SPと盗賊ジョブスキルを拡大解釈しました
ハロウィンにちなんだ長めのお話
テリサイ描写は後半にいくほど濃くなります


盗公子エベルの月となった。
夏の暑さは和らぎ、秋らしい冷たい風が木の葉を散らす。
枝の隙間から覗く空を見上げていたかと思えば、テリオンは鼻先に落ちてきた枯れ葉を片手で払った。
「それで、なんだったか」
柔らかに光を反射する翡翠のような目が問う。
「アトラスダム西の古城に吸血鬼が出る、という噂だよ」
「いいや、違うな。俺が聞いたのは、この古城に宝があるという話だった」
二人の目の前の建築物はどうみても城ではなく砦だ。
なにをどう聞き間違えてそうなったのだか、とサイラスが独り言のように自問自答すると、それを聞いたテリオンはただ肩を竦める。
「いいのかい?」先んじてテリオンが歩き出したので、サイラスが呼び止めた。
「あんたには借りがある。……さっさと終わらせるぞ」
古門に鍵が掛かっていると気付くや、彼は門と塀の隙間を足掛かりにして壁を伝い登る。跳躍した際には鈍い金属音が鳴ったが、着地は鳥に似て静かだ。
内側から鍵を解き、サイラスを招き入れるまで足音らしい音はほとんどなかった。
借りなど気にしなくていいと思う。だが、盗賊の身であってなお互いに損のないよう振る舞うテリオンの誠実さを無碍にはしたくはない。
言いたいことは喉奥に留めおき、表情を変えず礼を言う。
「ありがとう」
撫でるように肩をぽんと叩くと、別に、と素っ気ない声が返った。


サイラスがテリオンとウォルド王国の廃砦に赴いたこの時、学院では学者達の祭典が開かれていた。
学者や学者の卵たちが揃って論文を提出し、自身の研究結果や新たな知識、思想、体系について議論を深め合う。そういった祭りが王立学院には存在し、つい先週までサイラスもその手伝いや補助で仕事を忙しくしていた側だ。
「サイラス先生は?」
「休暇ですって」
「珍しいこともあるものね」
学院では生徒教師を問わず女性たちがそう言葉を交わす様子が多々見られた。そんな彼女たちの声を耳端に捉えながら、テレーズは窓を見上げる。
(順調に誤魔化せています、サイラス先生)
握りこぶしを胸の前でそっと作る。
熱烈な誘いもあった中、天才と誉れ高き学者が手を伸ばしたのは一介の盗賊だ。
テレーズも当該人物については少しだけ知っていた。旅の仲間。前校長の屋敷で罠に嵌ったサイラスを、共に助け出したこともある。
仲間を助けたいと言って、するべきことをいつもより早く片付け、休みを作ったサイラスの姿をテレーズは見ていた。彼はこんなにも友情に熱い人なのかと驚いたくらいで、意外な一面に改めてときめいたりもした。そんな中、サイラスから『周りにはそうと知られないように、内密に頼むよ』と言われ、不在の理由を明かされたのである。
『……二人だけの秘密、ですね』
『そうなってしまうね。よろしく頼むよ、テレーズくん』
『っはい! 任せてください、サイラス先生』
(少しは先生に近付けた気がします……!)
まさに今このときサイラスが想い人との旅を楽しんでいるとも知らず、彼女は浮き浮きした気分で祭典の手伝いに勤しむのであった。



一、

テリオンはレイヴァース家の依頼でフラットランドにきたという。
学者に関わる話だ、何か知らないかと訊ね、サイラスが当該の本や学者に詳しくないと知るや踵を返した彼だが、本の中身を知りたいとサイラスが食い下がると、渋々同行を許可した。
そうしてフラットランドの都市を転々と回る中、依頼とは別で耳に聞こえた話がこの──吸血鬼に関する話だ。

『アトラスダム平原西に位置する古い砦に、吸血鬼の守る秘宝が存在する』
『アトラスダム平原の西の古城には、大盗賊ベルタの残した秘宝が眠る』

収集した情報を突き合わせて判明したことだが、この噂はどちらも同じ場所を指していた。
ひと仕事が終わり、気が緩んでいたのだろうか。
サイラスは今の今まで聞いたことのない噂話に首を傾げ、テリオンは眉唾な話だと言いながら、酒の肴にその噂の信憑性について語っていた。
そこに、酒場の店主が足を止めた。
『つい最近、盗賊団が吸血鬼に宝を奪われたらしい』
二人の間で、ほんのわずかに視線が交わされた。
互いにビアマグから手を離す。テリオンはいつもの話しやすそうな演技で詳細を聞き出し始め、サイラスは地図を広げて、聞いた特徴と噂話の文言から位置の目星を付けた。
テリオンの聞き出した情報を追加して判明したのは、半日もあれば徒歩で行ける距離であることだ。
二人はすぐに旅立った。酔っていたのである。
夜も更け、野営をする。焚き火を前にサイラスは吸血鬼と呼ばれるのはなぜかと自身の知識を掘り返し、ついでだ、宝とやらがどんなものか拝んでやるかとテリオンは持ち歩きの酒を飲みながらそれを聞いていた。
テントを共有し、一晩を明かす。
朝が来るのは早かった。
酔いも覚め、燻る焚き火のそばに立ち──不意に冷静になったのは言うまでもない。
『引き返すか?』
『……現在地を確認しよう』
地図を開いたサイラスのそばにテリオンも近寄り、揃って西の方角を見つめる。
砦はすぐそこにあった。目と鼻の先だ。
『ここまで来たなら見に行かないか?』
『……。そうだな』
そういうわけで、二人は吸血鬼の住むという砦に向かったのである。


崩れた壁や足跡から、魔物が立ち寄る場所であることは明らかだ。気配はなく、周辺を警戒していたテリオンも、今は大丈夫だろうとストールを巻き直す。
「ビープにフロッゲンの足跡、それに、これはホウルと……バーディアンの羽根か」
「平地だぞ?」テリオンが疑を唱える。彼の知る通り、バーディアンはクリフランドやコーストランドに多く生息し、フラットランドでは見かけることは少ない。
「もう少し西に行けば海に面した崖があるんだ。ここには餌を求めてやってくるのだろうね。バーディアンは雑食とも聞く」
「……なら、狩人が役に立ちそうだな」
言ったそばからテリオンが狩王女の心得をまとい、装いを変える。首元のマフラーはふわふわとした毛皮のマフラーとなり、服装も彼の身体に合わせて膨らみが消えた。
「弓と斧は……これでいいか」
不思議な仕組みなのだが、心得をまとうと、最後に装備していた武器が手持ちに増える。
旅が終わる前、テリオンは武芸家の心得をよく使用していたので、そこから自動的に選ばれたようだ。
「ならば私は薬師の心得にするよ。回復は任せてくれ」
「毒付与でもいいぞ」
「はは、懐かしい」
サイラスは一時期、仲間のアーフェンの代わりに薬師を担っていた。テリオンもそれを思い出したのだろう、軽口を叩く。
戦うというよりは回復のためであるので、斧がなくとも構わないだろう。
周囲に目を配り、どちらからともなく砦の中へと足を踏み入れた。
砦の入り口は海風の影響か、ほとんど朽ちかけており、テリオンが押し開くと容易く壊れた。
室内は埃が舞っており、空気は乾燥していた。口元を布で覆う。音を聞きつけられても困るし、空中に何が漂っているかも分からないからだ。
廊下は短く、すぐに一階のフロアに出た。
吹き抜けの構造で、天井からは空が見える。三階建てのようだ。
一階のこの場所にはノウサギやリスの姿も見られ、どこからか種が舞い落ちたか、樹木が生えていた。
「天井が空いている。雨水があるからこれだけ植物が育ったのだろう。魔物の餌場には適しているが、足跡は見当たらないか。ふむ……」
「身を隠すには好都合だが、魔物が出るなら話は別か」
それぞれの観点から発された感想は、判断材料として役に立つ。
「身を隠すというと、一時的な隠れ家として使うのかい?」
深く納得した上で訊ねるとテリオンはフイと顔を背ける。
「そういう奴らも居るだろう」
「なるほどね」
どこか自分ごとではない言い方に納得する。
神出鬼没と謳われるテリオンは、堅牢な金庫も檻も解錠してしまう凄腕だ。その特徴は彼の俊敏さにある。であるから、持ち歩く荷物は必然的に最小限となる。
「……残念だな」
「は?」
「ああ、いや」つい、気持ちが先走った。「キミが過去に盗んだものは、目を見張るものもあったのだろう。盗み出すのも大変だったはずだ。人によれば苦労の証として持ち歩いたり、隠れ家に保管したりするのも頷ける」
「生憎、手に入れた宝はすぐに手放す主義なもんで」
「だろうね」
オルステラ中を歩き回るテリオンが、そのような場所を持たないのは自明だ。今はレイヴァース家がその立ち位置になり得るだろうが──それは黙っておいた。
「キミはそう簡単に手に入らない物にこそ目を付けるが、なによりも盗み出す過程を重視している気がするよ」
「……そう、でもない」
彼は、うまくいった仕事の話を饒舌に語る。珍しく控えめな反応をしたのはその自覚があったからだろうか。歯切れの悪い返答を聞き流し、サイラスは部屋の扉を開けた。


唐突に告白するが、サイラスはテリオンのことを好ましく思っている。
告白などは考えていない。同性で年の差もあり、生き方も生きる場所も異なるし、彼は仲間としてサイラスを信頼しているだけで、そこに性愛や恋情が絡むことはないからだ。だから告げるつもりはない。
酒を飲み交わし、時々、酒に酔って寝落ちた彼の寝顔を眺めることができればそれでいい。
旅が終わり、離れ離れになると、会えない日が多くなる。
その中で想いは落ち着くだろうと思っていた。
だが、久しぶりに会って、それは難しいことなのだと理解した。
今回、酒に酔っていたのをいいことに、行ってみようとテリオンを促したのはサイラスだ。
共に旅がしたい、少しでもいいから長く隣にいたい──そういった思いから気付けば彼と共に外に出ていた。
酔いが冷めてきた時も、サイラスは極力この突発的な外出を擁護した。先程提案したのもそのためだ。
見苦しいと思いながらも、テリオンとの旅を諦められなかったのである。
(町へ戻ったら酒でも奢ろう。……酔わない程度に)
なかなか蓋のできない恋心を持て余しながら、サイラスは二階へ出た。
テリオンは既に反対側へ回り、向かいの部屋を物色している。吹き抜けであるし、飛び道具もあるので彼が一人で行動していてもさほど心配はないだろう。
「テリオン、この部屋を見たら三階に上がるよ」
「わかった」
宝箱は見当たらず、やはりテリオンの言う通り眉唾な話だったのだろうかと思い始めていた。
建て付けの悪い扉を押し開き、入口から朽ちた室内を無感動に眺めた。崩れてこそいないが、苔が生え、本棚の本にはカビが生えている。とてもではないが開いて読むことは難しいだろう。
少し残念な思いで振り返った矢先──
「騒ぐな」
口を塞ぐ男の手。それは背後から伸びていた。
扉の影に引き込まれ、首を絞めあげられる。
完全なる不意打ちだ。
「ッ……誰、だ」
「黙ってろ。動くなよ……痛いだろうがな」
「ぐ──うあっ!」
脇腹に鋭い痛みが走った。短剣で刺されたのだ。
(まずい!)
怪我の衝撃で力の緩んだ隙に、もう一度刺される。
後頭部の髪を乱暴に引っ張られたかと思うと、うつ伏せに押し倒された。呼吸は楽になったが、痛みは酷い。
「……ッハア、足りねえ。こんなもんじゃ、まだ──」
「うっ……!」
項に、鋭い痛みが走った。
緑光が視界の端に見える。盗賊のスキルの一つ──ライフスティールダガー。これは傷付けた相手から体力を奪う技だ。
血を奪われたせいか、力が入らない。カランと音を立てて短剣が床に落ちる。痛みで感覚のない脇腹から、腹にかけてぬらりと手が這った。ぞっとする。
「もっとくれよ……お前の血を」
男の声が耳の後ろで聞こえたのと、扉が壊れたのは同時だった。
「サイラス!」
息を切らしてテリオンが飛び込んできた。
返事をする間もなく、周囲に狼の蜃気楼が立ち上る。
「盗公子エベルよ──」
一瞬の猛攻だった。
鉤爪のような短剣が男を襲い、吹き飛ばす。
身体が自由になる。素早く応急手当を施し、身体の痛みを取り除いた。
ふらつく足をどうにか動かし、テリオンの手を借りて廊下まで後退する。体力が足りず、膝をついた。
「どこをやられた」
「すまない。不意を突かれて……脇腹と首を」
頭上から舌打ちが聞こえて、ぐっと握りこぶしを作る。
とんだ失態だ。彼が苛立つのも分かる。
だが、代わりに得るものもあった。
名残惜しい思いでテリオンから手を離し、応急手当を施しながら室内を様子見る。
壁に激突し、崩れたテーブルの下敷きになった男はピクリとも動かない。気を失っているようだ。
短剣、それから見覚えのある盗賊の技。服に付着した血とその汚れ具合から察するに、男が盗賊であることは明らかだ。
「おそらく、彼が吸血鬼の正体だろうね」
「なんだ急に」
困惑したテリオンの声がやけに大きく響く。
「服に染みが多かった。それも、胸元や肩と首の周りに集中している。犬歯は人のサイズだが、血が足りないと彼は言っていた。……ここで敵の体力を奪いながらなんとか命を繋ぎ止めていたのではないだろうか」
「おい、無闇に近寄るな」
気絶した男を観察しようとすると、テリオンが止める。
ここでようやく、テリオンの頬や腕にも切り傷があることに気が付いた。
「キミも怪我をしているようだね。治そう。……よく見せてくれ」
「かすり傷だ。必要ない」
「そう言わずに。アーフェンくんやオフィーリアくんによく言われてきただろう?」
頬を包むように両手を伸ばす。
テリオンは片手で押し退けようとしたが、それだけで引くサイラスではないと分かっているのだろう。沈黙の末、仕方なく了承してくれた。
緑光が傷を癒やす。ほっとして傷から目を離すと、テリオンと目がかち合った。
「あんたもまだ怪我があるぞ。ここ」
不意に首筋を触られて、ビクと肩が震えた。
「悪い。痛むか」
「い、いや、大丈夫だ。……驚いただけだよ。キミも盗賊に襲われて?」
誤魔化し半分、状況整理が半分の思いで訊ねるとテリオンは首を横に振った。
言いにくそうに顔を斜め下へ向けたが、
「仕掛けを解いていた」
と呟くように答える。
彼が取り出したのは片手で持てるサイズの宝箱だ。細かい装飾は経年劣化で潰れているが、重厚感のある見た目でテリオンが目を付けたのも頷ける。
「錠前が小さくて苦労したが……見ろ」
テリオンが蓋を開けると中には赤色の宝石が収められていた。表面はつるりとして滑らか。均等に削り落とされ、磨かれたのか仄暗いこの室内においても輝いて見える。
「これが噂のお宝かい?」
「だろうな。……これだけのものを隠すためにここを根城にするのは、どうかと思うが」
「確かに、不自然だ」
片手で持てるサイズなら、わざわざ別室で保管せずとも持ち運べば良い。雨風を凌ぐにしても、休むには不向きなこの場所で、わざわざ調べに来た人間を襲う理由も謎だ。
「そちらの部屋を調べてみようか」
「その前に、こいつを縛るぞ」
まだ使えそうな布と縄で男を縛り、階段そばまで引きずる。一階に下ろすと魔物の餌にされかねないので、そのままそこに放置した。
テリオンの後に続いて廊下を進み、先程サイラスが入った部屋から見てちょうど対角線上にある部屋の前まで歩く。
戸は無い。テリオンが入口から奥の長方形を指した。
「あそこだ」
部屋の奥、隅には本棚が並び、本棚に挟まれる形で箱が置かれている。
室内を見渡す。窓は片側にしかなく、日差しをささやかに取り込むだけだ。天気が崩れてきたか、どうにも薄暗い。
中へ入る。
床はレンガの上に木板を載せているらしい。朽ちた木板を踏むと、綿のように柔らかく、しかし足が抜けることはなくコツ、と石に踵が当たった。
長方形の箱は簡素な木製で、その上に申し訳程度に掛けられた薄茶の布が出入り口まで伸びている。日に焼けて脱色したようだ。
長いこと置かれてあったのだろう。他の表面と違い、宝箱のあった場所だけ乾燥して腐食を逃れていた。
埃も厭わず中を観察していたサイラスだったが、テリオンが上体を屈めたのを見てそちらへ近寄った。
「何を見ているんだい……?」
「……この箱なんだが。動かせそうだ」
見れば、本棚の下段には引きずった跡がある。
押すと箱が横にスライドし、背後から扉のノブのようなものが現れた。
中央の窪みが引き金となるのだろうか。見覚えのある形に、ああ、と頷く。
「テリオン、その宝石をこちらに」
手早く彼が宝石を窪みにはめ込むと、カチリ、カチリ、と室内のあちこちから音が鳴り、壁が左右へ開く。
「おっと……」
床も動き始めたのでテリオンに腕を引かれるまま、部屋の入口まで後退した。
部屋を真っ二つに割るように現れたのは下へ続く階段だ。
角灯で照らしても、底は見えない。
二人、顔を見合わせる。
「ただの宝石じゃないようだ」
古代遺物のように精霊石を動力源とするからくりがある以上、ここもその応用と見て違いないだろう。あれらは体内の精霊石が砕けぬ限り動き続けるが、この場所は果たして。
嵌め込んだ宝石は部屋の隅まで移動している。階段を避けて部屋を横切り、宝石に手を伸ばした。
「外すな」
「しかし、ここが勝手に閉ざされても困るだろう?」
「……。早くしろ」
「ああ」
宝石を外しても階段はそのままだったが、もう一度はめると今度は床板が動いて階段を隠してしまった。どうやら、この宝石が鍵となるらしい。
「持っておけば塞がれる心配はない、か」
テリオンに宝石を返す。彼は宝石を懐にしまいこみながら、足元に落ちていた石の欠片を片手に拾い上げ、無造作に階段下へ放り投げた。
少し遅れて、カツン、と音が立つ。遠くなさそうだ。
「調べるよな」
「もちろんだとも」
ぬらりと照らされた階段を静かに降りていく。
サイラスの靴音だけが空間に響く。
そういえば、この位置は一階で壁となっていた箇所だ。砦の中に複数階段があるのは侵入を複雑化するためだと聞いたことがあるが、ここはそういった目的とは別で造られている。
どこへ繋がっているのやら。
二階分は下りただろうか。そろそろ地下に潜るだろうと思われたところで、地面が見えた。こちらも石が敷き詰められた床で、排気の穴は通ってないのか、空気は淀み、じっとりと冷えている。
嵌め殺しの窓付き扉が一つあるのみだった。扉の前には木皿が置かれていて、食事が置かれていたのか、それらは既に炭化している。
まるで独房のようだ。
「牢にしては手が込んでいるな」
テリオンが平然と述べながら壁を手でなぞる。
照らしてみると鍵が一つだけ提げられていた。
中は土壁の小さな部屋だった。中央には棺桶が横たわり、それ以外には燭台と、本が一つ。腐臭は無く、サイラスもテリオンに続いて中へ入り、角灯で棺桶を照らした。
キラキラと光を反射するものがあった。
「まさかミイラが宝だと言わないだろうな」
テリオンがぼやく。
光り物をよく見てみれば、宝石が大小様々散りばめられている。どれもここへの階段を開いたあの石と同じ削り方をされている。宝石か、色のついたただのガラスかは、日の下で見てみなければ分からない。
「この容れ物のほうが宝に相応しいよ。……ふむ」
角灯をテリオンに渡し、蓋をずらす。中に遺体はなく、首飾りと頭の飾りが残されていた。
(どうして彼はこれ等宝飾品を持ち出さなかったのか……。棺桶の宝石も取り外せないわけでもないだろうに)
宝飾品を見つめて、テリオンもなにか考え込んでいるようだった。サイラスはそれを邪魔せぬようそっと棺桶の蓋を脇へ避け、周辺を調べようと立ち上がる。
「?! なぜここに」
角灯の照らした先──戸口に、男が立っていた。
両腕に縄をつけたまま、首は人間ではあり得ない垂れ下がり方をしている。先程聞いたものとはまた別の、木を擦り合わせたような掠れた笑い声が室内を満たした。
「教えテやろうカ?」
黒紫の影が浮遊する。男はその場に崩れ落ち、端から砂へと風化した。
「ここがオレの墓だからダ!」
「──光か」
咄嗟に聖火神の心得をまとったのはテリオンだった。
光の柱が落ち、刹那、室内が眩く照らされる。棺桶は霧散、宝石は四方八方へ飛び散る。
精霊石でなくて良かった。暴発していれば、サイラス達も命が危なかった。
悲鳴が反響し、影が消える。角灯を上の方に掲げ直すと、壁に書かれた呪詛と罵詈雑言が視界の端に見えた。
(墓?)
足元で硬質な音が立った。見れば墓標が土に埋まっている。
──『吸血鬼』盗賊ベルタ、ここに眠る。
(なぜ王国の砦に盗賊の墓が……)
ウォルド王国の歴史はサイラスも教鞭を執るほど親しみのある話題だが、この名は聞いたことがない。
「ひとまず、ここを出ようか」
宝石をいくつか拾い、小袋に入れてテリオンに差し出す。
コンッ、と軽やかな音を立て、宝石袋が地面に落ちた。
戸枠に押し付けられた反動で、手からこぼれ落ちたのだ。
「……血ガ足りない」
「え──」
呟くように聞こえたのは先程の掠れ声だ。テリオンとは似ても似つかぬ声が聞こえて、瞬時に察した。
「テリオン! 気をしっかり保、」
クラバットを強く引かれたかと思えば、首筋にテリオンの顔が迫る。操られているのだと分かっていても、好きな相手にここまで迫られては反応が鈍る。上手く抵抗できず、しまいには片足が床を滑って柱に後頭部をぶつけた。
「あ、いた──っ」
皮膚に犬歯が食い込んだ。
ライフスティールダガーか、マジックスティールダガーでも発動させたか、薄青の輝きがサイラスからテリオンへと移るにつれ力が抜けていく。引きつるような痛みに思わずテリオンの背中に爪を立てて引っ張るが、引き剥がすまでには到らない。
「く……っ」
今はいいが、テリオンにまで短剣で刺されては命に関わる。
聖火神の心得はテリオンが身に付けている。払えるとするなら、他に何があるか。剣士、商人、学者、狩人にそんなスキルはなく、可能性があるとするなら、薬師の健全化、あるいは──踊子の舞だ。
「この症状にはこれが、」
健全化をかけるとテリオンはわずかに上体を離したが、唾液と血の混ざった液体を口端から零したままで、正気を失っていることはすぐに分かった。
その手が短剣に伸びる前に応急手当を自分にかけ、迫る大きな口に前腕を押し当て、衣服を噛ませる。
「あと少シだ、大人しくシロ……」
声はテリオンの背後から聞こえた。
あと少しとは。サイラスがそのセリフを訝しみつつも舞踏姫の心得を持ち直せば、腕に歯が食い込んだ。
肌の露出した腹部から腰にかけてを手が撫でる。なぜこのような手付きなのかと問いたいところだが、気付けば短剣を振りかざされて、それどころではない。
薄青の光が飛ぶ。身体は重く、思考が鈍る。
何度目かの攻撃を避けた後、体勢を崩して地面に倒れた。テリオンが上にのしかかる。自分も被弾するが、今なら確実に詠唱ができる。
「闇夜の、帳……災いを祓え!」
詩が室内に闇を呼ぶ。
ざわざわと胃の底を何かが這いずるような不快感とともに斬撃が降る。
文言からの推測であったが、サイラスの予測は的中した。つんざくような悲鳴と雷が暗闇を走り、黒紫の靄がテリオンから離れて霧散する。
「テリオン!」
ふらつき、倒れかけた身体を受け止める。
眠っているようだった。見慣れた寝顔にホッとして、起き上がる。悪いと思いつつも壁に凭れさせ、目覚めを待つ。
体力と気力を奪われ、このままテリオンを連れて階段を上ることは難しかったのだ。
気付けのハーブを持ち歩いていればよかった。健全化をかけてやりたいが、もうその力も残っていない。
角灯は壊れ、室内は暗い。かろうじて上に光源があるものの、視界が悪くなるのも時間の問題だ。
(なぜここに盗賊の墓があるのだろう。この砦はグランポートからの侵略を受けた際に使われたもので、その前は八部族の……)
サイラスも一息をつくべく、テリオンに肩を貸す形で壁にもたれ、思考に耽るために目を閉じた。


どれくらいの時間が経ったのか。まだ上階が明るいのでさほど時は経っていないはずなのに、長く眠っていたような心地でサイラスは瞼を押し上げた。
テリオンが身体を起こす。
「大丈夫かい? 操られていたようだが」
「……そこにいるのか」
わずかに驚いたような声でテリオンが返答し、かと思えば肩や腕を撫でられる。もう少し離れていると思ったらしく、なんでいる、と言われた。
ぱっと眩しい炎に目を瞑る。
テリオンが鬼火を灯したのだ。
「……なんで踊子姿なんだ……」
「それについてはこれから話そう。身体の不調はないかい?」
「口の中が鉄錆臭い」
鬼火であたりを照らしたかと思えば、彼は部屋の隅に唾液を吐いた。
「……早く元の姿に戻ったらどうなんだ」
「それもそうだ」
「何があった?」
学者の姿に戻り、小袋を拾い上げる。
サイラスとテリオンは起こった出来事を共有しながら上階へ戻った。
何度か水筒の酒で口を濯ぎながら、テリオンは大人しく耳を傾ける。
「踊子の技がそんなことに使えるとはな」
無感動にそう呟きながら、彼は聖火神の心得を解いた。
「……学者先生、」
階段を上りきったテリオンが振り返る──窓から射し込む光を背に立つ姿は、見惚れるほどに凛々しい。
「助かった」
「……うん。キミが無事で良かった」
見慣れたウィスタリアの装いにサイラスは目を細める。



二、

念の為、捉えた盗賊の姿がないか確認したものの、どこにも見当たらなかった。これは、地下で霧散した人物と同一人物とみていいだろう。
三階を順に調査する。
サイラスが襲われた部屋の真上。この部屋にだけ、鍵がかかっていた。
他は埃が舞うだけであり、サイラスは口元を袖で覆いながら扉を閉め鍵開けに奮闘するテリオンの後ろ姿を見つめる。
次、いつこうして出かけられるか分からない。よく記憶しておこう。
(そうだ。今の間にプラムを食べておこう)
「……ん?」
カバンを開くと果実はどれも潰れていた。数も足りないから知らぬ間に盗まれたか、落としたか、リスや小動物に食われたか。
なんにせよ、これでは帰りが心配だ。テリオンに分けて貰うとしよう。
「テリオン。それが終わった後で構わないから、SPパサーをかけてもらえないか」
「……」
「テリオン?」
「シッ……」
彼に言われるままに口を閉ざす。
テリオンはサイラスに『よく見ていろ』と言わんばかりに針金をゆっくりと回す──カチリ、と鍵が開く音がする。
が、今度は内側からカチャンと音が鳴った。
「うん?」
すっと立ち上がったかと思えば、テリオンはドアノブを掴む。針金を操作するや、素早く押し開いた。
「ひゃあっ!」
声は一つだったが足音は複数あった。
中にいたのは子供たちだ。衣服は汚れ、その身体にも汚れやあざが見られる。
「マルタ……助けて……!」
「待って、違う人よ」
泣き出す子供もいればヒソヒソと話し始める子供もいる。そのうちの一人、比較的その中で年上とみえる少女が前に立ちはだかる。
「私達を追ってきたの?」
気丈に振る舞おうとしていることはすぐにわかった。不安なのだろう、声の端々が震えている。
「なんだ、こいつらは……」
面倒臭いことになったと言わんばかりのテリオンの肩に触れて、代わりに前へ進み出る。
少女たちを圧することのないよう、距離を取った。
「私はサイラス・オルブライト、アトラスダムの学者だ。キミたちを追い立てたのは、血を求める盗賊で合っているだろうか」
「……」
こちらの顔を見つめたあと、再び子供たちは話を始める。マルタが、俺見た、やらと漏れ聞こえてくる声を聞く限り、彼らはあの亡霊のような盗賊とはち合わせていないらしい。
「マルタが、ここに隠れていなさいって」
「そのマルタさんはどこに?」
「追い払うために……外に……」
なるほど、マルタとやらが例の盗賊と応戦したか、そのマルタなる人物を警戒して盗賊は部屋に隠れていたのだろう。
そこへテリオンとサイラスが現れた。
話の大筋はこんなところか。
「……噂をすれば、迎えが来たようだぞ」
廊下にまで下がっていたテリオンが、そう声をかけに来た。
にわかに、階下が騒がしくなる。
「みんなーっ! 無事か!?」
「マルタだ!」
廊下から下を覗けば剣士が二人に神官、薬師と揃い踏みだ。さらにもう一人、狩人や剣士にしては軽装の、外見からは性別も判じかねる人物がいる。大きな荷物に帽子を引っ提げているから、商人だろうか。
「あっ、バカ! まだ駄目だ、どこに隠れてるか分からないんだぞ!」
女性とも男性とも取れる低い声。
心配している様子から、おそらくこの人物がマルタだ。
子供たちはバタバタと駆け足で降りていき、戸惑うマルタの下へ駆け寄っていく。
サイラスも、テリオンに続いて降りることにした。
「いかにも物々しい雰囲気だけどねえ」
「いっ、いいじゃん! 魔物も賊もいない方がさあ……」
階段を降りると薬師と女性剣士の二人が傍に立っていた。
もう一人の剣士と神官はマルタと子供たちの輪に混ざって怪我を治したり遊び相手となっている。
「キミがマルタさんだね?」
「ああ……あんたは?」
この砦で起きた出来事を伝えると、マルタは礼儀正しく頭を下げた。
「あんた達のおかげでこいつらが怪我することはなかった。ありがとう! なにか礼をしたいところだが……」
「構わないよ。それより、暗くなる前にここを離れた方がいい」
「そんじゃ、帰ろうぜ! こんなとこに長居してもな」
話が落ち着いたのを見て紅色の剣士が元気よく提案する。
「そうね。帰ったら美味しいご飯が待ってるわ」
黒髪の女性神官が子供達を励まし、道を示す。
聞けば、この剣士と神官、そして先程の薬師と女性剣士の四人は旅人だという。マルタがバーテンダーに助けを求めたところ、彼らが紹介されたそうだ。
「保険に使われたな」
「そのようだね」
テリオンと小声でやり取りをしたのもつかの間、子どもたちの何人かがわらわらとサイラスの下へやってくる。
テリオンは煩わしそうにその手を避けたので、
「テリオン、魔物避けを頼みたい」
「……分かった。ガキのお守りはあんたに任せる」
助け舟を出して子供たちを引き受けた。
碩学王アレファンの心得をまとうテリオンを見て旅人達が驚いたように声を上げた。が、それすらも気にもせずテリオンは詠唱を唱え、さらには魔物の痕跡を記した書物を片手に先導する。
「お兄ちゃんも学者なの?」
盗賊の出で立ちをするよりは良かったのか、子どもたちの警戒が解けたようだ。後ろ姿を見つめて、一人が問う。
「ううん、違うんだ。……でも、よく似合っているだろう?」
目端の利く彼は、サイラスよりも痕跡に気付くのが早く、丁寧に観察する。
ぱらぱらと書物をめくる姿を見ていると、そうであったらこれほど焦がれることはなかっただろう、と叶わない恋を慰められるような心地がした。
「さあ、私達も行こうか」
子供たちの背中を押す。
旅の終わりが、近付いていた。



三、

エールとワインを掲げて、乾杯する。
「疑問だったんだ」
「何が」
「酒場の店主から聞いた話だけが違った。吸血鬼が出るという噂はあの盗賊と墓が理由だろうが、『盗賊団が宝を奪われた』というのに肝心の宝について何も明かされなかった」
こくりと酒を嚥下し、テリオンが酒臭いため息をつく。
「……あいつらがその宝、か」
「だろうね」
二人が肩越しに視線を送った先では、寝落ちた子供たちを一人ひとり宿へ運ぶマルタと旅人の姿がある。
「ただ、大盗賊ベルタについてはまだまだ謎に包まれている。砦の隠し通路の存在も……」
「──お二人さん、今回は助かった」
どん、とカウンターに皿を並べたのは、酒場の店主だ。
テリオンとサイラスの間にいくつも品を並べ、酒はワインにエールとボトルを数本置く。
「酒、料理、なんでも好きに呑み食いしてくれ」
「いいのかい? 支払いは……」
財布を取り出そうとすると、テリオンの手に止められる。
「それならマルタからもらってる」
店主はにこやかに笑い、離れていく。
「なんだい? テリオン」
「簡単に金の居所を知らせるな」
「キミが居るのだから平気だろう? ……おや」
財布がやけに膨らんでいるなと思い、包みを開く。
小ぶりの宝石にカットされた精霊石はエメラルドのように透き通っていて美しい。
見れば、マルタより、と書かれた紙も同封されていた。
「……キミが言いたいのはそういうことではなさそうだ」
確かここへ来る前のことだ。子供たちの数が多く宿代が足りないと頭を抱えたマルタに、代わりに出そうかと財布を見せた覚えがある。結局、この後も同行するということで、薬師の青年が払ったのだが。
反省も込めて、テリオンに紙を見せる。フンと鼻息一つであしらったテリオンは、油で揚げた骨付きチキンに手を伸ばすと食べ始める。
『マルタより
子供達を助けてくれてありがとう
今回の報酬だ』
紙を半分に折り曲げ、財布にしまうと、サイラスもクラブシチューをいただくことにした。
スプーンを浸し、ふうと吹き冷ます。
温かく、ミルクがふんだんに使われていて、ほっとする。
酒の肴には向かないが、腹を空かせていたので助かった。
それからしばらくは二人して料理に舌鼓を打っていたが、皿の上のチキンがほとんど骨となったところでテリオンが話を変えた。
「あのマルタというやつだが、同じ匂いがした」
「同じ……そうか! 義賊マルタ盗賊団」
ヴィクターホロウの教会で伝え聞いた話を思い出し、納得する。旅をしていた頃、シスターと世間話をしていた際に聞いたのだ。
「ヴィクターホロウまでの道の警護も頼まれたと、剣士のやつが言っていた」
子供たちを守りながらとなると移動は途端に厳しくなる。人の手は必要だろう。
クルミを割り、ボリボリと食べながらテリオンは運ばれてきた揚げ芋や魚のつまみに手を伸ばす。
「残ったのはこの石だけか」
指先を舐めて綺麗にすると、懐から宝石を取り出した。
持って帰っていたのかと目を見開けば、当然だろという視線が返る。
「あんたはどうする?」
「値打ちのものだろう。キミにあげるよ」
「いいのか? あんたの報酬はメシと酒だけになるが」
「私は噂の真相を解き明かすことができれば、それで構わないからね」
「欲のない奴だな」
──本当に、欲がなければ良かったのだが。
なによりもこの旅路がサイラスにとっての報酬だと、彼が知ることはない。
(そう思うのも、自分勝手な話だね)
そういえばSPを奪われたままだった。いつになく感傷的て自虐的な思考に呆れて、もう一口、酒を含む。
ワインを飲み干すと酔いが回るような感覚があった。
たったの一杯だ。酔いではなく自分の体調の問題だとすぐに分かった。帰って休むべきか。
空のグラスを持ったまま悩んでいると、テリオンの手が重ねられて、どきりとした。彼の顔をじっと見返しても、まるでサイラスの方が変な反応を示したみたいに、テリオンはいつもの無表情でこちらを見ている。
「せっかくのタダ酒だ。飲むよな?」
「……そうしようか」
彼に疑われるわけにはいかない。サイラスはぎこちなく頷いた。





四、

食事も酒も美味いものだった。地元の料理ということもあって真新しさこそないが、テリオンと二人きりで楽しんでいると思うと特別さは増す。
「……サイラス、どうした」
ぽん、と肩を叩かれて自分がぼんやりとグラスを見つめていたことに気付いた。
「なんでもないよ。ただ、もうこれ以上は食べられないな」
「それもそうだな」
厠に行くと言って席を立ったのだったか。テリオンが居なくなっていたことにも気付かないほどぼんやりしていたらしい。
果汁を氷で割ったものを頼み、頭を冷やす。
「大盗賊ベルタとやらの話だが」
「……うん」
「さっきこの店を出ていった学者に聞いてきた」
大袈裟に仰け反って、テリオンを見てしまった。
「そういうことなら私も一緒に聞きたかったのだが……」
「あんたを混ぜると話が長くなるだろ」
額を弾かれて、うっ、と肩を竦める。
言われるまで忘れていた。今は学院で論文祭が開催されているのだ。誰かしらに聞けば手がかりの一つでも得られるかもしれないというのに、テリオンに言われるまで思い付かなかった。
相当に疲労している。いや、これもSPが不足していることが要因か。
テリオンの聞いた話によれば、あの場所はグランポート侵攻を乗り越えた後、忘れ去られた砦だという。時々猟師や狩人の休憩所として使われており、そのために魔物避けの香が焚かれ、近くの子供たちの遊び場にもなっていた。
ある時、一人の少年が近くの村から姿を消した。
その少年が後にフラットランドの貴族達を脅かす大盗賊ベルタで、彼は手に入れた宝を秘密基地に隠していた。
彼は大人になり、その盗みの腕で子供たちを助けることが増えた。もとより人殺しをする性格ではなかったこともあったのだろう。彼は助けた子供たちを自分の足で帰らせていたが、その途中で魔物や賊に殺されたのを見て、町や教会まで連れて行くようになった。
その日も、助け出した子供たちをどうにか教会へ連れて行こうとしていた。が、盗み出した宝が重く、町に行く前に、宝を隠そうと考えた。
そこで、子供たちを砦の前に待たせ、宝を隠しに一人だけ砦の中へ入った。
困ったことに、子供たちの中のひとりは好奇心が強く、彼の後にこっそりついていき、見てしまった。並べられた多くの宝を。
一度は町へ返された子供だったが、ベルタが出かけている間にその砦を訪れ、こっそり宝を盗み出した。盗み出したものは宝石一つ、いや、高価なブローチ一つだけだったのかもしれないが、子供から高価なものを手渡された親はどうするか。
もっと持って来いと言うか、あるいは戻してこいと──貴族に目をつけられてはかなわない、と叱りつけるかのどちらかの時代だ。
結果的に、子供は殺された。不運にも、持ち主だった貴族が近くを通り掛かり、犯人として捕まったのだ。宝の場所を吐かされ、親は殺され、貴族は私兵をベルタの秘密基地へ向かわせた。
ベルタは不運にも、その時、基地にいた。
追い詰められながらも、一人、また一人と私兵を倒していったが、やがて力尽き、隠れ家に閉じこもろうとした。
「その男は、両手首がへし折れても、嚙みついてまでして宝を奪うものを許さなかった。そこから話が大きくなって、吸血鬼の異名が付けられたらしい」
「……ふむ。では、あの墓は……」
「本人が作ったんじゃないか?」
テリオンはすっかり興味を失くしたようにエールを飲む。
後から呼ばれるようになったのなら、吸血鬼の異名など知らぬはずである。それに、墓石があったということは、誰かが埋葬したはずだ。そうは言っても、これ以上は自分の記憶にないので明日図書館にでも行って調べるとしよう。サイラスはそう考え直した。
──実は、後に、この殺されたはずの子供が実はベルタによって生かされており、その子孫がひっそりとベルタの死を悼んで墓を作ったのだが、それは二人の与り知らぬ話である。
「それより、今日はやけに調子が悪そうだな」
ぐいと前髪をかきあげられ、サイラスは驚いた。
テリオンはアーフェンとよく肩を抱き合ったり背中を叩いたりと身体的な接触のある青年ではあった。ただ、相手を選ぶのか、サイラスやオルベリクにはそこまでスキンシップを取ったことはなかった。酒のせいだろうか。
何度も瞬きをしてしまったが、問われていたことを思い出してグラスを手に取る。
「ああ、きっと疲れが出たのだろうね」
「……これで最後にするか」
トプトプと酒を注がれたと思えば、テリオンはボトルに残った酒を呷る。彼が飲むならばとグラスの酒を飲むことにして、いや、と呑み口に付けた唇を離した。
「キミはこの後、どうするつもりだい?」
「宿に戻って休むだけだな」
「というと今夜が最後の滞在となるのだね」
「……まあ、そうなる」
ペロと唇の端に垂れた酒を舐めとり、テリオンがボトルを置く。それを見守っていると胡乱な目を向けられる。
「なんだ? 言いたいことがあるなら早く言え」
彼は口にするより目で訴える言葉の方が多い気がする。
この時も口調こそぶっきらぼうでいながら、どちらかというとサイラスの心情を汲んでくれたように感じた。
そういった気遣いを心地良いと思い、時に厳しく現実的な言葉を口にしてしまえる彼を、若いな、と思ったことは何度もある。
サイラスとて理由もなく理想的なことばかりを語りはしないが、それが一つの指標となって現実を支えることもある。「……キミが盗賊であることに何の疑問も持ったことはないのだが、」
だからこの言葉は、あくまでテリオンを褒めるだけのものとして口にすることにした。
「学者のローブを羽織り、調べ物をする姿を見ると、案外学者の変装も向いているのでは、と考えてしまった」
学者に向いている、とは以前にも口にしたことがある。
その時はテリオンから盗賊に向いていると言われたのだ。きっとそれは、彼なりにサイラスの人となりを──学者というものに一つの理解を示したからだと捉え、サイラスもそう返したわけだが、いまとなっては、もう、自分がそれを口にすることはできない。
隣にいてほしいと、そう彼に願うようなものだからだ。
「他にもあるか?」
テリオンが更に残っていたナッツをつまみ上げた。ハーブもいくつか混ざっていたのか、くるりと指で葉を回転させたかと思えば、食む。
「……成り行きとはいえ、キミとまた旅ができて楽しかった。頻繁に出かけることは難しいが、フィールドワークやダスクバロウに残してきた書物を運搬する際は、キミにも手伝ってもらえると嬉しい。……いや、他に旅をする相手がいなければの話だがね」
物理的にそばにいてほしいわけではない。
それに、彼が誰を見ていても自分は受け入れてしまえるだろうから、伴侶だのなんだの、そのような関係に収まらなければいいとすら思う。
友や大事な仲間だと言われたら諦められるような、そうでもないような、この、曖昧な感情の存在を認めてほしい。
許されたいし、可能なら、悪くないと思われたい。
「そういえば、思うよりキミは小柄ではなかったな」
「……、ほう」
「操られていた時に掴まれたのだが、力も強かった。前衛を担うのだから当然だが……振り払えると思ったら、そううまくはいかなかった」
少しずつ、惜しむように酒を飲み、語っていく。
サイラスの中に根付いたテリオンという存在を、線でなぞるように言葉を連ねて、象っていく。
好きだな、と。ただその一言が言えないから、それ以外の、彼のことを尊敬し、愛おしいと感じ、健やかな日常を願ってしまうその気持ちを声に乗せた。
気付けば撫でるようにテリオンの片手を取っていたが、言いたいことが落ち着くとすんなりと放すことができた。
酒は既にぬるい。潮時だ。
「こんなにも言いたいことがあったとは驚きだ。聞いてくれてありがとう。……私はもう行くよ」
「俺も行く」
席を立つと、テリオンもついてきた。宿へ送ろうかと訊ねれば、ああ、と声が返る。
「お二人さん、お帰りかい? 土産にプラムを持っていきな」
宿の店主にお礼だとSP回復のプラムを持たされ、酒場を出た。
テリオンが食べ始めたのでサイラスも一口齧る。みずみずしい果実の甘さがすうっと舌の上に広がり──徐々に思考がはっきりしていく。
(私は……先ほど、変なことを言っていなかっただろうか)
なにを言ったのかあまり覚えていないが、とにかく恥ずかしいことをしたような気がする。しかしここで付け足して弁明をしたところで、怪しまれると無言になるほかない。
「では、私は自宅に帰るよ、おやすみ。帰りは気をつけて」
「待てよ。ベッドは一つ空いてる。あんたも泊まっていけばいいだろ」
「一人のほうが休めるのではないかね? 私のことは構わないから……」
「いいから来い」
引きずられ、抵抗も虚しく、部屋まで連れ込まれる。
テリオンが手燭に火を灯して、部屋を明るくした。
ベッドの片方に追いやられ、しかし座ることもできずに立ち尽くす。
「さっきよりはマシな顔だな。プラムが効いたのか?」
「みたいだ。SPが枯渇していると思考が鈍るようでね」
「ほう?」
「あの男とキミにSPを奪われた上に、プラムはリスに盗まれていたんだ。先程までの私の発言は本心ではあるが、世迷言だと思ってくれて構わないよ」
同性であるし、テリオンはサイラスの言葉をいちいち気にかけないと分かっていたものの、ついそんなことを言ってしまった。
「……つまり、SPが枯渇していれば、さっきのあんたが見られるということだな?」
「それは、否定はしないが……できれば忘れてほしいところだね」
隙間風が吹いたのか、その時、室内の明かりが消えた。
手の甲に触れるものがあり、疑問に思う隙もなく、指を絡め取られる。
「ッ……!?」
唇の横に何かが触れた。
「ここか」
そう言って、やり直すように呼気が近付いた。
「え、待──」
何をされたのか。察した身体がざわ、と毛を逆立たせ、身構えた。片腕を掴まれては押し返すこともままならず、サイラスはきつく目を瞑る。
口を塞がれたと思えば、顎を上向かされる。舌を撫でられ、吸われ、腔内を舐め取られる。
舌を噛まれた。
痛みに視界に星が飛んだ気がしたが、そんなことがあるはずもない。目蓋を透かして光が見えた。一気に力を奪われたような心地がして、後ずさる。
「……さっきのは告白で合ってるんだろ? サイラス」
「……まさか、知った上で……キミ、んむ」
啄むようなキスをされると疲労感が和らいだ──SPパサーをされたのだ。
なぜこんなことを。ベッドへ押されながら、まずはそれを問うてやろうと考えた。意外にも、こんな状況下でも自分は冷静らしい。
(酔っているのだろう。そうだ、……違いない)
唇が離れると惜しい気分になって、目で追いかける。……いつの間にか互いの顔がよく見える明るさに戻っていた。
「まだ、足りないよな?」
その声は酒で掠れていたが、甘い響きがあった。訊ねるようでいて、その実サイラスの返答を断定しようとしている。
いいのだろうか。こんな夢のようなことがあって。
流されそうになったが、注がれるSPが増えるにつれて、合ってはならないと強く思い直した。
咄嗟に、テリオンを突き飛ばした。
「な──」
「これ以上は本気にしてしまう。やめてくれ」
自分がどれだけ情けない顔をしていようと構わない。
「私に覚えはないが、キミを誘うようなことでも言ったのだろうか。忘れてくれないか」
「落ち着け。……さてはあんた、相当酔ってるな」
「それはキミの方だ。私がキミのことを好きだからといって口付けなどしなくて良いのに……。またキミのことを忘れられなくなる」
大きなため息をついたかと思えばテリオンは頭を掻いた。素早くサイラスの両肩を掴み、今度は有無を言わさぬ力でベッドへ押し倒してきた。
「──首筋を噛むんだったな」
「うあっ……!」
辺りに仄かな燐光が舞い、すぐに消える。
明滅する光が泡のように弾けて消え、その度に思考を止められる。
「好きなんじゃないのか」
「好き、好きだよ。ああ、うん……ずっとそれが言いたくて、言えなかったのだが、しかし……」
「あれだけ分かりやすいくせして、何を今更怖気づくんだ」
「違う、怖いのではないんだ。好きだと思うのは……私の勝手な感情であるから、キミに、そう、キミに伝えたところで困惑させるだけだと……」
「困らないと言ったら?」
「……」
「おい、黙るな。嘘じゃないぞ、いくらでも言え。……なあサイラス、もう一度」
ふ、と唇が離れた途端に息を吐くと彼は小さく笑った。
まるでそれを愛おしいというように頭を撫で、サイラスの形を確かめるように身体の線をなぞりながら、あの甘やかな掠れた声で囁く。
「俺は──ずっとあんたが欲しかったんだからな」
「……全く、キミには完敗だ」
見出された前髪を自分の手でかきあげて、彼の顔をじっと見つめた。
太陽の匂いのする、夜明けの色を影に乗せる髪を払い除け精悍なその顔に触れる。
撫でるようにその下顎に指を滑らせ、引き寄せた。
口付けは拒まれることはなく、しかし、指一本分の隙間以上に離れることも許されなかった。
「愛というには乱暴だが、恋と呼ぶにはあまりにも苦しい想いをキミに抱いている。許してもらえるだろうか。この感情をキミに伝えることを……それ以上を望んでしまうことも」
「いいだろう。だが、覚悟をするのはあんたの方だ」
返答のように粗野な動きで唇を押し付けられ、ふ、と笑ってしまった。
それが彼の照れ隠しだと分かってしまったからだ。
「盗んだ物は手放す主義だが、手に入れた物は一生俺のものとする。そんな盗賊の手に落ちてきたのは、サイラス、あんた自身なんだからな」
「はは、意外だな。キミからそんな口説き文句が聞けるとは……プリムロゼくんに聞かせてあげたいよ」
「やめろ」
「冗談さ。聞かせるはずがないだろう? せっかく許されたというのに」

その夜は互いに心を分け合うように言葉を交わし、唇を重ねて穏やかに眠った。
この時分かったのだが、SPを奪われると思考が鈍り、反対に与えられるとどこか恍惚として頭がぼんやりする。
翌朝、サイラスは何気なくこの話をしたのだが、それがテリオンとのこれからにどう生かされることになるのかは、それこそ未来の彼らしか知らぬ話である。


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