所有の証

「これはどうやって付けるんだい?」
夜。寝台の上での肌の接触に気恥ずかしさを覚えなくなった頃、睦言よりも先に投げられたのはそんな問いかけだった。
脱ぎ捨てたシャツを拾い上げ、まさに袖に腕を通していたテリオンはボタンを止めながら、どれだ、と呟くように問い返す。
「これだよ。キミがいつも皮膚に残していくから、気になってね」
同じくブラウスを肩に掛けただけの、ほぼ裸に近い格好で、首元を示してサイラスは答える。タイを結べば見えなくなる位置、白い肌にはくっきりと楕円形の鬱血痕がある。
気分が乗るとつい噛み跡を残してしまう──それは彼と行う肌の交流が心地良いからこその発露であり、情事の最中に知った自分の新たな一面だ。付けるたびにそれが意識され、さらには本来の『自分のものだ』という主張をも果たすため、サイラスの首筋に痕が残っている様を見るだけで気分が良い。
シャツの裾を出したまま、筋張った指先で頬に触れ、そのまま首筋を撫で下ろす。
「教えてなかったか」
「そうだね。それに、真似て見たところでキミには跡が残せないようだ」
サイラスもまた長い腕を伸ばしてテリオンの鎖骨に触れる。何度か噛みつかれたような気もするが、大抵甘噛みで終わるからテリオンの方はそういった痕は全くといっていいほど残っていなかった。
ベッドの上に座る恋人を見下ろしているからだろうか、柳眉を下げるその顔に可愛げを覚える。
人差し指をかぎ状に折り曲げて、甲を差し出す。
「教えてやる。……ここに歯を立ててみろ」
「歯を?」
「ああ。そのあと肌を吸うんだ」
原理から何から聞きたがる悪癖を片手間に往なして、いいから早くやってみろと唇に指を寄せる。おずおずとテリオンの指に歯を立てたサイラスを見て、性行為の時とは異なる気分の昂揚を覚えた。
「舌で触れるだろ。その部分を強く吸ってみろ。……なに、どうせ指には痕が付かない」
指先が、唾液で濡れていく。他人の腔内に指を差し出すなど普段ならあり得ないが、相手に情愛を抱いているだけで心地良い接触となるのだから自分は存外容易い。
何度か指摘をしながら付け方を学ばせ、唾液が彼の口端からこぼれ落ちたところで指を離す。
ぎし、とベッドを軋ませ、隣りに座った。
「ほら」
「……では、失礼」
最中であればもう少し可愛げがあるのだが。道を割り込むときと変わらない声色で応えながら、テリオンが晒した首筋にサイラスが唇を寄せる。腕が背中と腰にまわり、少しだけ抱き寄せられた。
吐息が触れる。このままもう一度交わってもいいくらいだと思いながらも、刺すような一瞬の痛みをやり過ごす。
「うーん、なかなかうまくいかないものだね」
顔を離したと思えば、サイラスはどこか残念そうに噛んだ場所を指で撫でた。テリオンからは見えない位置なだけに、実際どうなったのかは分からない。
「練習次第だな」
「次は付けてみせるよ」
慰めがてらこめかみに口付け、着替えを再開する。一緒に寝たいのが本音だが、あいにくこの宿のベッドは細長く、成人男性二人が同衾するには狭かった。
ストールと上衣を拾い上げ、自分のベッドへ放り投げる。水場から精霊石を使って湯を出し、二人並んで身体を清めた。


そんなことがあったものだから、以来、サイラスが首筋に触れてくることが増えた。情事を終えると、今日もうまくいかなかった、と言ってはテリオンの首や肩に触れ、
「もう一度だけ試させてくれ」
と言っては甘く噛んでくる。普段は話してばかりの自由な口が、テリオンに痕を残すためだけに使われるというのはなかなか気分が良かった。
「今日も残らなかったか?」
この日も、顔を上げたサイラスが複雑な顔をしていたので、慰めるつもりで訊ねた。
それなりに回数をこなした結果、前よりは赤く歯形を残すことも増えていたが、数時間で消えることがほとんどだ。サイラスが自分の噛んだ箇所をなぞるように唾液を拭い、眉尻を下げて笑う。
「私には向いていないのかもしれないな」
「気にするな」
立ち上がりついでにしょげた癖っ毛ごと頭を撫で、隣に寝転ぶ。
今は仲間たちと別行動を取っていて、明日、合流の予定だ。朝食時に待ち合わせであるので、今日はもう寝る必要があった。
「消すよ」
蝋燭の火をサイラスが吹き消す。室内が真っ暗闇になる。そのまま、テリオンは眠りに落ちた。
──翌朝、起きたときにはサイラスは着替えを済ませていた。彼と比べれば少ない衣類を身に着け、しばらくおあずけになるだろうキスをしてから部屋を出る。
酒場に向かえばアーフェンとハンイットが先に座っていた。聞けば昨晩ここに着いたものの、アーフェンはそのまま酒を飲んで酔い潰れて放置され、ハンイットはリンデに起こされてやってきたという。
「オフィーリアくんたちもそろそろ着く頃だろう。料理を頼んでくるよ」
「それなら私も手伝おう」
先んじてサイラスが立ち上がり、料理を運ぶならとハンイットがそれに続く。残されたテリオンは長卓に突っ伏すアーフェンの隣に座り、よう、と声を掛けた。
「おう……」
「随分飲んだらしいな」
「へへ、まあな……あ〜、悪り、俺の鞄、開けてくんね……?」
足元に置かれた鞄を掴み上げ、膝に乗せてやる。アーフェンはのそのそと緩慢な動作で中を漁り、あったわ、と粉末状の薬を口に含むと水筒の水で一気に流し込む。
「あー……頭いってえ……」
この様子では今日は使いものになるまい。
呆れて頬杖をつき、彼に話しかけるのは諦めてサイラス達の後ろ姿を眺める。
「ん、お……?」
起き上がる気配がしたかと思えば、背後からアーフェンに肩を掴まれた。酒臭い息に睨み返すと、へらへらと笑ってアーフェンは掠れた声を出す。
「へえ。あんたも昨日は楽しんでたみたいだな?」
「……何の話だ」
「ん〜」
自身の首筋をトントンと指したかと思うと、糸が切れたかのように再び卓に突っ伏す。肩を揺すって問いかけてみるが、返ってくるのはいびきだけだ。
(首?)
怪我をした覚えはない。思い当たるとすればサイラスの噛み跡くらいだが、痕は付けられなかったと言っていたはず。
ここでは真偽を確かめるすべもない。ストールで首筋を覆い隠し、料理を持ってきた二人を何気ない顔で迎えた。
「また眠ってしまったか」
料理を置くとハンイットがアーフェンを起こすべく自席を離れる。テリオンの隣にはサイラスが着席し、アーフェンの肩を叩くハンイットを和やかに見ている。──つまりテリオンの方へちょうど上半身を向けていたので、肩を預けるようにさり気なく近付いた。
「サイラス」
「なにか?」
「……付けたのか?」
小声で、指摘された箇所を示す。サイラスなら答えるだろうと思い──なによりハンイットの前でそういったことを明かしたくはなかった──わざわざ彼の方を見向きはしなかった。
「どうだろうね」
だから、見ておけばよかったとストールを整えられてから後悔した。振り返ったところで常と変わらぬ平然とした笑顔しかなく、問いただそうとしたところで、酒場の扉を開けて残る四人が現れる。

軽率に教えるものではなかったと、その朝、テリオンは気もそぞろに朝食を取る羽目になったのだった。

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