないので、素直に男性が最も感じる場所へと手を伸ばす。
「触れるよ」
返事はなかった。手の甲を使って、布越しにスリスリと触れてみる。硬度が増さなければ考え直そうと思ったが、手で揉む内に段々と大きさに変化が現れ、テリオンに頼んで下履きごと脱いでもらった。
背中に枕を挟むようにして、テリオンは上半身をベッドの枠に凭れ掛けた。その前に膝をついて、存在感の増した彼の男根を握る。
「ッ……加減をしろ」
「す、すまない。このくらいは……どうかな?」
「ああ……それでいい」
はあと気怠げな吐息を零すので、どきりとする。
彼はどんなふうに乱れるのだろう。そういえば、そんなことを一度も考えずに行為に及んでいる。
先走りを手に馴染ませ、扱く。テリオンの短くなっていく呼吸を聞きながら、その肩口に頭を置いて、手を動かす。
(……そういえば、口に含むと良いと書いてあったな)
始めたはいいが、このまま達するまでどうすべきか迷ったサイラスは、予習していた内容を思い出して身を屈めた。
ベッドにうつ伏せになるように姿勢を崩し、テリオンの股座に顔を埋める。
「おい、」
制止を振り切り、思い切って喉の奥まで咥え込んだ。息苦しさが募るが、堪えて頬をすぼめ、舌と腔内で歓迎する。
歯が当たらぬように気をつけながら何度か往復したあと、口から出して裏筋を舐める。視界の端で手燭が揺らぎ、そういえば灯りをつけたままだったと、何気なく性器越しにテリオンを見上げた。
こちらを見下ろす、その瞳と目が合った時、ぞく、と背筋を快感が走り抜ける。
「……サイラス」
頭を撫でられ、ハッとした。手と口の動きを再開する。
心臓の動きが妙だ。
(いまのは……)
艶めいていた、というには荒々しかった。獣欲と呼ぶのが相応しいような、そんな、強い感情がテリオンから発されていた気がした。
今手を動かしているのはサイラスであるのに、まるで自分が被捕食者となったかのような、そんな錯覚をする。
徐々に冷静さを奪われているのだろう。これでいいのだろうかという不安と、この先に進んでいいのかという躊躇いが、サイラスの動きを鈍くした。
「……っもういい、離せ」
焦れたらしい。テリオンに顔を押し退けられ、男根を口から出してしまう。喪失感を覚えて、ふと、咥えることで安心感のようなものがあったのかと自覚した。
サイラスが口元を拭っている間にテリオンは自ら高めて精を吐き出す。じわりと汗の滲んだ肌と、短く息を繰り返すテリオンの姿に見惚れる。
「あんたもキツそうだな」
「え? ああ……いや、私は、いいよ」
「そう言うな。あんたも触っただろ」
確かにまあ、男性同士の行為となれば、双方が口や排泄孔に挿入し合えばいいそうだが。この時、サイラスは自分の性欲のためにテリオンの手を煩わせることに抵抗を覚えた。
「でも、私はキミを気持ち良くさせることができなかったし……」
「何を言う」
両肩を押さえつけるように押し倒され、目を瞑る。そのせいで、それをはっきりと感じ取った。
「あんたがこんなふうにしたんだぞ」
「ッ……!」
内腿に押し付けられたのは、先程までサイラスが口に含んでいたテリオンの男根だ。射精したばかりだというのに硬度を取り戻している──それだけ彼も興奮している。
テリオンはまるでサイラスがそうさせたかのように言ったが、恋人だと認め合うほどの人間に口淫されれば興奮するのは当然で、彼はサイラスよりも若いから、すぐに勃起しやすいだけだ。だが、そんなことを言うのは野暮だと分かっていたから、それなら良いのだけれど、と言葉を濁そうとした。
が、服を剥かれて、驚いた。ブラウスの前は開かれ、ブリーチズも紐を解いて膝下までずり下ろされる。
「な、なにを……?!」
「脱ぐもんだろ。汚したいのか?」
「そうではないよ。けれど、……私まで脱がなくとも」
貧相で、だらしのない身体だと自覚はある。太ってこそいないが、筋肉など必要最低限しかなく、歳のせいもあって筋も目立つ。
相手の服を脱がしておいて我儘を言うべきではないのかもしれないが、それでも、テリオンの眼前で服を脱ぐのは躊躇われた。
「はあ……面倒なやつだな。なら下だけにしてやる」
「……分かっ、た」
どのみち、彼の手番が終われば再びサイラスに主導権が戻るはず。
互いの同意の上で行うのだから、テリオンにも選択肢はあって然るべきだと考え直す。
「ン、」
テリオンに口付けられ、口を開けて応じる。舌を絡め合わせると同時に脇腹に手が触れ、ひたひたと肌を撫でられる。腰から背にかけてなぞられると落ち着かなくなり、思わず片膝を立てた。
「はっ……う」
顎から首にかけてを舌で撫でられると、ぞわぞわと下半身に熱が集まっていく。胸元や鎖骨に噛み跡を残されて、そうか、そうすればよかった、と後悔した。
サイラスは避けた胸の飾りを、テリオンは躊躇うことなく摘み、くりくりと指先で転がす。身体を洗うために自分が触れても何も思わないのに、彼にそうされているというだけで甘い痺れが走り、困惑した。
ともすれば拒絶に似た声を上げてしまいそうで、頭をシーツに押し付けて堪える。
その内に立てていた膝を持ち上げられ、下着を取り除かれた。
(……見られている)
手でテリオンの目を覆わずには済んだが、火を消さずにはいられなかった。咄嗟に片手を動かして火を消す。
「……風で消えたか?」
「そのようだ、ね」
幸いにしてテリオンには気付かれなかった。今の内に身体を隠してしまおうとシーツを引き寄せ、いや、暗闇となったのだから隠す必要はもうないのか──と手を止めた矢先、ふと腹に手のひらが触れて、思考が止まった。
つ、と腹筋の筋を撫でるように胸元まで上がってきたかと思えば、乳頭が生温かいものに包まれる。分厚く、熱い、湿った何かが器用に乳頭を舐め、ちゅうと全体を吸い上げた。
「んっ……あ、な、何を……して」
手指はサイラスの下肢にまとわりついており、陰茎を見つけると持ち上げ、上下に幹を扱き始める。胸の微細な刺激と性器への直接的な刺激を分けて捉えきれず、頭が快楽に溺れていく。
手の甲でなんとか口を押さえて身を委ねていたが、やがて胸が解放され、先端に先程の熱が触れた。
「ッテリオン……キミ、それは」
「なんだ、──善いのか?」
内腿に髪が触れてようやく理解した。
それがテリオンの唇であり、舌であったことを。
腔内は熱く、全方向から包まれる感覚は筆舌に尽くしがたい。吸引されるだけで腰が揺れそうになる。
しばらく水音だけが部屋を満たしていた。それがとにかく恥ずかしく、早く終わってくれと思うのに、なかなか終りが見えない。
「……ッしぶといな。これだけじゃイけないか?」
「そんな、ことは……」
気持ちがいいことは間違いないのだが、好いた相手に奉仕させているという現実がどうにも集中力を欠かせるようだ。なにより、初めて触れ合ったのだ。分からぬことがあって当然で、サイラスもどうしてほしいか言葉で伝えんとしたが、唇はわななくばかりでまともな声を発せられそうもない。
ブラウスだかシーツだか、とにかく身体の前面に重ねた布を掴み、与えられる悦楽に堪える。が、後ろの窄まりに指先が触れ、中へ侵入してきた時、とうとう丸めた爪先がベッドの上に線を引いた。両脚を開かれ、前からも後からも責め立てられ、急な快楽の波に翻弄され、呆気なく達する。
「……っ、すまない」
チカチカと星が近くでまたたいているような錯覚をどうにか瞬きで追い払いながら、股座から顔を上げたテリオンへ片手を伸ばす。頬は熱を持っており、暗闇ながらも彼が気を昂らせていることを察した。
口端から溢れていた白濁だか唾液だか、水気のあるそれを指先で拭う。
「いい。それより、……試しに挿れていいか?」
「あ……」
菊座に指先を沈められて、吐精の余韻に混ざっていた喪失感の理由に思い至った。
これが欲しかったのだ。
始める前までは、あれほど自分がそちら側だと信じていたはずなのだが、今はそれよりも、満たされたいという欲求の方が強くなっている。なんということだろう。
自身の変化と欲望をまざまざと自覚して、全身から火がふいたのではないかと思うほど、身体が熱を持つ。
「サイラス。どうした?」
「い、いいよ。問題はないから、……きてくれ」
努めて冷静に、静かに、了承した。あくまでこれは、テリオンの要望に従ってのことだと言い聞かせる。
テリオンの腕が背中に回り、うつ伏せにひっくり返された。
後ろからの方が入れやすく、負担もないだろうと耳後ろでテリオンが囁く。それだけで、自分の身体とベッドに挟まれた陰茎が膨らんだ。
「い……っ」
指を何本か挿し込まれると身体は生理的な拒絶を覚えるようで背筋を悪寒のようなものが走る。圧迫感を堪え、言われるがままにゆっくりと息を吸い、吐く。
「ああ……んあ──ア、」
ズズ、とさらに中に入ってきたと思えば、思わず上体を反らしたくなるような、妙な変化があった。
「ここか」
「え、っあ、何……っああ! や、待って、……待ってくれ」
テリオンにはそれが何か分かっているようで、何度か指が中を往復する。待てというと中の指の動きは止められたが、代わりに背中と肩にチクリと刺すような痛みが走った。水音が聞こえ、テリオンが口付けたのだと察する。
「……落ち着いたか?」
それだけで震えてしまうと言うのに、気遣われると応えなくてはと思ってしまう。
予習を、したのだ。今何をされているのかは知っているはずだ。
そう、男性の場合、快楽を感じる場所はなにも陰茎への直接的な刺激だけではない。排泄孔から指を差し入れると触れられる、前立腺というものが合ったはず。
「あ、ああ、うん。……すまない、どうにも……頭が追いつかなくて」
「……嫌なら言うんだぞ」
嫌ではない。むしろしてほしい。
と、思いはしたが、それを言われて、彼はどう思うだろうか。
今このときにおいては言うべきかもしれない。大丈夫だと。自分は望んで受け入れていると、伝えられたほうが彼も安心できるのでは?
思いはしたが、実際にサイラスができたのは首を横に振ることだけだった。指だけで感じてしまいそうで、精一杯だったのだ。
それから時間の経過は遅いようであっという間だった。入口をしっかりと拡張されたが、テリオンの男根全てを受け入れるにはまだ小さく、結局、先端を少し中に埋めるだけとなった。
「ッ……!」
圧迫感も、質量も、指の比ではない。ただ、それは勿論、良い方向にも同じことが言えた。
(あ、うあ、これ、が……)
知らず、中に受け入れるように腰を反らしていた。中に入ってくるほど脳天にまで激しい官能が届き、その膨大な刺激に頭が混乱するのか、生理的な涙と、唾液が溢れた。
「ん、っはあ、……ん……くっ」
「ッ……サイラス、逃げるな」
「に、逃げてな……あっ、んあ、」
脇の下から腕が差し込まれ、後ろから抱き締められる。言い返そうと身体を捻ったが、これが都合良かったらしく、さらに中に挿入された。
「半分、入ったか……入るもんだな」
ポツリとテリオンが耳元で呟く。
うつ伏せのまま、気付けば片脚を開き、両手はシーツを強く掴んだまま、サイラスはそれを聞いていた。ふるふると震えてしまうのは、テリオンが呼吸をする度に中で彼のモノが微妙に位置を変えるからだ。
もう、限界だった。うつ伏せであるから動く度にシーツと擦れ合っていた先端が、内側からの強烈な熱に反応し、今にも解放を待っていた。
テリオンに隠れて出してしまおうかと片手を身体とシーツの間に割り込ませようとしたが、その前に胸をいじられるほうが早かった。いや、きっとテリオンは鼓動を聞くために触れたのだと思うが、今のサイラスにはどのみち愛撫と変わらなかった。
「はっ……すごいな、鼓動が早い」
「あ、いまはだめ……っ」
頬だか首後ろだかに唇が触れて、それを感じると中も反応するのか一層強くテリオンの陰茎を締め付けてしまう。無論、それによってさらに感じてしまうわけで、情けないことに、そのまま呻くような声を上げて達してしまった。
息を切らしてぼんやりとしていたのも束の間、失態に気付き、はっと上体を起こそうとする。
「すまない、また先に、私は、」
「……別にいい。それに……中も善さそうだな」
「あ──」
それからは表現するのも躊躇われるほど翻弄された。やめてほしいのに気持ちが良く、後半は最早どのように懇願したのか覚えてないが、テリオンとキスをしながら中に受け入れていた。
顔が見えることで安心し、彼自身も挿入を喜んでいるのだと思うと嬉しかった。
最後はテリオンが果てるまでひたすらに身体を揺すられた。どこをどのようにされてもただただ気持ちが良く、好きにしてくれて良いと言ったことだけを覚えている。
身体を拭くために離れてしまうと、寂しさのようなものが胸を突いた。腰は痛むし、水分補給も忘れて耽ったために喉も渇いていた。
「テリオン。その、ありがとう……」
「大したことじゃない。あんたは寝てろ」
甲斐甲斐しく世話を焼かせてしまい、むしろ反省したサイラスは、気分の高揚のままに決意する。
彼がしてくれたように、自分もしてやらねばと。
「つ、次は、いつにしようか」
慣れない体験からくる膨大な情報量に混乱しているとも自覚せず、そう訊ねた。
「すぐはあんたがしんどいだろ。また顔を見に行く。それまで待っていることだな」
そして、テリオンの言葉に素直に頷いた。
2.
あれから、ひと月が経過した。
サイラスはダスクバロウでの用事を済ませ、アトラスダムに戻っていた。新たな知識と共に迎えるいつもの暮らしは、サイラスに安らぎを与えたが、テリオンとの性行為による衝撃は、今なお身体の中で熱を持ち、有り体に言えば、サイラスはあれからずっと熱を持て余していた。
(順当にいけば、次は私の番なのだが)
欲求不満、といえばいいのか、サイラスはまたテリオンに挿入してほしくてたまらなかった。自分が挿入側に立ち、似たような気持ちよさをテリオンにも分け与えるべきだと頭では理解していたが、それよりも自分が味わい尽くしたいという思いのほうが強くなっていたのだ。
(しかし、次をいつにするかとしか決め合っていない。……話し合いで、私の方が先に、いや……)
自宅であるので、そういった不埒なことを考えていても心配はない。
だが、ふとした折に、外でも考えてしまうようにもなっていた。
今日は、そのうち仕事に支障が出るのではないかと考え、自分の欲求を整理しようと時間を取った。
(テリオンが来てから考えるとしよう。彼が来るまでは考えないようにして……)
呑気にもそう結論付けたわけだが、サイラスの期待は早々にして裏切られた。
「悪い。仕事で長居はできない。レイヴァースに届けたら、また来る」
「そうか。気を付けて、……」
往来があるので手を繋ぐことも、久しぶりの再会を喜びキスすることもできなかった。街の入口まで見送ると言ったが、テリオンは急ぐからと駆け足で行ってしまう。
サイラスも仕事を優先しがちであるので、テリオンが仕事を優先することへの抵抗はなかった。が、レイヴァース、と名前を唱えられると、具体的な人物像が目に浮かんでしまう。
華奢な体躯に、柔らかな微笑み。テリオンが依頼として盗みを続けるようになったのも、彼が本当の意味で自由に旅をするようになったのも、彼女達のおかげだとよく知っている。
(……私、は)
図書館に落ちる陰の中へ逃げるように、室内へ戻る。
少しだけ、罪悪感を抱いてしまった。
好意を抱き、伝えたことも、相手からの好意を受け入れたことにも後悔はないが、肉欲にまで溺れるのは不健全ではないだろうか。
もとより、生殖のための行為である。同性では愛情を確かめるために行うと言ったが、確かめる必要がないのなら、行わずとも問題はないわけだ。
それなのに、二度目を。それも、欲しているからという理由だけで願うのは、自慰と変わらない。
サイラスは自身の欲求の大半が知識欲だと自覚していたが、これは厄介だぞと頭を抱えた。
誰かと共にしか知り得ない知識──体験を前に、果たして己はどれだけ見ないふりができるだろうか。
それから、テリオンがアトラスダムを訪れることはなかった。
ひと月が経ち、ふた月が過ぎ、無事だろうかと安否の確認をしたくてクリフランドの方角へ手紙をやれば、無事だ、とだけ返ってきた。
約束を忘れるような性格ではないと理解しているが、忙しければ忘れてしまうこともあるだろう。サイラスも謎めいた出来事や物につられて、仲間達の輪からはみ出てしまったことがある。ゆえに、忘れてはいないか、と訊ねるようなことはしなかった。
代わりに、書物に手を出した。
流石に地元で春画を探すと気恥ずかしいので、それとなく近しい分野の薬師の書物を探すようになった。
知れば、満足するだろうと。サイラスはそう考えていたわけだが、どうにもうまくはいかなかった。
知れば知るほど、試してみたくて仕方がない。
テリオンならばどうだろうかと──テリオンが相手なら、自分はどれだけ感じられるだろうかと、とにかくそんな考えが浮かんでしまって、三ヶ月目が過ぎる頃にはあまりの虚しさに本を読むのを止めてしまった。
そろそろ発散をせねば体調に影響が出るな、と考え始めたとき、サイラスはあることに気付いた。
もとより自慰には消極的であったが、前より一層、やりたくないと感じる。
理由はすぐに思い至った。テリオンと夜を共にしたからだ。二人であればあれほど心地が良いのだと知ってしまって、……つまりは一人だと物足りないと知ってしまったのである。
それでもせねばならないからと事務的に自慰を行えば、性欲が刺激されて後ろへの欲求が高まり、とうとうこの日、サイラスは自分の指を初めて入れてみた。テリオンがするようにうまくはいかなかったが、幸いにして指が長かったので前立腺に触れることはできた。
一人、ベッドに籠もり、何をしているのだろうと思いながら、熱に浮かされたように少しの間それを弄り、やはり達するには到らず、どうにか熱を冷まして、最終的に諦める。欲求の波が引いていくと、一人服を乱してベッドに座っていることが酷く惨めに思われ、以降、サイラスは自慰も避けるようになった。
自身の欲求への一通りの理解が及び、同衾を経験する前までのような落ち着きを取り戻した五ヶ月目、ついにテリオンが顔を見せた。
あまりに唐突で、予想していなかったものだから、さしものサイラスも持っていた本を取りこぼすところだった。
講義を終えて廊下に出てきたら、恋人が居心地悪そうに立って待っているなど、誰が考えよう。
「……久しぶりだね。元気そうで、なによりだ」
生徒の目があるからと、サイラスは穏やかな声音でそう言った。テリオンは、ああ、と頷くと、
「まだ講義があるのか?」
と問う。
「いや、今ので最後だ。それが何か?」
「宿を取るか、迷ってる。久しくベッドで寝てない」
「それはいけない。疲れているのだろう? 宿の方が広いだろうから、」
サイラスが言い募ろうとするのを片手で制止し、テリオンはわかったわかったと肩を竦めた。
「悪いが、食事は一人で取ってくれ。宿にいる」
「ああ、うん。そうするよ」
テリオンの姿が学院の外に消えてようやく、ドッと心臓が早く脈打ちだした。
やっと会えた喜び。声が聞けたことによる安堵。それから──……。
(いけないいけない。流石にそれは、期待のし過ぎだ)
あの様子では約束の方もすっかり忘れているだろう。咎めるようなことはしたくはないし、サイラスの方から言うのはやめておくことにした。
しかし。
言わないとは言ったが、したくないのかというと、そうではない。
(……寝ている)
宿の店主に訊ね、部屋の鍵を受け取り室内へ入ったのだが、テリオンは起きる気配を見せなかった。人の気配に聡い部分があると思いこんでいたが、意外と、そうではないのかもしれない。
寝たふりをしているとも考えられたが、フリをする理由が思い当たらず、疲れているのだろうと判断した。
服を脱ぎ、持ってきた寝間着へと腕を通す。ブリーチズや靴下を脱ぎ、裸足となると、途端に前のことを意識してテリオンを見てしまう。
寝ている。寝ているのだ。だから今夜は何もしないし、起こらない。
自分のベッドに入るべきだとわかっていたが、つい、寝ているのか確かめたくてテリオンの眠るベッドに近付いてしまった。
前髪で顔が見えない態勢であったので、諦める。が、そこから動けない。
(……起こさなければいいのでは。いや、いや! 私は何を考えて)
温もりが、そこにあるのだ。触れたいと思うことの、何がいけないのだろう。
恋人同士なのだ、いくらテリオンでも怒りは──。
(うん、怒るだろうな。久しぶりのベッドだと言っていたし、ゆっくり寝たいだろう)
迷い、テリオンの頭を撫でるかのように手を伸ばしかけて、やはり止める。
「……テリオン」
ため息とともに名前だけ囁いてみたが、寝息しか返らない。シーツの下に手を差し込んで、ほんの少しだけ温もりを感じてみる。
恐る恐る指先に触れてみたが、テリオンは起きなかった。
少しだけ指先を握って、腕を引く。寝込みを襲うなんて理性のないことをして、彼に幻滅でもされたら事だ。
サイラスは久しぶりに感じた指先の温もりだけを噛み締めて、大人しくもう一方のベッドで眠ることにした。
3.
それからしばらくテリオンはアトラスダムに居座ると言った。
理由を聞くと言葉を濁したので、盗みの依頼が一通り落ち着いたのかもしれない。
なんにせよ、再び一緒にいられるのは嬉しかったので、サイラスはあまり気にしなかった。
五日が過ぎ、次の週に入ると、再び、欲求も凪いできた。
手を繋ぐ機会はなかなか恵まれなかったが、挨拶程度のキスを許してもらえたからだ。さらに、日常的に顔を見ることができて安心したことで欲求不満が落ち着いたのだと考えると、世間一般的に恋人が夫婦となって共に暮らすのも頷けた。
(……というのは、半分冗談で)
寝室の扉を前に、サイラスは立っていた。
今夜は珍しくテリオンが湯を浴びたと言って先に寝室に寝ており、つまりは、今夜はおそらく、性行為に及んでも良い夜だった。
前は全てを受け入れられなかったとはいえ、サイラスが受け手に回った。だから今度はテリオンがそちら側を担うつもりで先に部屋に入ったのなら、この扉を開けてしまえば、サイラスは挿入側として振る舞わねばならないわけで。
(言えば、聞いてくれるだろうか)
無論、この順番というのもサイラスの独りよがりなものだ。実際には違うかもしれないが、確認をするということは、すなわちテリオンに『抱いてほしい』と伝えることにもなる。
(……言、えるのなら、これほど悩みはしないのだろうね)
今更何を気まずく思うのか、自分でも分からない。羞恥なのかも不明だ。言いづらいのは、何故だろう。テリオンは相手を気遣える人物であるが、嘘は言わないし誤魔化しもしない、誠実な人間であるのに。
(──そうか)
断られることを、何よりも恐れている。
日によって気分などいくらでも変わるから、したい時もあればしたくない時もあるだろうに、自分にとっては、今が正念場のように感じられて、尻込みしているのだ。
原因が分かれば、あとは対策するのみだ。言い聞かせる。大丈夫だと。もし抱く側に回ることになったら、素直に相談しよう。最後までできないかもしれない、それでも良いかと。
ノックをする。返事はない。
「……入るよ」
恐る恐る扉を開けてみて、拍子抜けした。
テリオンは既にベッドで眠っていた。
「……そうか。うん、……だよね」
立ち尽くす。てっきり『する』ものだと思って念入りに綺麗にしてきたものだから、自分の浮かれ具合に熱を出しそうだ。
はあ、とため息をつきながら、自分のために開けられたスペースに腰を下ろす。
なんとも、呑気な人だ。それとも、サイラスがただ考えすぎ……浮かれ過ぎなのだろうか。
(分からないな……。他の夫婦はどのようにして夜の営みをしているのだろう)
静かに隣に頭を横たえ、横目に寝顔を盗み見る。綺麗な鼻梁を見つめていると触れたくなって、つい身体の向きをテリオンの方へと変えてしまった。
抱き締めては、流石に起こしてしまうだろう。前は指先を握ったことを思い出し、あの程度で起きぬのなら、頬に口付けても問題あるまいと唇を寄せた。
肌に触れると、ほんの少し、気持ちが慰められるような気がする。
「はあ……私が寝込みを襲うとはね」
これ以上見つめていると何をしでかすか分からない。サイラスはテリオンに背を向けて、大人しく眠ることにした。
勿論、というと語弊があるが、この時テリオンは起きていた。
咄嗟に眠ったふりをしたのは、彼自身、サイラスを待たせすぎたという自覚があり、それこそこの鈍い学者なら忘れてしまっているだろうと予測したからだった。
(この程度で寝込みを襲う、か。……かわいいもんだな)
寝入ったサイラスは、ちょっとやそっとでは起きないことなど、既に検証済みだ。テリオンは触れるだけのキスを唇と額にしてやり、頬を撫でてから自分の荷物に手を伸ばす。
──初夜を済ませてから今日まで。何故こんなにも時間がかかったのかというと、うっかりレイヴァースの人間に恋人ができたと言ってしまったためであった。
『まあ……! おめでとうございます。でしたら、どうぞお祝いに、贈り物をさせてください』
『お嬢様。素晴らしいお考えではありますが、テリオンの恋人ですよ。きっと相手の方は誤解するでしょうから、物はお控えなさるとよろしいかと』
『そ、そうですね。すみません、つい……。それで、どんな方なのですか? どのようにしてテリオンさんは相手の方を射止めたのでしょうか?』
根掘り葉掘りとまでは行かずとも、気付けば茶会よろしく紅茶と茶菓子が用意され、世間知らずのお嬢様の娯楽として話をさせられたのだった。
話が終わり、もういいだろうと席を立ったところで、それならばと彼女は言い出す。
『入り用でしょうし、ヒースコート。あの件をテリオンさんに依頼してはどうでしょう? テリオンさん、報酬を弾みますから、よかったら話だけでも聞いていただけませんか?』
そして、その仕事を果たし、報酬を受け取る際に、そろそろ記念日が近いですね、と言われたのだ。
『初めてのお付き合いから一年……素敵な贈り物をすることをおすすめします』
彼女はどうやら相手が女だと思い込んでいるらしい、とテリオンは話半分に聞き流したが、いざフラットランドまで来てみて妙に、手ぶらであることが気にかかった。
物を他人に譲ることはあっても、贈ったことはほとんどない。
そんなテリオンがひと月でどうにか見繕ったのが、指輪だった。
実を言うと、サイラスが寝ている時に忍び込んで指のサイズを測り、指輪を受け取ってから顔を見せた。指輪をするだろうかという疑問と、このくらいしておかないと虫が寄ってくるだろうという思いで眠れなかったので、寝ていない、といったのは嘘ではない。
「……大丈夫そうだな」
サイズの確認をして、箱の中に戻す。
さて、記念日だのなんだの覚えているかはともかく、どうやら彼はテリオンが思うよりずっと性に積極的なようなので、明日からはかわいがってやることにしよう。
隣に寝直し、テリオンも目を閉じて次の朝を寝て待つことにした。
4.
「あんた、いつなら仕事は休みになるんだ?」
翌朝、テリオンから訊ねられて、サイラスは小さく首を傾げた。基本的に安息日は仕事をしていなかったからだ。
「闇曜日だよ。先週もそうだったと思うが……」
朝食のベーコンエッグを焼いていたテリオンは、サイラスの持ってきた皿に軽やかに載せると、今度はパンを小型ナイフでスライスし始める。サイラスがその隣で一口サイズにチーズを切っていると、横からチーズを奪われた。
「先週あんたは市場を見て回るかと行って俺を街に連れ出したあと、黒猫探しを手伝って一日潰したぞ」
「はて、そうだったかな」
言われてみれば、首輪を片手に涙ながらに歩いていた少女に声をかけ、猫探しを手伝ったような。
テリオンが盛り付けた皿を卓上へ運び、着席すると、彼もまた向かいに座ってため息をついた。
「今日は俺の用事に付き合ってもらう」
「いいよ。どこへ行くんだい?」
「……商店に。装備と装飾を見繕う」
「この街で? キミの装備は十分頑丈なものにしていると思うが……」
「いいから、食べるぞ」
オルステラ全土を旅して回ったのだ。武器も防具も、装飾品もそれなりの物を手に入れている。消耗でもしたのだろうかと、椅子に掛けられた上衣や壁に立てかけられた装備に目をやったが、まだまだ使えそうだった。
不思議に思いながらも朝食を食べ終え、促されるままに出かける。
見慣れた街並みでも、テリオンと共に歩くだけで景色が異なって見える。彼が商店の品々に目を留めたり、建物の造りをじっと観察したりしていると、盗みのための下調べにも思われて、わくわくする。
彼の邪魔をしないよう隣を歩きながら、しかし、と本心を思う。
腕を組むことも、手を繋ぐことも、人目を思うとしづらい。
穏やかな過ごし方がテリオンにとって何より重要だと自分でも分かってはいる。肩を並べられる今が幸福であることも。
「……どうした」
「ん? いや、特に用事があったわけではないよ」
触れ合うことのない肩を、こちらを見てはくれない横顔を、意識してしまうのは、どうなのだろう。
テリオンに気取られたことに反省して、気を取り直して彼の買い物に付き合った。
夕方になってしまった。
あとは酒場に寄って、食事をして、帰るだけ。
疲れのせいか思い出されてきた様々な欲求は、酒で抑えるとしよう。
「そろそろ夕食にしよう。そこの酒場で……」
「悪くはないが、今夜は家で食べたい」
「分かった。では、あちらの店で買うとしようか」
指した左手を、何気なく取られた。触れた手は温かく、以前肌を重ね合わせた時の心地良さを簡単に想起させる。
ここで何かを言えば、きっとテリオンは恥ずかしがって離してしまうだろう。
そう思い、サイラスは特に気にしていない風を装い、軽食をいくつか購入してテリオンに持たせた。
ワインを買って、帰路につく。エールは樽ごとでしか購入できず、一杯だけ飲んできた。
何度か手を離すことはあったが、テリオンから繋がれたことを免罪符に、サイラスの方から指先に触れて、強請るように繋ぎ直してもらっていた。テリオンは大して気にしたふうもなく、素直に応じてくれた。
よくよく考えてみれば、盗賊の彼がわざわざ片手を他人に委ねるというのは珍しい。有事を思えば、両手を空けておきたいはずだ。
それでもなお手を繋ぐことを許してもらえたのなら、サイラスはそれに感謝して、素直に甘えたほうがいい。
(そのくらいは、触れたいと思ってもらえている……ということかもしれない)
家が近づいたので、鍵を取ろうとポケットを探る。ところが、見つからない。惜しみながらテリオンと繋いだ手を離そうとすると、
「持ってろ」
と荷物を渡される。
「こっちか?」
「わ」
問答無用に彼に近い方のポケットに手を差し入れられ、どきりとした。太腿に近いところに手のぬくもりがある。動く度に手の甲に表面を撫でられるようで、妙な気を起こさぬよう努めるので精一杯だった。
「あったぞ」
「……ありがとう」
本人の様子に変化は見られないので、サイラスも平然を装って応えた。
帰宅し、支度を整える。食事を済ませると窓の外はすっかり暗くなり、燭台に火を灯す時間となった。
外を歩き回ったからと身体を拭くことを進めた。あわよくばの思いも勿論あった。
「私は先に寝室にいるよ」
「ああ」
テリオンが寝てしまう前に、聞くだけ、聞いてみよう。そう腹に決めて、寝室に入った。
テリオンがやってきたのは、それからすぐだった。
「もう終わったのかい?」
「そうだが。……なんだよ」
「え、いや……なにも」
「そうか?」
サイラスが準備をしようかと考え始めた頃でもあった。取り出しかけた道具は一旦引き出しにしまい、入ってきたテリオンの動きを見守る。
靴をベッド脇に脱ぎ捨て、彼は無造作に倒れ込んだ。男性二人が寝るには狭い場所だが、今夜もそこで寝るのだろう。
「火を消すよ」
「ああ」
彼が目を瞑ったので、暗くする。窓の明かりを頼りにベッドに近寄り、サイラスも腰掛けた。
「テリオン。……その、もう寝るのかい?」
「……それは、暗に寝たくないと言ってるのと同義だぞ」
「そうだね」
返事があったことで、一層期待が膨らむ。平常心を心がけて、暗闇の中、手探りにテリオンに触れようとしてみる。
腕に触れた。それから、手を見つけた。
「今夜は、キミと触れ合いたいのだが、どうだろう」
「──いいぜ? あんたはそこに寝てろ。取ってくる」
「え? ああ、うん……」
あっさり認められると、それはそれで落ち着かない。テリオンがいなくなった場所に座り直して、待つことにする。
(……どうしたものか)
まさか彼の方から準備をすると言い出すとは。
今のうちに申し出ておかねば、彼の善意を無駄にしてしまい、せっかくの了承も撤回されかねない。ここ数ヶ月の悩んではいたことではあるが、相手に恥をかかせてはいけないという思いもあり、すぐに決断した。
「テリオン。その、相談があるのだが」
「……なんだ。言ってみろ」
言えた。が、やはり、警戒されている。
テリオンの声音に緊張が滲んだことを受けて、サイラスも心構えをした。不公平だという自覚はある。だから、この願いが聞き届けられなかったとしても、仕方ないこととして受け入れよう。
「今夜も……キミに抱かれたいのだけれど、良いだろうか?」
「……何を言い出すのかと思えば」
テリオンは戻ってくると、サイラスの方へ何かを投げた。小瓶だ。それと、これは避妊具と、薬だろうか。何のための?
「もともとそのつもりだ」
サイラスの隣に腰掛け、テリオンが肩を抱き寄せる。触れ合うだけの口付けをされて、彼が離れようとしたので、慌ててサイラスの方から首に腕を回した。
今度はサイラスから行ったが、上唇の端の方にしか触れられず、下手だな、とテリオンにはかすれた声で笑われた。
背中を支えられながら、ベッドに寝かされる。ブラウスの裾を引き出され、脇腹に手が差し入れられた。
手慣れているなと関心していたのも束の間、腹や胸を撫でられ、くすぐったさに思わず押し返す。
「てっきり、こういうことは……ン、双方で行うものかと、」
「俺はもとより、サイラス、あんたを抱くつもりだった。……前は中途半端だったからな」
「? そう、だったかな……? うわっ」
下履きをずり下ろされ、テリオンにしがみついた。下着もまとめて脱がされたので、めくり上げた服の裾から太腿から下が丸見えだ。そこにあるのが見て取れるらしく、テリオンの手は迷いなく腰から臀部にかけて触れていく。
「は、入ったと、言っていた、気もするが」
言いつつも、どこまで中に感じたかなど覚えているはずもない。垂らされた潤滑油が折り曲げた腹の窪みに溜まっていく様子を肌で感じながら、確かに膨張していく自身の陰茎の影を見つめていた。
そこにひたりともう一つ影が現れる。擦り合わせるように、テリオンの手がそれらをひとまとめに握り込んだ。強い、奇妙な感覚に、片手を伸ばして抵抗する。
「な……なにを、っんう……!」
ほとんど押さえ込まれるかのような強さで舌を捕われ、性器を擦り付けられる。膝を抱えられているからか、挿入されているかのような錯覚を起こす。口を解放されたと思えば首筋に歯が立てられ、そちらに意識を取られて下半身への刺激が一層心地よく、甘く感じられた。
絶妙な力加減で絞り取られるかと思えば急に手が止まる。
「あっ……な、なぜ、止め」
「すぐバテるだろ。我慢しろ」
「そんな、ッん、〜〜っ!」
入口にオイルを塗り付けられていたなとは思っていたが、まさかここで挿入されるとは思わなかった。つい指が奥まで入るように腰を反らしてしまう。その間に枕だかシーツかが挟み込まれ、じんじんと気持ちの良い違和感が下半身から広がった。
「……随分、すんなり入ったな。まさかとは思うが、自分でやったのか?」
ぎくりとした。そんなことまで分かるものなのだろうか?
「いや、そんな、ことは……」
返答を躊躇った一瞬でも、内部を指先で感じている彼には十分だったらしい。
「なるほど。図星だと締まるらしい……これはどうだ?」
それからテリオンの気が済むまで、指だけでしつこく中を弄られた。
何度か射精を防がれ、快楽の頂点と平時を往復させられるうちに、自分は何をしたかったのか、分からなくなってきた。
「良さそうだな。……挿れる」
そうだ、そうして欲しかったはずだ。息切れでうまく回らぬ頭をどうにか持ち上げ、先程は擦り合わせたテリオンの陰茎が中に入ってくるのを見つめた。先端が入ると身体を丸めていられなくなる。浮かせた腰はしっかりとテリオンの両手に固定され、太腿が痙攣してもなお離してもらえず、とにかく声を上げぬようにと口を両手で覆い、両足のつま先を丸めて激しい快楽の波を受け入れた。
「は、あ……ッア!」
ぐり、と一等感じるところを擦られる。
はあ、はあ、と意識して一つ一つ長く息を吐く。下半身を襲われているはずなのに頭の中まで熱に浮かされている。気持ちが良い、このままでいたい。離れないで──らしくないことを口走ってしまいそうだ。
「サイラス? ……どうした」
「ッう……動かないで。だめだ、待って……いま、」
びくびくと中の心地よさに震えてしまう。知らぬ間に射精してしまったのではと疑うほどの、激しい官能だった。
「……ああ、イったのか」
どうやら予習をしたサイラスよりもテリオンの方が実技の経験が勝るらしい。腹筋を撫でるので咄嗟に手を掴んで止めれば、殺しきれぬ笑い声をその口から零した。
「安心しろ。待ってやるから……」
そう言いながらさらに奥まで入ってきて、肌を密着させる。動いてほしくなくて背中に手を回したが、爪を立てたところで筋肉質な肌に引っかかるようなこともなく、ただ、しがみついて身悶えるしかできなかった。
宣言通り、テリオンはしばらく大人しくはしてくれたが、その後はなかなか離してはくれなかった。
戦闘時、彼は時に斥候のような動きもするので、前衛の中でも身軽で、剣戟も回数で押し勝っているのだとサイラスは思っていた。前線で術を放てばそれなりに陣形が保てるからと、前に出ていたサイラスだったが、その度に邪魔だと叱られ、オルベリクが仲間となってからはすっかりテリオンの後ろ姿を見て連携するだけとなっていた──
(動けない……)
しなやかに、軽やかに動いていた腕にこれほどの力があるとは知らなかった。かろうじて体重をかけられてはいないが、頭部は既にサイラスの肩口に押し付けられたまま、キスや内出血を残す以外で微動だにしない。
「いっ、ア……はあ……っ」
目元を、手の甲で覆う。天を仰ぐように仰け反り、呆然としてしまいそうなほどの悦楽の中、燃えるような強い感覚に喘いだ。
さざ波のように、熱が引いていく。触れられるそばから溶けていくようだった肌が自分のものに戻っていく。
ぱた、と頬に何かが落ちてきた。涙だろうか。彼も感じ入り過ぎて、混乱したか。
「……て、テリオン。血が」
「あ? ああ……すぐに止まる」
「何を言って……! 離れ、テリ──んぁっ」
洟でもすするかのような雑さで鼻血を拭い、テリオンが離れた。
痛いほど拡げられていたのだと分かり、喪失感に後ろの窄まりを意識したが、急いで身を起こし、小脇の棚から手巾を取って渡した。
ずくんと腰が痛んだが、なんとか立って、座り直すことができた。
しばしの沈黙。腹上死という言葉があるそうだが、意外と簡単に起こり得ることなのかもしれない。そんなことを考えて余韻を誤魔化そうとしていたサイラスは、ふと、手元に小さな箱が置かれていることに気付いた。
「おや? こんなところに箱が……テリオン?」
「少し早いが、あんたにやる」
何が早いのだろう。昼間の買い出しの際に購入したのだろうと二人で立ち寄った店を思い返しながら箱を手に取る。
布張りの箱は小さく、サイラスの手のひらにすっぽりと収まるサイズだ。つまり中はそれよりも小さい物しか入らないわけで。
「ブローチにしては小さいね」
「そうだな」
「これは……なるほど、指輪(リング)か」
精神の汚染を防いだり体力を底上げしたりと、オルステラには様々な魔術的効果の施された装飾品がある。テリオンがくれたのも、その類のものだ。翡翠が散りばめられた銀のリングは、月明かりを微かに反射して輝く。
どの指に入るだろうかと一つ一つ試していると、テリオンが横から割り込んで右手の薬指に嵌めてしまった。
「嵌める指が決まっているのか。なにかの慣習か……あるいは意味があるのかな?」
「まあ、そうだな」
「では、私からも贈ろうか。同じものを……」
言いかけたところを口付けられて、噤む。黙っていろと言うとき、かつ、照れくさい時、テリオンは時々こんな風にキスをする。
「金属の輪は、もう懲り懲りだ」
「罪人の腕輪を指しているつもりかい? それとこれでは意味が違うだろうに」
「いいや、そうじゃない。俺がしたところで盗んだものだ何だと目を付けられて面倒だと言ってる」
言われてみれば、盗賊が輝かしい指輪をつけていれば、それだけで印象に残ってしまう。流れるようにテリオンに押し倒されながら、サイラスはそれなら、と提案する。
「鎖をつけて、アミュレットにでも、装備にでもすればいいよ。服の内側なら、誰にも見えない」
「……考えておく」
「そうしてくれ。それで色は……そうだな、瞳の色だろうから、ブルーグレーにでもしようか」
「話はあとだ。今は」
口付けの合間に言葉を交わしていたが、テリオンがサイラスの片脚を抱え、一層肌を重ね合わせてきたことでサイラスもさっと意識を切り替える。
「では、これを代わりに」
その首に腕を回しながらすり寄り、始める前より柔らかくなった秘所へと彼を受け入れる。
最早どちらがどうと迷うことも訊ねることもなく、これが二人にとっての自然な形だと、よく分かったのだった。