瞳の色に囚われて


両片思い設定


サイラスから土産物だと手渡されたとき、テリオンは町中にいた。
「丁度キミが通りがかったものだから」と言うので、おそらく特定の誰かに渡すためのものではないのだろう。包みは緑色のリボンで留められ、中を開けば一口サイズの焼き菓子が入っていた。
「……女からもらったものじゃないだろうな?」
「そんなことはしないよ。口に合えば、食べてくれ」
「わかった。貰っておく」
「ありがとう」
そう言って別れた時、彼の顔をよく見ておけばよかったと、後にテリオンは悔やむことになる。


一仕事を終え、気分良くエールを飲むかと酒場を訪れたテリオンは、厨房に立つ仲間の姿に思わず足を止めた。
「お、テリオンじゃねえか」
カウンターに座るのはアーフェンにオフィーリア、その対面に立つのはハンイットだ。
籠にはクラッブフェンとかいう菓子が山積みにされ、隣の大皿には焼き菓子が並べてある。
「あなたもどうだ?」
「貰う」
ハンイットの作る食事は仲間内で言えば最も美味い。次点は意外にもオルベリクが輝き、テリオンはといえば最下位にほぼ近い。最下位ではないのは、料理をする前に手順や指示に気を取られてまともに作らないサイラスがいるからだ。
アーフェンの隣のハイチェアに座り、ひょいと手を伸ばす。サクサクとした食感が程よく、香ばしいクルミの味がした。
「紅茶を淹れたわ。……あら、テリオンも来たのね」
奥からプリムロゼも顔を出し、場が賑やかになる。おやつの時間だなんだと言って、四人で休むことにしたらしい。
菓子といえば、とポケットにしまい込んでいた、貰い物の焼き菓子を取り出す。リボンを解いてみれば、中身は皿に載っているものとよく似ていた。形は多少歪だが、食べてみれば味は遜色ない。
「あんたが作ったのか?」
会話に花を咲かせる三人をよそに、ハンイットに訊ねる。
「サイラスとトレサと作った。……そのリボンは、サイラスが選んだものだな」
脇に置いたリボンを指してそう言うと、彼女も三人の会話に混ざる。
(選んだもの……?)
テリオンが食べそびれると思って包んだのだろうか。それなら、なぜ土産物だと嘘をついたのか。
「トレサもやるわよね。小麦とクルミとバターを分けてもらうなんて」
「新鮮な卵も手に入って助かったな」
「こちらの紅茶も、サイラスさんがお勧めしてくださったものですし」
「食後のハーブティもあるぜー」
「テリオンは? あなたの分もあるわよ」
考えるうちに四人の会話に巻き込まれ、次にそのことを考えたのは夜、皆で食事を囲んでからだった。
「テリオンさん、テリオンさん」
皆が食事を終えてもなおがつがつと口を動かして食べていた頃、不意にトレサが話しかけてきた。
「? なんだ。肉ならやらんぞ」
「なっ、違うわよ! ちょっとこっち見て」
「なんだ……?」
顔を近付け、少しの間じっとテリオンを見つめていたかと思うと、急に力を抜いて笑う。
「ほんとだわ。テリオンさんって瞳の色が翡翠みたい」
「はあ?」
「先生が言ってたのよ」
あの男は何を教えているのだと呆れ、知らん奴にはするなよと忠告する。
(瞳の色がなんだっていうんだ)
皿の上の骨付き肉を齧る。咀嚼しながら手の脂を上衣で拭い、ポケットからリボンを取り出す。リネンを染めて作られただろうそれを捨てずに持っているのは、珍しい色だから店で売れると考えたからだった。
「こんな色か?」
「あっ、あたしが買い付けたリボン」
「……おたくがサイラスに売ったのか?」
「そうよ、包むものがほしいって言うから。テリオンさんがもらったの?」
ますますもって伏せる意味が分からない。適当に話をはぐらかし、エールを呷る。
「食べているか」
都合よく、オルベリクが厠から戻ってきた。席をアーフェンに奪われたようで、談笑する五人を見ながら、テーブルの空いた椅子を引く。
「ああ。あんたも食うか?」
「そうだな、少し」
腰掛けながら頷いたので、大皿をそちらへ動かしてやる。皿から骨付き肉を一つ取り、かぶりつく前、オルベリクが手元のリボンに気が付いた。
「贈り物か?」
「……どうしてそう思う」
「お前の瞳の色だろう」
当然のことのように答えるので、返答に詰まった。
「瞳の色が何だというんだ」
「であれば、俺の勘違いだ。気にするな。……一部では、自分の瞳の色を相手に贈るのが習わしだからな」
スパイスのきいた骨肉に口元をほころばせ、オルベリクが通りがかった店員にエールを頼む。トレサも果実水とデザートを追加する。
「違うの、貰ったんだって。先生から」
「そうか。なら、特に意味はないんだろう」
「……」
意味があると言ったり、ないと言ったり、面倒なことを言うなとオルベリクを睨み、ため息をつく。
何でもないというなら、何故ここまで気になるのだろう。


食事を終え、皆揃って宿へ向かう。サイラスとテリオンはそれぞれ違う話の輪に入り、部屋もオルベリクとアーフェンそれぞれと同室であったため、二人の間で言葉が交わされることはなかった。
早々にいびきをかいて寝始めたアーフェンを他所に、テリオンはベッドの上で身体の向きを変える。
明日にはクリフランドを抜け、リバーランドに入る。次の目的地はウェルスプリングで、テリオンの他にオルベリクがここを目的地としている。
サイラスは先月に旅の目的を終えたので、ウェルスプリングに向かう途中で離脱するとの話が出ていた。
不可解な行動理由はそれかと思われるが、考えたところであの男の思考など当てられるはずもない。それに、他人のことなど考えたところで、嫌な思いをするだけだ。
今は周囲の警戒も、戦闘も、宿や酒場での食事も、一人より複数人で共有するほうが都合が良い。仲間というよりは同行者、それ以上でも以下でもなく、テリオンは求められる働きをこなせばいい。
一人の時よりいくらか気を抜いて眠りに落ち、目覚めるときには再び気を引き締める。
粉薬を作っているのか、アーフェンは部屋に一つしかない小さな机に向かっていた。ごりごりと陶器の擦れる音を隠れ蓑に立ち上がり、上衣を羽織る。
「んあ、起こしちまったか」
「起きただけだ。……飲み過ぎだな」
上半身だけ振り返り、左肘を背もたれに置いたアーフェンは、朝、目覚めが良かったとは言えない顔をしていた。遠慮なくテリオンが茶化せば、そーなんだよ、と手を振る。
「テリオンも飲むかあ? 二日酔いに効くぜえ」
「要らん」
「だよな。……あー苦え」
あくびを噛み殺しながら装備を身に着け、最後にマフラーを取る。先に行く、とだけ言って部屋を出ると、オルベリクとサイラスが連れ立って廊下に出てきた。
階段へ向かう。こちらには気付いてないらしい。話しかけられても面倒だと息を潜めて、ゆっくりと後ろに続く。
オルベリクと話す横顔は相変わらずだ。愛想の良い、柔和な面立ちで、いつも微笑みの形を取っている。人好きのする整った顔立ちに穏やかな性格と、相手の見た目や職で態度を変えない素直さが学者という身分も相まって人を惹き付けるのだ。
女性の気を引くと言われても、オフィーリアから忠告されても、難しいなと一言で終わらせる。そんな性分の奴に気を引かれたところで疲れて終わりだ。
(……考えるだけ無駄だ)
荷物にはならないからと結局リボンはポケットにしまいこんだまま。
そうして、砂漠の歓楽街サンシェイドでサイラスと別れ、テリオンは賑やかな同行者達と共にウェルスプリングへ向かった。



「サイラス先生」
「なにか質問かな」
アトラスダムに戻ってからのサイラスの日常は、学院を追放されたときよりも忙しない。学者の本文である研究に勤しむのはもちろんのこと、亡くなったイヴォン、ルシアの抜けた穴を他の教師達と共に埋め合うため、担う講義の数も増えていた。
加えて、噂が立ってはならないと、メアリー王女には学院を利用してもらい、他の生徒と並んで授業を受けてもらっている。
見る生徒が増えたということは、それだけ手をかける相手も増えるというわけで、熱心なメアリー、テレーズ二人以外にもこうして廊下で呼び止められ、講義の質問や派生の話題を投げかけられることも少なくない。
「ありがとうございます。先生はこのあと昼食ですか?」
「いや、図書館の方にいこうと思う。まだまだ調べることが多くてね」
「先生らしい。では、お気をつけて」
生徒と言っても年齢は様々、背景も多様だ。神官職から学者を志し、こちらに移り住んできたという壮年の生徒に礼を述べ、荷物を片手に学院を後にする。
昼を過ぎる頃。外を歩けば街の方から美味しそうな料理の香りが漂ってくる。空腹を感じないこともないが、軽食を頼んでしまうと次の講義までの空き時間が減ってしまう。一区切り付いた後に果物でも買えばいいかと図書館の衛兵に挨拶し、扉をくぐった。
「サイラス先生」
「メルセデスくん?」
「あの、これ……アーフェンから預かりました」
「旅を続けているのだね。元気そうだったかい?」
「ええ。数日、ここにいるそうですよ」
渡された小袋には、サイラスのことをよく知っている彼らしいお土産が詰まっていた。プラムにぶどう、それからハーブティの茶葉が入った小瓶に、布包みが一つ。その包みを留めたリボンに見覚えがあるような気がして、数瞬、周りを忘れる。
「サイラス先生?」
「ああ、後で酒場の方にでも寄ってみるよ。それにしても、キミがアーフェンくんと知り合いとはね」
「はい。同郷で……」
少しばかりの雑談をして、気を逸らす。調べ物のために融通してもらった長机の前に座り、書物を開く。ぶどうを齧りながらなんとか意識を手元に注いだが、この日の成果はあまり出せなかった。
次の講義時間になる前に移動し、職務を全うする。
サイラスが一息ついたのはシルティージの司る夜が始まり、町中のあちこちでランプが灯される時間帯だ。
光の下で布包を調べる。中身はマラカイトが嵌め込まれたピアスだったが、サイラスが気になったのは包みを留めていたリボンの方である。
「縒れているのは……持ち歩きで他の荷物と擦れたと考えるのが妥当か」
一度結んだ跡の見られるリボンだが、結び直したと考えるとそう不思議でもない。それなのにこうも気になってしまう理由が、サイラスにはあった。

過去に──旅の最中に調理をするようになったサイラスだったが、料理をするといっても他の仲間の手伝いをすることがほとんどだった。中でもハンイットは狩人という職も相まって様々調理に長けていて、サイラスは彼女の作る菓子を特に気に入っていた。
ジャムや干した果実を使った菓子など、とにかく甘めの菓子が多かったからである。甘い理由は、長期保存に向くから、だそうだが、これがとにかく美味しいのでとてもじゃないが三日も取っておけないなとサイラスは思う。
話を戻し、とにかく、菓子に興味を持ったサイラスは、ある時ハンイット達が菓子を作るというので同席し、そのまま流れで手伝ったことがあった。
皆で食べようという話をしていたからそのまま食べてしまえばよかったものの、数日保つというので自分の作った分だけ別で包み、後で食べることにした。トレサに留めるものはないかと訊ね、リボンがあるわと出されたもののうち、目にとまったのが緑のリボンである。このとき思い浮かんだのがテリオンの瞳の色で、それをそのまま口にして、選んだ。
そのときは何も思っていなかった。
が、テリオンと町中ですれ違ったとき、急にそのことが意識された。誰かの瞳の色をした持ち物をわざわざ選んで、数日でも持っておくのは──なんというか──よろしくない。
そして、経緯はともかく、焼き菓子なら彼に渡してもおかしくはないだろう、と考えた。後に仲間と作ったとばれたところで、事実なのだから誤魔化す必要もない。
『……女からもらったものじゃないだろうな?』
怪しまれたが、それは彼が同行し始めたときから変わらないことだったので、サイラスは気にしなかった。
『そんなことはしないよ。口に合えば食べてくれ』
『わかった。貰っておく』
『ありがとう』
ひとまずこれで居た堪れなさは解消された──そして、衝動的に行動することの少ない自分が、そのような行動を取ったことへの理解が追いつく。似ていた。誰かを思って焼き菓子を用意したという、女性たちの姿に。だから居た堪れなかったのだとわかったところで、なぜ、と新たな疑問が浮上する。
テリオンには気付かれぬよう、背中を向けて別れる。ややあって、気恥ずかしさに苦笑いする口元を隠した。

そうして、今。
手元にあるリボンがその時のリボンと似ているように見えて仕方ない。しかしこれはアーフェンからの物である。大方トレサから同じリボンを買ったか、似たようなものが他で売っていたと考えるのが妥当だ。
ピアスは穴が塞がりつつあるから、もう一度開けてから使うとして、リボンはひとまず鞄にしまう。
酒場が近付く。戸を開け、中に見覚えのある姿がないか首を巡らせ、ある色に目を留めた。
ウィスタリアの外套は、ここではあまり見かけない。
アーフェンの若葉色の上衣はなく、他に仲間がいれば気にせず中へ入っただろうに、足が重い。
そのうちに、目が合う。
彼はエールを飲み干してカウンターから離れると、サイラスの前にやってきた。
「久しぶりだな。学者先生」
「……ああ、久しぶりだ。元気そうだね」
マラカイトの瞳を前に、平然を装い微笑んだ。


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