魔法使いと人間
★この話は「篠/崎/く/ん/の/メ/ン/テ/事/情」という作品に出てくる魔法使いや人蔵魔法の設定をオクトラにくっつけた、あらゆる方面に土下座しながらも妄想を形にしたい欲求に抗えず書いた作者の妄想です。書きたいところだけ書きました。
現在連載中の最新話までの設定部分のネタバレを含みます。
『目障りだったんだ、ずっと──死にかけたあの時から!』
盗賊テリオンが飛び起きたのはウッドランドの森の中、朝日が木の葉を淡く照らす時分だった。
嫌な夢だった。片手で顔を覆うと汗が指を伝い、手首で止まる。鈍い金属音にようやく慣れてきた手首の重さに溜息をついて、立ち上がった。
クリフランド地方ボルダーフォールにて、彼は久方ぶりに盗みでへまをした。レイヴァース家の執事に足止めをくらい、罪人の腕輪を嵌められ、外したければ竜石を盗り戻せという依頼を無理矢理に言い渡され、旅立った。彼が盗賊の間では揶揄の対象ともなり得るその腕輪を外さず、依頼を引き受けたのは、ひとえに彼が盗賊としての矜持を持っていたからに過ぎない。
荷物は少ない。上着とストールを整え、軽食として持ち歩いているリンゴを咀嚼しながら森の道を進む。
彼が目指しているのはフロストランド地方のさらにその先、フラットランド地方だった。そこに、黄竜石を持つ学者がいるとの話を受けたのだ。
歩くうちに、雪が舞い、やがて道は白くなる。
クリフランド、リバーランドと温暖な地方で暮らし住んだ盗賊には、極寒の地を一晩で越えることは難しく、この日、彼は体力を温存することも考え早めに次の町へ向かった。
聖火の都フレイムグレースで一泊した後、彼はそのまま町を出た。熱心な信者でもあるまいし、観光に来たわけでもない。大聖堂が有名と聞いていたが、彼にはそれをのんきに見学する余裕などどこにもなかった。
かろうじて居座った酒場で雪山越えに必要なことを仕入れ、フラットランドを目指す。
途中、何度も彼は魔物と遭遇したが、三回に一度は魔法使いに助けられ、事なきを得た。
そう、この世界には魔法使いと呼ばれる存在が居る。
彼らは自由奔放気まぐれで、あるいは好奇心旺盛で一途であり、外見はテリオンたち人間と等しく、繁殖方法も変わらないが、不死身であった──彼は知らなかった。実際のところを言えば、不死身ではなく、魔法使いたちは『自身の心が満ち足りたとき、死ぬ』。ただ、彼らがあまりに人間よりも天真爛漫で、探究心に強いため、人間よりも少しだけ死ぬ割合が低いだけであった。
とにかく、フラットランドには魔法使いたちと性質の似た職業として学者が存在し、人間、魔法使いを問わずそういった者たちが集まりやすい。
「危ないところだったね」
「あんたのせいでな」
三度目に助けてくれた魔法使いは、学者の見た目をしていた。黒いローブに黒い靴。髪色まで暗く、瞳は気まぐれな空の色。日焼けなど無縁に生きてきたと言わんばかりの白い肌は張りとツヤがあり、穏やかな物腰と装飾品の多さから裕福な出だろうと品定めする。
「ところで、私はこれからクリフランド地方クオリークレストに向かおうとしているのだが、道には詳しくないだろうか?こちらの道で合っているかな」
「知らん。どこかしらに看板があっただろ」
「要所にはあったけれど、地図を見るといくつか分岐があるようなんだ。……どうだろう、情報交換をしないか?」
彼の提案は分かりやすいものであったので、手がかりが得られるならばいいだろうと渋々頷く。
これが、盗賊にとって二度目の誤った選択となった。
オアシスの酒場は、地理的にも立地としても人が集まりやすい。賑やかというよりは騒がしく、落ち着きのない場所で、物思いに耽るには全く向かないが、今のテリオンにはこの騒がしさこそある種の救いだ。
「彼も魔法使いのようだったね」
久方ぶりに再会した相棒と、彼によって思い起こされた古傷を堪えて酒を飲んでいると、隣に腰掛ける者が居た。サイラスだ。
「キミは知らなかったのだろう。あの時、珍しく驚いたようだったから」
それに、と付け足したとき、彼の手元で氷が音を立てて溶ける。
「魔法使いの死に際も見たことがあるのだね?」
「……だからなんだ」
ダリウスの死に方は魔物と近しく、砂塵と化すものだった。彼は直ぐに人型に戻り、危なかったと騒いでいたが、要はあのとき一度死んで、生まれたのだろう。
呆気なく、容易く、魔法使いは死ぬ。そうならないよう意識してつるんだ結果が、ダリウスの裏切りだった。
話したくはない。レイヴァースの奴らにも、仲間だという彼らにも。
こんなものは、知らない方がいい。
「……おい」
「ん?」
「離せ」
目元を隠すように垂れ下がった前髪を、サイラスの指がすっと横へ流す。
「知識に罪はない。あるとすれば、それは我々知識を用いる側にその覚悟がないときだけだ」
彼は話は終わったと言うように『人蔵人間をつくろう』の本を開き、読み始めた。
横顔を見つめても何も反応はない。集中するのが早すぎやしないか。
「──……」
勝手なことを言うなと、あんたに何がわかる、と言わんとした口から声は出ず、代わりにエールを喉の奥に流し込んだ。
皆がそれぞれ旅を終えていく。ダスクバロウから旅立つ仲間たちを見送ったあと、残ったのはテリオンだけだった。
「人蔵魔法をかけたいんだったな」
「それなんだが、……やめておこうと思う」
「は?」
イヴォン然りルシア然り、彼らは人蔵人間と思想を共有し、その先に知識の独占を目論んだ。人蔵魔法は一度かけると解けることがないとわかった今、サイラスにできることは、奪われた書物を、廃人と成り果てた彼らの人蔵人間からなんとかして取り出すことと、あの場所に秘された書物を移すこと、そして、『辺獄の書』を解き明かすことだ。
ただでさえ書物を持ち歩き、荷物も多いくせに、あの大量の本をどうやって運び出すというのか。それに、テリオンがいなければ──闇市に出品された書物を奪い返すことなど不可能だ。
「……俺に貸しを作るつもりか?」
「そのつもりはないよ。キミと旅をしたことで得られたものは多かった。それが報酬ということにしてくれていい」
元々、旅に協力する代わりに人蔵魔法の試し打ちに付き合う約束だった。魔法使いたちに少しの偏見と抵抗を感じていた頃は嫌な約束だったが、彼らの生態を知った今は違う。
テリオンが発つのを待つ学者の手首を掴み、ひねる。
「魔法とやらを跳ね返せばいいんだろ」
「それはそうなのだが、キミも聞いただろう? 魔法使いの心の奥底に眠る願望や欲求、あるいは救いが人間側と重ならないと発動しない、と」
「? ああ」
「キミに共感されたとき、満たされてしまう気がするんだ」
サイラスはテリオンの目を真っ直ぐ見つめて、茶化すことも恥じらうこともなくそう言った。
このとき、テリオンの脳裏を過ぎったのは人蔵魔法について語るサイラスの姿と、彼が語った知識の数々だ。
人蔵魔法が成立することは極稀だ。魔法使いが発動させる必要はあるが、許可をするのは人間側で、その空間も千差万別、かけてみなければわからない。だが、人蔵魔法は術者の内側を開き、人間側にすべてを託さなくてはならない。それによって廃人となった人間もいれば、心が壊れた魔法使いも少なくない。
そして、不死身とされる魔法使いたちの唯一の死は、、死んでもいいと心の底から満足したとき、訪れる。
『知識に罪はない。あるとすれば、それは我々知識を用いる側にその覚悟がないときだけだ』
かつて、そうテリオンに言い放った彼が、死を恐れて知ることを諦めようとしている。
「……あんたはどうやら知らないらしい」
学者の躊躇いを鼻で笑い飛ばし、テリオンはサイラスを引き寄せた。これまで詰めることのなかった距離を物理的に狭めて、顔が触れ合ってもおかしくはない至近距離で見つめ返す。
「人は、そう簡単に満足しない」
「だが……もし魔法が発動した場合、キミに助力してもらうことになる」
「おい、今までの自分の行動を振り返ってから言え。──あんたは知りたいことがあったとき、俺達のことなんざ忘れて一番に飛びついていただろうが」
「それは……そうだったかな……?」
先に目を逸らしたのはサイラスの方だった。その隙をついて唇に触れる。
瞬きをする彼の、呆けた顔を見ると身体の内側からおかしさが込み上げて、思わず笑った。
「この程度で満足したとは言わせない」
「……わかった。じゃあ、……本当に、かけてみるが、拒むんだよ」
「わかったわかった」
長いようで短い文言に合わせて空中に術式が記されていく。
意識が移り変わったのは、一瞬だった。
白い世界、壁も天井も、何もない空間に何故か本棚だけが並んでいる。その手前に一人、幼い少年が座り込んでいた。
声をかけようとするが、声が出ない。
だが、少年は本を持ったまま、振り返る。読書の最中にふと目を上げたような動きだった。
『独りは嫌だ』
氷が溶け出すように、静かに涙が頬を伝う。
(……俺が、)
「──テリオン!」
両肩を掴まれていた。いつも涼し気な顔をしているサイラスが、このときばかりは焦ったように早口で心配を口にする。反応がないから魔法がかかったのだとわかった、返答がなくなって時間が立つほど発動してしまうのではないかと不安だった、などなど。その他魔法をかけられた人間の反応についての観察事項も含まれていたが、聞き流す。
「……かかってないな」
片手を握ったり開いたりしながら違和感を探してみるが、なにもない。
「勿論だ。成功はしていない。キミがきちんと跳ね返してくれて助かったよ。それで、……?」
胸を撫で下ろす姿は学者としての安堵だろうが、そんなことよりもまず、彼は意識すべきことがある。
「ひとまず、宿に戻るぞ」
「え、キミはこのまま旅立つのでは?」
指を絡めあったところで生娘のように恥ずかしがることもなく、サイラスは困惑の表情でテリオンに従う。
彼の言う『独り』とはおそらく学者としての、知識を共有する者としての願いであることは明らかだ。テリオンには与えてやれない、いや、与えてやりたくはないそれを知ることができただけ、約束を果たす意味はあった。
キスも手を繋ぐことも嫌がらず、心の内側を明かすことで満たされてしまうと躊躇うのは、それはきっと、彼がテリオンを好きだからだろう。
「やっと二人きりなんだ。そう簡単に離れてたまるか」
「ええ……?」
恋心と自分の本心すら見分けがつかない鈍い学者には、このくらいあからさまであるほうがいいに決まっている。
人気のない廊下でもう一度口付ける。
「……これ以上は、部屋に入ってから頼むよ」
「ああ」
わざとらしく開錠の音を立てながら、部屋の扉を二人でくぐった。