好奇心は猫をも殺す

「サイラス」
カウンター席でひとり本を片手に酒を飲んでいると肩を叩かれた。プリムロゼだ。酒場では踊ったり仲間内でおしゃべりを楽しんだりと賑やかに過ごす彼女は、サイラスとはなかなか同席することが少ない。なにか理由があって話しかけられたのだと察するまでに、そう時間は必要なかった。
「どうかしたのかい?」
「テリオンたちが寝ちゃったのよ。手を貸してくれない?」
そういう彼女の頬も赤らんでいて、酒気がここまで漂う。それならばとオルベリクにも声をかけ、テーブルに突っ伏す二人の後ろに立つ。
「今日の部屋割りは……私がテリオンと、だったね」
「ああ、俺はアーフェンを」
オルベリクがアーフェンの鞄から部屋の鍵を探し出し、幾分軽やかに肩を貸す。サイラスは先に鍵を受け取っていたので、テリオンに一声をかけてから腕の内側に入り込み、よっ、と彼の腕を自分の肩に回した。
「うっ……」
「大丈夫か?」
「まあ、なんとか」
サイラスのほうが上背であるから歩く分には平気だが、成人男性一人を立たせるとなるとどうしても力が必要だ。寄りかからせるまでに数分時間を費やして、プリムロゼが開けた扉をくぐり宿を目指す。
宿に入ると、今度は階段だ。半ば引きずるようにテリオンを部屋へ運ぶ。
「ふう……」
ストールを畳んで端に置いてやり、すうすうと眠る彼にシーツをかけてやる。
(……なんだか、毎度運んでいる気がするな)
同室になった日、テリオンは決まって酔い潰れるまで酒を飲む。それが偶然なのかはわからないが、何度も運んでいると、最初の頃との違いが意識されるもので、彼がそれだけ仲間に馴染んだ姿に微笑ましさを感じないこともなかった。
ローブを脱ぎ、ベストを壁のフックに引っ掛け、もう一つのベッドに入る。読書が途中だったなと小脇の棚の上に手燭を取り出し、蝋燭に火をつけた。
ゆらゆらと輝く明かりを頼りに、文章を指でなぞる。


テリオンが酔い潰れたふりをするのは、これで八回目だった。ふりというか、実際、それなりに深酒をしてはいて、半分は寝落ちまでしたが、残る半分はそこまでの酔いではなかったという、ただそれだけのことである。
即ち、今回もそのどちらかであることは明白で──サイラスの肩を借りて部屋に戻ってきたのだと理解するほどには、酔いは醒めていた。
(……本を読みながら寝るなよな)
薄目を開けて見守っていたが、サイラスは読書をしながら寝落ちしたらしい。壁に寄りかかり、顔は俯かせ、すーすーと微かな寝息で肩が揺れる。下半身はシーツに覆われているが、上半身はブラウス姿で、この砂漠の街では朝方寒さに震える羽目になることは分かり切っていた。
音を消して動くのはテリオンの得意とするところである。起き上がり、サイラスの手元から本を取り上げ、手燭の隣に置く。いや、これではテリオンが起きていたことがバレてしまうかと考え直し、ベッドの上に置き直した。それからシーツを引っ張り上げ、肩まで掛けてやる。これならいいだろうと、消すだけとなった手燭に手を伸ばし、ふと、寝入ったサイラスを横目に見た。
愛嬌のある、整った顔立ちをしている。光の加減で程よい陰影が顔や首元に落ちており、ブラウスのシワ一つまでもがくっきりと浮かんで見える。
閉ざされた唇を見つめて、つい、自分の下唇を甜めた。
毎度サイラスと同室となる度に酔い潰れたふりをしているのは、彼と同じ部屋でどう過ごせばいいのかわからないからだった。いつの間にか芽生え、困惑と混乱を乗り越え覚悟を持って受け入れた恋のような愛のような感情は、わかりやすく性欲の形を取ってテリオンの中に存在していた。いつ何をきっかけにしてこの鈍い男に思いを打ち明け玉砕となるか分かったものではなく、それを避けるためにこうして酒に溺れてみているのである。しかし、これは反面、テリオンに予想外の幸運をもたらした。同室であることを理由に、毎度、サイラスが部屋まで運んでくれるのである。
酒に酔ったふりをしてその身体に絡むことは容易いが、そんなことをするつもりは毛頭なく、ただただいつもより近いところで感じられる体温に甘え、持て余した欲を発散させるだけに留めている。
「……」
柔らかい唇から自分のそれを離し、手燭の火を消す。暗闇に後悔を唱えながら自分のベッドに潜り込み、次は止めようとシーツを頭から被った。


「運べるか?」
「大丈夫だよ」
オルベリクがテリオンを脇から支え、立ち上がらせる。サイラスはアーフェンの腕を肩に回して、いつもの要領で椅子から立ち上がらせた。
テリオンを運ぶときと違い、アーフェンの方が上背であるのでよろめくことも多い。階段は流石に上れないからとオルベリク達と部屋を交換してもらい、一階の部屋へ向かう。
アーフェンを寝かせて、一息つくと、いつものようにもう一つのベッドに入る。手燭に火をつけ、もう少しだけ読書をしようかと本を取った。
「……ん」
次に目が覚めたとき、サイラスの手元の本には朝の光が落ちていた。読書をしたまま、寝てしまったようだ。同じ姿勢で眠り続けた弊害で、身体を伸ばすと節々から音が鳴る。肌寒さに肩を竦め、ローブに手を伸ばした。
そういえば、前もこんなことがあった。その時はシーツを肩まで掛けていたから寒くはなかったはずだ、と思い返したところで違和感を覚える。
町こそ違うが、シチュエーションはほぼ同じ。では、なぜテリオンと同室だったときと今とで異なるところがあるのか。
「……彼が先に起きていたのか。いや、違うな……」
考えられるのは、そもそもテリオンが眠っていないか、サイラスが寝た後に起きたか、だ。もしそうだとして、彼なら一言二言苦言でも呈しそうなものだが、何故黙ったままなのだろう。
疑問が生まれるのは、そこに謎があるからだ。サイラスは瞬く自分の瞳に朝日を反射させ、すっくと立ち上がった。
「彼に聞いてこよう」
それがまさか運命の分かれ道とも知らず、サイラスは手早く身だしなみを整えると、テリオンとオルベリクの眠る部屋まで向かっていったのだった。

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