forget-me-not


ほとんどオールキャラ。オチだけテリサイ。付き合ってる前提。
時間軸は全員4章後と思われます。


最初に空を見上げたのはオフィーリアだった。
あ、と小さく呟いたかと思うと近くを歩くトレサを呼び、空を指す。

「えっ、なにあれ」
「変……ですよね?」

その様子に何だなんだと仲間たちも視線を上向かせ、それぞれ反応する。

「なんだあ、ありゃ……」

不思議そうに首を傾げたのはアーフェンで、その隣では、サイラスが、ほう、と感嘆の声を上げた。

「月食だ。まさか見られるなんて」
「知っているのか」
「知識としては。私も見るのは初めてだ。月蝕とは、我々の立つこの星の影が月に重なることを言って──」
「先生!講義をするなら、ここで野営にしましょっ!」

オルベリクの問いに笑顔で応じるサイラスを制し、トレサは速やかに近くの木陰にリュックを下ろした。
リバーランドの川辺の道を歩いており、ちょうど、馬車が行き違えるように膨らんだ場所があったのだ。木を挟んで石垣が築かれ、プリムロゼとハンイットがその上に並んで座り、リンデが二人の足元に寝そべる。アーフェンが手持ちの籠を、オルベリクが荷籠をそれぞれ下ろしてトレサの荷物の傍に置いた。

「テリオンさん?」

両手をズボンのポケットにしまい込み、七人の様子を少し離れたところから見守っていたテリオンは、トレサに気付かれてようやく、輪に入った。
トレサが焚き火を起こし、アーフェンが食材を並べる。

「テリオン、手伝え」
「ああ」
「それで、月蝕とはなんなんだ?」

今日の調理担当はオルベリク、補佐はテリオンだ。短剣を取り出し、魔物の血が付着していないことを確認してから火で炙る。投げられた兎肉を一口サイズに切りながら、鍋の中に落としてやると、植物の種を絞って得た油がジュウと激しい音を立てた。
前日の料理担当だったハンイットと補佐のプリムロゼは、同じくいまは手空きのサイラスの方を見て話の続きを促す。

「星が影を落とすってどういうことなの?」
「そのままの意味だよ。我々の住まうこの大陸は、大きな星の一部とする説があるんだ……」

天空を研究する学者がいるのだと、彼は話し始めた。
アレファンの化身である太陽は、東から上り、西へ沈む。それは太陽がこの地を回っているのではなく、太陽を基点にこちら側が周囲を回るがためにそう見えているそうで、更に、この地はある軸を中心に回転しているのだという。

「初めて聞いたわ」
「うん、このあたりの研究は聖火教会や十二神の神話と矛盾する部分も多い。月蝕は聖火が月から火を吸収するために起こるという説もあるし、十三番目の神が力を取り戻すためとも言われていて、要はどれが正しい事実であるのか、まだ判明していないんだ。そのせいだろう。……ただ、呼び方は統一されている。月蝕だ。月が上っている間のほんの僅かな時間、あのように欠けていくことを、そう呼ぶことにしたんだ」
「おー……言われてみれば、さっきより暗くなってんな」
「やだ。トレサ、焚き火を大きくしておきましょ」
「そうね! 暗くなっちゃうってことだもんね」
「大丈夫。星があるよ」

プリムロゼとトレサが暗闇を恐れて対策を練るので、安心させるように、それに、とサイラスが付け足す。

「月蝕はなかなか見られない現象でね。一生に一度の出来事かもしれないから、幸運の前触れだとする言い伝えもあれば、不吉の前兆だという噂もある」
「ふふ、怖がってばかりではいられないということですね」

オフィーリアの相槌に、プリムロゼが両頬に手をついて拗ねる。
パチ、パチ、と焚き火が爆ぜた。オルベリクが香辛料と味付けの塩を振りかけると鍋の中に籠もっていた香りが外へ逃げてくる。トレサとアーフェンが歓喜の声を上げる。
そうして、皿を片手に、月が欠けて満ちる様を八人でゆっくりと味わった。



「……どうだったかな。月蝕は」
「どうもなにもない」

焚き火の番は、一人ずつ行うことにしていた。仲間となった順に四人ずつ組んで回すから、テリオンの次はサイラスだ。彼の次はオフィーリアで、彼女は明け方の担当であるから、サイラスは深夜を過ぎた頃からの番となる。
つまり、まだ深夜を越えていない今の時間帯は、寝ておく必要があった。

「寝ておけ。寝過ごすなら置いてくぞ」
「大丈夫。このあと眠るよ」

そう言って本を開いて地べたに座る。石垣に腰を下ろしていたテリオンは、必然的にサイラスを見下ろす形となり、手元の文字がよく見えた。

「キミは、もしかすると一度見たことがあるのではないかな」

声に誘われて視線を上げると、焚き火の明かりを反射する薄青の瞳がこちらを見ていた。

「……なんで分かった?」
「キミが驚かなかったからさ。今日の道標の確認はキミが担当していた。オフィーリアくんが見つける前にも、キミは星の位置を確認していたはずだ。……月蝕はゆっくり進む。キミが見たときには欠けておらず、オフィーリアくんが見たときには欠けていたというには時間が近過ぎた」

隠していたわけではない。言わなかっただけだ。テリオンは押し黙る。
──昔、まだダリウスと盗みを働いていた頃。その日の成果を二人で分け合い、焼いた魚を川辺で食べていたときのことだ。
近くで村人の悲鳴を聞いた。追手かと警戒し、焚き火を消して暗闇に紛れたテリオンが息を潜めて様子を見ていると、村人たちは揃って空を見上げて騒ぎ出し、そのまま村へと引き返したのである。なんだなんだとダリウスと揃って道に出てみれば、フッと、カーテンを引いたように辺りが暗くなる。
空を見上げて──初めて、月から光が奪われたのを見たのだ。

「今回の月蝕とは異なるものだろう。この本によれば、月蝕は百年周期のものや、四百年周期のものもあるそうだ」
「……何が言いたい?」
「いい思い出を持っているね」

サイラスは微笑みを少しばかり崩して、よければ、と口にした。

「キミが見た時期がいつなのか教えてもらえないだろうか。時期を知りたがる学者も居るだろうから」
「分かる訳ないだろう。昔のことだ」
「そうか。……いや、すまないね」

インク瓶とペンを取り出し、さらさらとページに書き付けると、インクを拭き取り再び鞄にしまい込む。

「必要なのか?」

記録が、と訊ねると、彼は頷いた。

「どんな些細なことでも、誰かが覚えておけば、残しておけば役に立つものだよ。知識と同様にね」

インクが乾くのを待っているのか、その手が止まり、その眼差しが焚き火に注がれたので、テリオンは立ち上がった。

「……?」

視線を遮るようにサイラスの半歩前に立ち、上体を屈める。不思議そうに見上げたその頭を後頭部から手で支えて、逃げを打たれる前に額に口付けた。

「……テリオン?」
「なら、これも忘れるなよ」
「ああ……、うん」

手を離そうと思ったが、考え込むように人差し指の側腹で口元を覆い隠したので、サイラスの前髪を指先で弄ぶ。

「どうした?」
「いや、キスではないのかと思ってしまって」
「そういうときはそう言え」
「ええ?」

周りに人の気配も視線もないことを確認してから、膝を折る。


どれだけ貴重な日だろうと盗賊には関係ない。
忘れたくても忘れられないが、人には到底話せやしない日もあるのだと教えるには、なんとも都合のいい日だった。

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