口に出してはいけない
あの夜のこと
突然だがサイラスはテリオンに隠し事がある。
嘘や偽りを良しせず誤魔化しよりも誠実な曖昧さを好む性分である彼が、唯一それを隠し事として認めているのには訳がある。
相手が知らなければそれはないも同然──と考えるのはむしろテリオンの方で、サイラスは相手が知らぬことを盾に行動を起こすことを良しとしない。それは相手が同じように策を練っているときに限られた。すなわち、テリオンが気付かず、サイラスも自分のみで完結していると判断したからこそ、その隠し事は生じてしまったともいえる。
だが、実を言うとこれはサイラスだけがそう思っているだけであり、テリオンには既に知られていることでもあると、読者諸君のために記しておくとしよう。
二日前のことだ。八人の旅人達はウッドランドで雨に振られ、濡れ鼠のままクリフランドの乾いた地面を踏んだ。
坂を上り、橋を渡れば赤崖の街ボルダーフォールに着く。彼らは乾いた布類と負傷者の手当のために町へ急いだ。
ブドウもプラムも十分に備え、神官の魔法や薬師の応急手当も行われていたが、負傷した衝撃は身体に残り、記憶される。たとえ薬や魔法で元の状態に近付けたとしても、身体に反動はくるものだ。
この日、立っていることも難しいほどの状態に追いやられたのはテリオンだった。彼ら八人の中では後半に同行するようになった一人で、旅の目的こそ果たしたものの、攻撃は回避すればよいという考えのもと戦闘を極力避けてきたために、一撃だけでもかなりの負傷をしやすかった。
「寝ていれば治る」
と言って仲間たちの心配を受け取っていた彼であったが、流石に旅の疲れが出たか、道中はほとんど後衛に徹していた。そんな彼に気付き、それとなく町に立ち寄ろうと提案したのが、彼のあとに加入したサイラスである。
実を言うと、この二人は恋仲だった。仲間には報せていないものの、それとなく察している者はいて、宿で毎度二人が同じ部屋を借りていることにも気付かないふりをしていた。
さて、大怪我を治したことで疲労の残るテリオンは、宿で休んだあとふらふらと酒場に現れ、アーフェンやオルベリクと共に安酒を呷り、再び宿へ戻った。懲りないわね、とは近くの円卓でハンイットと飲んでいたプリムロゼのセリフだ。
サイラスはテリオンが先に部屋へ戻ったことを確認してから、適当なところで腰を上げ、自分も部屋へ向かった。ここまでは仲間達も知る彼らのいつもの行動で、テリオンが先かサイラスが先かの違いしかない。
扉によって外と内の境界線を作り、サイラスは真っ先に自分の寝台へ向かった。自分の、と言ってもつまるところはテリオンが寝ていないだけのことである。
辿り着くまでにローブを脱ぎ、壁へ掛ける。コツコツと木板と黒靴の擦れる音が立つが、構わず歩き回る。寝台へ腰掛け、靴を脱いでようやく、サイラスは向かいで眠るテリオンへ顔を向けた。
「……」
名を、呼びかけようとした口が閉ざされる。サイラスはベストを脱ぎ、襟前から胸元まで緩いブラウス一枚だけとなったところで、靴下を履いたままの足を再び床へ下ろした。
声を掛けて起こすよりは、近付いて寝ていることを確認する方がいい。
珍しく慎重にテリオンの眠る寝台へ近寄り、彼が邪魔にはならないであろう脚の方に腰掛けても、起きる様子はなかった。
シーツの上からそっと触れてみるが、規則正しく上下に揺れるだけ。寝ているようだ。
(寝てしまったか)
改めて言葉にすると、落胆の感情が滲み出て苦笑する。
仲間という括りには収まらなかったから恋仲となったのだ。あと少し遅ければ死んでいたような怪我をした恋人を心配しないはずがない。特にテリオンは盗賊という職業上、いつどんなときに死に目にあってもおかしくはない覚悟があるから、怪我をしたときも、その後も、腕に擦り傷を受けたときと同じように受け入れてしまう。──それはサイラスも変わらないので、非難するつもりはない。ただ、思うだけだ。恋仲となった相手が可憐な女性、たとえばレイヴァースの令嬢のような存在であったなら、彼はもう少し違う態度を取るのだろう、と。
『……良かった、目を覚ましたようだね。具合はどうだろう、少し休めば楽になると思うが』
『ああ、助かった』
仲間がいる手前、あからさまに態度を変えたくなかったのだろう。頬に手を伸ばそうとしたサイラスの手を、テリオンはやんわりと拒んだ。わざわざ手に触れてから断ったので、彼なりに大丈夫だと言いたかったのかもしれないが、それだけで安心しろと言われても難しい。
年齢のせいともいえるし、同性でありながら恋仲であるから──自分が床で女側の役目を請け負っているからかもしれない。
サイラスは気付いていた。抱かれることが増えてから、不安に感じたり、憐憫を感じたり、精神的な揺らぎを自覚することが増えた。では前のようになるために役割を交代するか、抱かれることを拒むかというと、そうではない。
彼自身は性的な分野において極端に鈍いため、自分の内側に受け入れてようやく理解が及ぶ。相手に対して細やかな配慮をするだけなら可能だが、力の加減や性的興奮状態の感情の機微を汲むことはとてもじゃないがサイラスには難しい話だった。
不得意なことを無理に担うより、得意な方で応える方が理にかなう。精神的な変化を受け入れてでも今の二人の在り方を変えるつもりがないのは、そういった理由からだった。無論、それ以上に好ましいだとか、見上げるほうがよく顔が見えるだとか、サイラスなりに愛おしく思う理由も後押しをしているが、果たしてそれを当人が意識できているかは本人ですら不明だ。
話は戻し、サイラスは少しの間テリオンの寝姿を眺めていた。起きてほしいと願いこそすれ、自ら起こすことはしたくなかったのである。
結局、一刻も経たない内にサイラスは立ち上がった。テリオンの頭側に移動して、髪に触れる。撫でるように指先を動かし、おもむろに、テリオンが枕元に置いたストールを手に取った。上着も引っ掛けてしまい、そのまま二つを持っていく。
シーツを頭から被り、ストールに顔を寄せる。太陽の匂いの中からテリオンのものらしきかすかな香りを嗅ぎ取り、息を吐く。
潤滑油はサイラスの鞄の中にしまわれていた。前衛、それも敵と近距離で戦うことの多いテリオンは、ものをあまり持ちたがらなかった。それは実際、過去に敵の槍が当たって軟膏の入った瓶が砕けて使えなくなったことがあったためだが、サイラスが知る由もない。
深呼吸を繰り返す。不安に効くのは、平穏、分析、それから不安を忘れる新たな別の行動だ。
(次がいつになるか分からない。……慣らしておいてもいいだろう)
同性同士で行為に及ぶ場合、受け入れる側には多少、準備が必要になる。これを面倒に思う者の方が大半だと考えていたが、テリオンはそうではなかった。彼は慎重さと大胆さのどちらも持ち合わせているが、おそらくこの行為においては前者に気持ちが傾きやすく、不確かな要素がないことを知っておきたいのだろう。とにかくはじめから最後まで自分でやりたいと言って、サイラスには何もさせたがらないのだ。
が、それも回数が重なれば変化する。行為に疎いサイラスでも、口を使って慰めることや、手で気を高めることができるようになった。テリオンの上に跨り自ら動くことは、運動的な面でまだ不足があり、すぐに疲れてしまうが、とにかくサイラスでもある程度の前戯はできる。
ボルダーフォールに逗留するなら、きっとテリオンは律儀にもレイヴァースに顔を出すだろう。それをしないのだとしたら、セントブリッジやクリアブルック、あるいはサンシェイドまですぐに移動しようと言い出すはず。再び野営となれば情事に耽る機会は遠退き、仲間達の目を忍んで手に触れるか口付ける程度しかできなくなる。
「……っ」
テリオンにされるよりは冷静になるから、声は出なかった。ただじっと口を引き結んだまま、自分の後孔に潤滑油を塗りつけ、指先を沈める。狭さを感じたら少しずつ押し拡げる。興奮を拾うには足りない。いかにテリオンとの行為で自分が舞い上がっているのかが分かる。男であるから前立腺を撫でると体が熱を持つものの、心は凪いだままだ。
不安を追いやるには快楽が一番だ。前の方を触ってみようかと柔らかい自身の性器を揉みしだく。こちらの方が生理学的に反応はしやすい。が、やはり熱を持て余すだけとなった。
そこで、テリオンの上着と、ストールの出番である。
(彼なら、)
香りだけでいい。血の匂いも混ざったテリオンの微かな香りにすがって、再び後ろに指を挿れる。前立腺を刺激して、いつも彼がしているようなリズムを意識する。
呼吸が乱れてくると、ほっとした。あと少しだ。
「……テリオン」
小さくても彼の名を声にしたことで切なさに胎の内側がきゅうと収縮した。指などでは到底満たされるはずがないと分かっているが、本数を増やすことしか今のサイラスにはできない。
ストールを抱きしめる腕を下ろし、性器を握る。後孔の刺激に集中して、性器には僅かな刺激だけを与える。シーツの中であるからか、酸素が薄くなってきたのだろうか。ぼんやりとしてきた。身体を丸め、潤滑油で濡らした後孔は水音を立て、性器は固く頭をもたげはじめている。テリオンが背中に回り、抱きしめるように攻め立てるとき、このような体勢に近い気がする。
(こうしていると、時折胸も触っていたな……)
ブラウスの布地の上からも分かるほど勃起した乳頭を摘む。男性のそれは女性と比べると小さいはずだが、何度も吸われてきたために摘みやすいほどの大きさに育っていた。ぞわぞわと背筋を這う冷ややかでいて夢中になる快楽に身を委ね、身体をうつ伏せにする。
(う……っイく、イってしま、あ)
手の中に吐き出したものは素早く古布で拭い、シーツに汚れがついていないか確認する。なんとか身体をよじったから、テリオンの衣類には飛んでいないだろう。
手を拭い、青臭い匂いのこもるシーツをめくり、空気を入れ替える。
衣類を整え、靴に指先を通し、部屋を出ていく。手を洗うためだ。
部屋に戻ってくる頃には酷い眠気がサイラスを襲っていた。倦怠感もあるが、不安を追いやったことで緊張の糸が途切れたのだ。ここまでの旅路の疲労もある。衣類をそれらしく整え、テリオンの枕元へ返す。整え方が違うだろうから、明日、彼には誤って床へ落としてしまったのだと謝っておこう。
自慰行為は男性には珍しいことではないし、隠すことでも言いふらすことでもないと分かっている。だからもし疑われて、聞かれたなら、そのときは正直に答えようと考えながら、ようやっと眠りについた。
そんなことをしたからだろうか。
「寂しいなら、そう言えばいいだろ」
息が苦しいほどの長いキスを繰り返し、青臭さと汗の匂いの中、骨ばった冷ややかな手に暴かれ、貫かれていた。激しい抽送ではなく、形を覚えさせるようにずっと埋め込まれたまま、緩く何度も奥を突かれる。
「は……っあ、あれ……テリオン?」
「寝ぼけているのか? あんたがしたいと言ったんだろ……」
「え? そん、な──ッ」
眠気を無理矢理に引き剥がすような快楽に身体がしなる。ビクと背筋が伸びたせいで昂ぶったテリオンの亀頭が奥まで押し入る。中に入っているであろう幹の部分の硬度と質量にきゅうと腹の内側が収縮して、一層強い刺激が背筋を通り抜けた。
「あ、ぅあ、待って、待ってくれ」
「ああ、待ってやるから。……ひとりでなんかするなよ」
こめかみに、どちらかといえば耳に近い位置で文句を言われた。拗ねているのだとすぐに分かって、謝罪も兼ねて彼の首に両腕を回す。
その後、何かを言ったような気がするが、記憶はそこで途絶えている。
「……夢かな」
ぼんやりと起き上がったサイラスは、向かいの寝台でテリオンが眠っているのを見て、そう結論付けた。
「おはよう」
身支度を整える頃、唸るような声を出してようやくテリオンが目覚めた。
サイラスは晴れやかな顔で声を掛ける。
「身体の具合はどうかな」
「……あんたがそれを聞くのか」
「当然だろう? キミの傷を治したのは私なのだから」
腑に落ちたような顔をしてテリオンは口を噤んだ。両手を握ったり開いたりして身体の不調がないか、確認をする。
「特に違和感はない」
「それなら良かった」
サイラスは彼のベッドへ腰掛け脚を組むと、自分の手を重ねる。
「朝からこんな話題をするのはどうかと思うのだが、具合が良いならば、今夜、時間を開けてもらえないだろうか。キミと触れ合いたい」
──寝起きでありながらテリオンはストールと上着を身に着けていたが、肩を抱き寄せられ口付けられたサイラスがそれに気付くことはなかった。