see the shooting star
視界の端で、チカ、と星が白い線を引いて消えた。それを見ても盗賊テリオンは眉一つ動かさなかった。ああまたか。彼が思ったのはそんなことだ。
決まった家を持たない彼にとって、夜空が時折こうして姿を変えるのはいつものことだった。これから訪ねる家の主ならばきっとこれを見つけると足を止め、この現象の名を唱え、知識とともに原理を語っただろう。彼の話すことにテリオンは興味も湧かないが、話す彼の横顔を見るのは嫌いではなかった。
だからこのときも、土産話の一つにはなるだろうと思って、足を早めた。彼が進むのはアトラスダム平原の馬車道で、かの都市の灯火は既に目前だ。
風に揺らめく火影を横目に、門をくぐり抜ける。衛兵は昼夜変わらず立ち姿で構えているが、この時間だ、疲れもあるのか静かに舟を漕いでいる。
それだけこの町が平穏である証だろう。鼻で笑うこともせず、テリオンはひとまず酒場を目指した。
腹をエールと軽食で満たし、パンをいくつかくすねて外に出る。
目指すは、この町に居を構える学者の家だ。
夜は人通りのない路地は、それだけで緊張を強いる。音を消して歩くうちに家を見つける。窓からほのかに透ける灯火の明かりに頷いて、戸をノックした。
「サイラス。いるか」
カタンと物音がしたと思えばこちらに近寄る靴音が返事をした。自分で開けてもいいはずだが、テリオンはこの間が嫌いではなかった。
「やあ、テリオン。よく来たね」
室内の明かりを背に、サイラスが顔を出す。声の端々から、いや、表情から来訪を心から喜んでいることが分かって、気分が良い。
「寝に来た」
「食事は」
「食った」
「そうか」
促されるままに中へ入り、ローブの隣にストールを掛けた。自分の上着も適当に卓に置き、二人で寝るには狭いベッドに横になる。はあ、と溜息が出たのは、周囲を警戒せず寝られる安堵からだった。
「おかえり、というべきかな」
ベッドがわずかに沈んで、サイラスが隣に腰掛けたのだと肌で感じた。顔をそちらへ向け、傍にあった手に手を重ねる。
「ああ。……ただいま」
レイヴァース家にだけ唱えていたはずの言葉は、いつしか二人の間でも交わされるようになっていた。
この夜、テリオンはサイラスが身支度を整える間、彼が話したいままに話をさせ、寝床に潜り込んできたところで、そういえば、と口にした。
「ここに来る前、流れ星があった」
「ああ、そういえば今夜は流星群が見られるそうだ。天文学者や学生達が騒いでいたのを見たよ。喜び半分、悲鳴半分、といった様子で……」
「なんだそれは」
毛布を分けてやり、サイラスの隣に身を横たえる。くつろぐなら片方が床に寝たほうがいいに決まっているが、肩がぶつかり合ってでも隣で寝たいのは、体温を分け合っていたいからだ。
「学生たちは星を数えるために駆り出されるんだ。徹夜になるのが嫌なんだろう」
「数える?」
「うん。流星群というからにはそれは沢山の星が空を流れるわけだが、毎回、どのくらい星が流れたのかの記録を付けて変化を見る」
「……ご苦労なことだな」
通りがけに眺めるならともかく、流れる星を目当てに一晩、それも魔物や賊が住み暮らす場所で観察をし続けるなど、酔狂としか言いようがない。
「数えるのは苦労するだろうね」
テリオンには縁遠い話だと目を閉じたが、次のサイラスの言葉に再び瞼を押し開けた。
「けれど、星は消滅する時に流れるという。一度は見てみたいものだ」
「……見たことないのか」
顔を横へ向けると、天井を見上げるサイラスの輪郭を手燭の火が照らしていた。
「ないよ」
瞳の表面に光が反射する。瞬きをしたのだと見てわかった。
「隣の家との距離が近く、屋根で隠れてほとんど空は見えない。それに、私も本を読んでいることのほうが多いから」
サイラスが身体の向きを変えてテリオンの方を向く。不器用に肩口に頭を寄せて、囁くように言った。
「星は、空を流れるように消えるのだね」
「──見に行くか?」
気付けば口にしていた。サイラスが閉じた瞼を開いてテリオンを見詰める。
「俺が見たのは門の前だ」
「すぐじゃないか」
「行くか」
言ったのはテリオンが早かったが、サイラスも同時に起き上がり、靴下を探し始めた。上着とストールを身に着け、サイラスのローブを手に取る。ベストを着るか迷う手にローブを投げてやり、扉を開けて待つ。
夜になってもそう寒くない時期だ。カツカツとサイラスの靴音だけが静かな住宅街に響く。
酒場の窓明かりを遠目に広場を通り過ぎ、灯火の照らす門を潜る。
「テリオン」
しかしサイラスは階段を下りるテリオンを呼び止め、手招きした。門の隣、塀に沿うように細い通路が設けられ、角灯などの灯りもなく、昏い。
「ほら、あそこに」
サイラスが指したのは平原にテントを張り、空を見上げる学者の集団だ。
「それより上だろ」
「あ」
彼の手首をそのまま上へ持ち上げてやると、ちょうど指した先で星が流れた。
「流れ星だ」
「……そうだな」
見に来たわけだからわざわざ名を呼ぶ必要などないだろうが、その声が存外はしゃいでいたので大人しく肯定した。
眺めていてわかったが、星はすぐにいくつも流れるわけではない。一つ流れて、しばらく沈黙が続き、もうないだろうと思った矢先にまた一つ、流れて消える。
一瞬の輝きであるから、一人では見逃すこともあるだろうと納得した。
ふあと欠伸を噛み殺すとサイラスが苦笑する。
「……ありがとう。そろそろ戻ろうか。キミも疲れているだろう」
「そうだな。眠い……」
「もう少しだけ堪えてくれ」
指先を引くように手を繋がれたので、こちらから改めて繫ぎ直し、今にも寝そうな振りをして、腕にもたれ掛かる。
そのくらいのことをしても平気な場所だと、理解していた。