贈り物の話
八人の仲間と旅をしたときは気付かなかったが、一度離れてみると見えてくるものが多くある。
昨日分かれたばかりのようにいつも通りの者と、久しぶりの再会を喜び、歓迎してくれる者。あるいは変わらず仕事の話で盛り上がり、じゃあまた、とすれ違うように分かれる者や、ここまで来たなら楽しんで行きなさいと豪勢な食事を振る舞い旅の時のように話をしたがる者。
八人いればそれだけ再会の形も異なり、味わい深い。
ただ、それはあくまで仲間同士の話である。
「久しぶりに会う恋人に、贈り物をするといいそうですよ」
そんなことをのたまったのは年頃のお嬢様だった。彼女は貢ぐよりも貢がわれる立場にいたので、隠れて贈り物を買うのも難しく、ここぞとばかりにテリオンを頼り、テリオンの方もそれに上手く応えてやったわけだが。
彼女が感謝の気持として贈ったリボンは肌触りの良い布で仕立てられたもので、飾り気こそないがしっかりと青色に染められ、人目でその質が伺えるものだった。
贈り物か。と、その時テリオンはオフィーリアをからかったときのことを思い浮かべた。
化粧気のない神官には何が似合うかと考えてみたことがあった。顔に塗りたくるより、その素朴ながら人好きのする顔に華を添える宝飾品が良い。冗談の体ではあったが、その感性自体に嘘はなく、そのまま伝えたはずだった。
薬師の方は花を思い浮かべたというので、なるほど贈り物には当人の価値観がよく現れるなと思ったものだ。
(贈り物……贈り物な)
話は変わり、テリオンには一人、思いの通じ合う相手がいる。同性で、共に旅をする仲ではあるが、寄り添い睦まじく生きるわけではない彼のことを、テリオンはそれなりに大事にする気でいた。
たとえ、彼が色恋に疎くとも、人の思いやりなぞ目に見えないかのように扱っても、こちらの思いが届いた分だけ確かに返し、同じだけ思いを注ごうとする姿はいじらしく、年の差など忘れるほどに愛らしかったのだ。
しかし困ったことに、その当人はテリオンには想像のつかない域の、いわゆる天才と称されるに足る人物だった。体内に蔵書しているのではと疑うほど片手に本を持ち歩き、口を開けば史実に基づき紐解いた、ありがたくも長い講義が始まってしまう。
要は、テリオンが下手に本を贈ったところで、彼がすでに読んでいる可能性があった。
トレサに聞いてみたところ、本には様々種類があるらしい。紙や表紙の素材に始まり、論文から夢あふれる小説まで、中身も素材も多様だという。
試しに何冊か置かれていた本を盗んでみたところ、どれも彼の目にはかなわなかったとトレサ経由で知ることができた。
ならば、あとは、テリオン自身が贈りたいものを贈るべきだろう──という結論に至るわけだが、テリオンにとって贈り物といえば宝飾品だ。それも、間違いなく盗品である。
そんなものを彼の首や耳に付けたいかと考えると、いまいち滾るものがない。それよりも旅のはじめに開けたピアス穴のほうが大事に思えてくるので、一瞬己の嗜虐性癖を疑ったが、それはそれで時が来るまでおいておくことに決めている。
そうして毎度、両手に何も持たない状態でアトラスダムを訪れることになるわけだった。
「そうだ、テリオン。これはキミの旅に役立つのではないかと思うのだが、どうだろうか」
その日、サイラスから贈り物を受け取った。
役立つだろうと渡されたのはブレスレットで、速さを命とする盗賊にとって便利な代物だった。
(ほう……そうきたか)
役立つ間は使ってくれ、不要になったら売り払えばいい、と続けられて察する。持ち歩いても邪魔にはならず、売れば少しは金になる装備品──サイラスが自分へ物を贈る基準はそれなのだと判断した。
彼がそのように考えるのであれば、こちらも同じようにしてやればいいだろう。そう思い、テリオンはこのとき、お返しのように使っていたリングと、精霊石をサイラスへ渡した。あり合わせであるのは明白だったので、こう付け足して。
「……盗みに役立てたものだ。あんたにも使えそうだが、要るか?」
するとサイラスは少しの間瞬きを繰り返し、吐息をするように微笑んだ。
「ありがとう。大事にするよ」
「要らなくなったら捨てろよ」
笑うだけで、それに対しての返事はなかったが、これまで旅してきた中で彼のことはよく知っていたので、大丈夫だろうと見逃した。
それから食事と、軽く触れ合うだけの安らぎを得て、彼の家を後にした。気恥ずかしかったこともあるが、次はもう少しマシなものを贈ろうと思ったからでもあった。
そんなことを続けようとして、しかし、そう上手くはいかなかった。
サイラスはアトラスダムからほとんど外に出ない、腰の重い人間だった。アトラスダムから出なければ、装備品を使う機会などたかが知れている。教師をやっているので収入があり、家も借りているそうで寝食に困ることはなさそうだった。
外に出る理由さえ作ってやれば、こちらが迷惑するほど歩き回るが、彼自身に外に対する希求はなく、本によってあらゆる外の事象について知ることの方が性に合っていたようだ。だから、というべきか。サイラスはよく旅先での出来事を話すようテリオンに強請った。なんなら愛情表現よりもそちらの方が回数が多いほどで、ほとほとテリオンは手を焼いた。
そんなある日のこと、サイラスの家を訪れると手紙があった。
この手紙を読んでいるということは、私はまだキミを見つけられていないのだろう。キミに会いたくなったので、まずはクリフランドのボルダーフォールを訪ねる。これを読んだなら、馬車を使ってでもいい、すれ違いにならないよう会いに来てくれ。
これを書いたのが本人とは思えないほど殊勝であったが、どこか自分勝手な頼み事が彼らしく思われたので、添えられていたリーフを懐に、通りがかった荷馬車に滑り込んだ。
不思議な感覚だった。会いたいから会いに来てくれと言われたのも初めてであったし、大陸を旅するテリオンとアトラスダムの外で待ち合わせようとするサイラスのらしくなさが可愛く思えたのかもしれない。日が昇り、沈むまでが長く、魔物との戦闘ではいちいち舌打ちをしてしまうほど、待ち切れなかった。
「魔物に襲われて、学者の一人が崖から落ちたって」
しかし、待っていたのは朗報ではなく最悪の報せだ。
目撃した商人に話を聞き、あたりを調べる。コーデリアとヒースコートにも話を付け、この辺りの川に落ちたならここまで流されているかもしれない、と地図から場所を予測し、礼もそこそこにクリフランドからリバーランドまでを探し歩いた。
(どうしてこう……素直に事が進まないんだ)
気にかかることがあれば躊躇いもなく歩き出してしまう彼を、この時ほど恨んだことはない。いや、恨むよりも早く安心したい気持ちの方が強かっただろうか。
崖から落ちた経験があるだけに、死んではいないだろうと、ただそれだけを願って探し、──ようやく、サイラスを見つけた。
リバーランドに入ってすぐの滝壺、そこから分かれる川のうちもっとも大きな川辺に彼は横たわっていた。川から上がって気絶した、というにはあまりにきれいな寝相をしていて、焚き火の跡から彼が自らここで休むことを選んだのだと推測する。
だが、あまりに整った寝顔は心臓に悪かった。
「おい、起きろ」
揺さぶり起こす。あと少しもすれば日が暮れるところだが、こんな状況だ。許されよう。
眠たげに起きた彼は起き上がった拍子に、いた、と悲鳴を上げたが、テリオンをみとめると嬉しそうに笑った。
「やっと会えた」
会えた、どころではない。
こちとら必死に探したんだと訴えたかったが、いつになくその姿がいじらしく思われてそれどころではなかった。
「……なにか変なものでも食べたのか?」
「何の話かな?」
「いや、別に……それより、こんな場所で寝て、どうするつもりだったんだ」
「それが、足を怪我してしまってね。日も暮れてしまっていて、動くこともできない。朝を待とうと横になっているうちに、眠ってしまったようなんだ」
「どこだ。早く言え」
霊薬公の魔法を使えばサイラス自身も治せただろうが、おそらく、それもできないほど疲弊しているのだろう。代わりに応急手当を施し、精神力を分けてやろうと手をかざす。
「……?」
首を傾げつつ手を握られたので、違うとも言えず、そのまま接吻の形で精神力を注ぎ込んだ。
「ありがとう、……ええと」
妙な間があった。彼はぱたぱたと自分の身体に触れて何かを確かめたかと思うと肩の力を抜く。何かを諦めたように思われた。
「それで、会えて嬉しいけれど……どうしてキミがここに?」
「手紙を読んで急いで来た。学者が一人、崖から落ちたと聞いて……まさかとは思ったが、探したらあんただったってわけだ」
「……そうか、私はあの崖から落ちてしまったのか。生きていてよかった」
「全くだ」
やれやれと後手を地面へ着く。
珍しく、この時のサイラスはどこか慎ましく、それ以上何かを話そうとすることはなかった。テリオンもテリオンで、無事自分の視界にサイラスを収めたことで安心し、忘れていた疲労がじわじわと体を蝕んでいくのを感じていた。
ぱちぱちと焚き火の音と川の音の響く、静かな夜となった。
翌朝、ボルダーフォールへ向かう道すがら、テリオンは思い出したように手紙について訊ねてみた。何があったのか、と聞いたところ、何かがあったわけではないけれど、と前置きしつつサイラスが首元から取り出したのは、ネックレスだった。
「キミから貰ったリングを失くさぬように持ち歩くにはこれが良くてね。ただ、私はこれを持つだけで満足してしまっていた。いつもキミからもらってばかりだったなと、反省したんだ。だから、今度は会いに行こうと思ったわけだが……どうにもキミの居場所が掴みきれずにいた。おみそれしたよ、キミの盗賊の腕は一流なのだと知ってはいたが、ここまでとは……」
「……待て、待て。確認させてくれ、いつ、渡したものだ?」
「最初にもらったものだよ。ああ、そうだな、みなと旅を終えてからの……」
「それは分かってる」
贈り物をしたかった。贈ることで彼に少しでも何かが残るなら、彼にとって何かしらの役に立つならと思っただけの贈り物が、こんな結末を呼ぶとは誰が予測できただろうか。
こんなことなら、贈り物など考えず、手ぶらでいけばよかった。
「楽しかったよ」
自省するテリオンの隣で、サイラスは呑気に語る。
「旅をしていると一人の時間が増えるだろう?足を止めるわけにもいかず、本を読み歩くことも難しい。そんなときはキミから聞いた旅の話を思い返して、みなと旅をしたことを思い出しながら進む」
そこで立ち止まり、彼はテリオンをじっと見つめた。変わらず微笑んでいるようで、いつも感じる存在感は鳴りを潜めていた。
改めて彼の姿を見つめる。普段整えている髪はところどころが跳ね、ローブは薄汚れているし胸元のクラバットは泥が滲んで茶けている。宝飾品もいくつかは散らばってしまったようで鎖がだらしなく垂れていて、他も、草臥れてしまっていた。
「この世界を旅して、進んだ先でキミと会えた。これ以上のない、楽しい旅だったよ」
彼も自分と同じ、ただの人間なのだ。
「……そうだ、会いたかったんだったな。私が言い出したのにこのようなことになって、す──」
「言うな」
宿まで待ってやろうと思っていたのに、そんなことを言われて何もしないではいられない。襟元を掴んで引き寄せ、謝罪を飲み込む。強張ったのでそれ以上深い口付けは控えたが、どうにも触れていたかったので手を握ることにする。
「宿で休んだら、覚悟しろ」
「……何の覚悟を?」
指を絡ませるようにして握った手を引き寄せ、この世界をも楽しんでしまう青空の瞳を見つめたまま、声にする。
「こっちは会いたかったどころじゃないってこと、思い知らせてやる」