2編あります
お題サイト様「腹を空かせた夢喰い」様より
お題「無知なクリスマスローズ」


赤帽子の伝説がどうとか語っていたのは、意外にもオフィーリアだったように思う。

フロストランドを抜け、一面小麦色の平原を横目にテリオンはアトラスダムを目指していた。吹き抜ける風は乾いており、触れたそばから熱を奪う。常冬と呼ぶに相応しいフロストランドを越えてもこれだ、この辺りも既に冬を迎えつつあるらしい。
寂しいポケットに両手を入れたのは寒さを凌ぐため。存外、テリオンの懐の方は温かい。レイヴァース経由で受けた依頼の報酬が入ったからだ。
金があれば酒にも飯にも困らない。オフィーリアに感化されたわけではないが、赤帽子にちなんで恋人に贈り物の一つでも買ってやってもまだ余りがある。
おそらくそれも含めての報酬だったのだろう。マフラーの内側で小さく苦笑して、貸しが一つできたなと思いながらアトラスダムを囲う塀の門を通り過ぎた。

城は向かって右手奥、市場や住宅街は左手に続く。サイラスの自宅の場所もすっかり覚えてしまっていたので、迷いなく左の道を選ぶ。
肉に果実に装飾品と露店はそれなりに賑わっていた。グランポートまではいかないが、王都である。仕立て屋に本屋、道具屋に宿屋も季節のイベントに乗じて凝った飾りつけをしている。
家にいるのか分からぬし、食事は避け、テリオンはワインを一本、それからサイラスが普段身に付けそうな装飾品を購入した。
容易く盗み出せるものを金を払って手に入れる時、いつも一人前になったものだなと皮肉めいた感情が沸き起こる。それは決して今の自分を揶揄するわけではなく、盗みを続けたことで得られた報酬への有り難みのようなもので、彼が今もなお真っ直ぐ前を向いて歩いている理由でもある。

さて、手土産も用意したことだ。テリオンは早速サイラスの家を訪ねた。
ドアノッカーに手を掛け、鳴らす。数カ月ぶりに会うからだろうか、早く出てこないかと気が急いて、首を掻いたりボトルを持ち直してみたりするが、家主の応答はない。なんだ留守かとため息をついた。
こんな時は二階の窓を確認する。二階の書斎で読書をしていて気付かなかった──なんてことが、サイラスに限ってはよくあるからだ。
「テリオン、おかえり」
扉から離れて二階を見上げていると、声を掛けられた。
「ただいま。……外に居たのか」
「ああ、ちょうど学院からの帰りでね。開けよう」
鞄を提げ、片手に本を数冊抱える姿は旅の頃とまるで変わらない。斜め後ろから割り込み、鍵を開けるサイラスの横顔を見つめて、テリオンはわずかに距離を詰めるか迷った。が、往来である。ここで恋人らしい睦まじさを見せつけたところで、彼を狙う女どもに目をつけられるだけだろう。
扉を開け、サイラスに続いて自分も中へ入る。内側から鍵をかけてようやく、肩の力を抜いた。
「……あんたが花を置くとは、珍しいな」
ふと、玄関脇の白い花に目を止めた。
サイラスは見ての通り学者一辺倒の男で、さらにいえば実践よりも知識ばかりの人間である。そんな彼が植物の世話をしているとは思えず、入手の経緯を尋ねる目的でテリオンはそう感想を口にした。
「隣の家からの預かりものだよ。ヘレボルス・ニゲルという、この時期にしか咲かない花だ。綺麗だろう?」
十分な返答に頷いて、土産だ、とワインを卓へ置く。
同じく机に鞄や本を置いてきたサイラスは、早速ワインを手に取りラベルを見つめて笑った。
「いいね、ウッドランド産の赤ワインか」
グラスを用意しようかとサイラスは食器棚へ向かう。その背後で、買っておいた装飾品を取り出した。
「ヘレボルスは、遠い地に出向いた恋人を思って咲くらしい」
懐から取り出す直前、かけられた言葉に思考を止めた。これはただの勘だが、彼は知識を示しただけではなさそうだった。
「会えて嬉しいよ。テリオン」
ワイン用のグラスを持たされ、注がれる。テリオンが代わる間もなく自分のグラスにも酒を注ぎ、サイラスはボトルを置いて、グラスを掲げた。
逡巡の末、贈り物は懐に隠したまま、グラスを持ち上げる。
「……再会に」
「ああ、乾杯しよう」
会いたかった、会えて良かった──ふと、そんな言葉は一度として口にしたことがないなと、芳醇な香りを味わいながら思った。

テリオンがクリフランドを盗みの拠点としているのは、鉱山が多く、香辛料や塩も採れ、貴族が裕福だからだ。
アトラスダムも比較的金のある都市だが、王城にほとんどの富が集中しているし、警備も多い。どんな宝が納められているのかも分からない上、その価値も判別しがたいので、どうしても食指は動かない。それに、サイラスが生まれ育った町をわざわざ手にかけるつもりもなく、拠点として選ばれるはずもなかった。
そんなわけで、テリオンはサイラスに会う以外の用事でアトラスダムにやってくることなどほぼないし、実際、今回も彼の顔を見るために──エルフリックの聖夜祭にちなんで二人で過ごしてはどうかという有り難いアドバイスに従いやってきた。

「口に合わなかったかな?」
「いや、」
いちいち言わずとも分かるだろうと思っているが、この時は妙にそれを言わなければならないような気がして、テリオンはグラスをゆるやかに回し、一息にワインを飲み干した。
「……言い忘れていたが。あんたに会いにきた」
「そうか」
サイラスは微笑むとグラスを卓に置いて、テリオンへ近寄る。
「来てくれて嬉しいよ。ありがとう」
誰にも伸ばされることのなかった腕に抱き締められ、驚く。
彼がこんなことをするのは、夜、ベッドの中でと決まっていたが、案外、テリオンが知らないだけなのかもしれない。


お題サイト様「確かに恋だった」様より
恋愛の教え10題から
『どんなに優れた頭脳も、恋の前には無力である』


アトラスダムから友人が旅立っても、先輩が立ち去っても、サイラスは一度として後を追いかけようと思ったことがない。
友人が旅立ったのは劇作家として活躍するため。先輩が立ち去ったのはアトラスダムでなくとも研究を続け、人に教えることが出来るから。どちらの考えも理解の及ぶものであったから、ならばそれぞれが好きなように人生を歩めばよいとサイラスも素直に彼らを見送った。
だが、こと恋においてはそうもいかない。

「また来る」
「ああ、うん。いってらっしゃい」
門の前で立ち止まり、テリオンを見送る。その姿が見えなくなるまで佇み、声にもならないため息をつくのは、もう何度目のことか分からない。
レイヴァース家の彼らが見送るのなら、仲間の自分が見送ってもおかしくはないだろう──そんな言い訳も、数え切れぬほどしてきた。
彼女達の見送りを許容していくテリオンの姿を近くで見てきたからこそ、恋を自覚してからというもの、嫉妬を抑えられず、こうして出てきてしまう。
伝える気はないくせに、行動は止められない。我ながら矛盾した思考だと苦笑して、サイラスは自宅へ戻る。
誰も居ないことが当たり前であったのに、彼がいなくなった時が一番寂しさを覚える。
それだけ彼に焦がれてしまっているのだと、この恋の重さを自覚して、もう一度ため息をついた。

***

──なんて日々は、付き合ってからも変わらない。
テリオンから好きだと明かされて、それがサイラスの抱く感情と同じ類のものだと分かってから、半年は経っている。子どものように無垢な恋に焦がれる時期は過ぎ、愛を知り、互いに好き合っているという自覚と自信を教え込まれて久しい。
けれど、誰も居ないがらんどうの家を前にすると、どうしても過るのだ。今日も彼は来てくれなかった、と。
養える程の金があれば、という話でもない。互いに自由に生きると決めていて、定住を選ばないテリオンの生き方を尊重している。そこに偽りはなく、ただ同じくらい焦がれているだけなのだ。
空気は冷え切っていて、暖炉に火を焚べてもまだ寒い。買ってきたスープが冷めないうちに食べてしまおうかと卓に並べたところで、ドアが叩かれた。
近所に住む老夫婦だった。
「先生。これなんだけどね。花が増えすぎて困っちゃって、飾ってもらえないかね」
「世話はできないが、構わないかね?」
「ええ、ええ。水やりくらい、代わりにしますからね」
では、と預かったのはヘレボルスの花だ。花言葉は追憶、私を忘れないで。恋人を思い、頭を垂れて祈りを捧げるように慎ましく咲く白い花が、神官の清楚な姿に似つかわしく、熱心な聖火教信者の家に多く咲いている。
白というとテリオンの髪色が近しく、それもあってつい両手に抱えてしまった。玄関脇に置き、立ち上がる。
自分はこの花のように慎ましい性格でもなければ、忘れないでと口にする度胸もない。
ただ、そういう意味をもたせられる花がそこにあることで、寂しさが慰められるような気分だった。


風の噂か、盗公子の報せか。
それから数日して、テリオンはやってきた。
リボンが飾られたボトルを片手に持っていて、まるで聖夜祭を祝うかのように思われたが、そういうわけでもなさそうだった。
「……言い忘れていたが。あんたに会いにきた」
珍しくもそんなことを言うので、つい、抱きしめてしまった。年が違うからだろうか、そんなふうに素直な態度を取られると、かわいく見えてしまっていけない。
残ったワインを片手に、食事は外で。赤ワインに合う肉を出す店へ連れ出し、舌鼓を打って夜を過ごす。あまり長話をしては退屈にさせてしまうだろうと早々に話を切り上げ、帰路についた。

テリオンはずっと、片手を懐にしまっていた。何かを隠しているにはあからさまであるので、逆に今まで触れずにいたわけだが、怪我をしているのではないかとも思い、サイラスは家の中に入ってようやく、話を切り出した。
「そういえば、ずっと腕に何かを抱えているようだが、どうしたんだい? ……いや、気になっただけさ。咎めるつもりはないのだが」
分かりやすく動きを止めたので、言葉を重ねる。怪我をしているなら薬師に見せるべきだし、そうでなくとも片手が使えないのは不便だろう。
「……ん」
「アクセサリのようだ。もしかして盗みの帰りだったのかな」
「違う」
月の光を反射したから金属製のものだと判じたのだが、違ったようだ。
手燭に灯した火を燭台へ移し、部屋を明るくしてからもう一度テリオンの手元を見る。ネックレスというにはあまりに長い。
アメジストが蝋燭の火を受けて輝く。
「そのローブに付けたら良いと思っただけだ」
「というと、これは私に? ありがとう、受け取らせてもらうよ」
盗品を渡すような性格ではないから、わざわざ購入してくれたのだろう。
サイラスは普段、アトラスダムで一般的な学者の装いを心がけているが、さほど服装に気を使わない。ローブを羽織っているのは、それがなければ不審者になってしまうからであり、学者であることを見せびらかすつもりは毛頭なかった。
ローブの上に重ねるポンチョも、二十歳の時に受け取って以来そのままで、装飾も変えたことはない。彼がそれを気にするとは思えないが、贈り物として着飾るものを選んだその感性は間違いなく盗賊としての彼のもので、サイラスはその贈り物の相手として選ばれたことにこの上ない喜びを覚えた。
「少し待ってくれ」
「付けるのか?」
「そうしようかと」
「……明日でもいいだろ」
ポンチョを脱ぎ、早速装飾品を取り外そうとしたサイラスの手を、テリオンが止める。寒い冬空を歩いてきたというのに、熱い。
酔いが回ったのだろうか──などと心配できたのは、唇を奪われるまでだった。
「……そ、うだね」
返答が許されたのはほんの僅かな間で、自分が後ずさりをする度に靴音が立ち、やがてソファが軋む。
惚れた弱みともいうし、恋は盲目ともいう。いずれも自分に当てはまる。
そしてさらに持論を重ねるなら、たとえ多くの知識を持っていようと、好きな相手の前では無力になるのが、恋の恐ろしい側面だろう。


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