名もなき街で雨宿り

旅をしていれば、屋根のない場所で一晩過ごすことだってある。その日の天気が晴れていれば助かるが、あいにく天気は気まぐれで、この日もサイラスとテリオンは道中、通り雨に降られた。
木陰で開いた地図によれば、二人は今フラットランドの中部にいる。北上すればノーブルコート、南下すればアトラスダムがあるものの、どちらの町へも距離があり、少なくとも一晩は野営が必須だった。

「参ったな」

サイラスが濡れた前髪を耳にかけつつ額を押さえると、隣でそれを見ていたテリオンが、ふと、気付いたように地図に人差し指を載せた。

「……そういえば、この辺りか」
「テリオン?」

首を傾げると、彼は律儀にサイラスと目を合わせたあと、視線を地図へ落とした。パタ、と彼の前髪から一滴が落ちる。

「ここにも街がある。地図には載っちゃいないが、……家もある」
「……宿があるのではなく?」
「家造りに長けたやつがいてな」

端的な返答から事情は察せられなかったが、ならばとその街へ向かったのは雨脚が強くなりそうだったからだ。話している間に夜になってしまっては困るし、濡れ鼠のままでは二人共風邪を引いてしまう。
テリオンの先導に従いそれまでの道とは別の道を辿っていくと、雨に濡れた身体が寒さを覚える頃、その街に辿り着いた。

「ネフティ、いるか」

一軒家の扉を叩いて、テリオンが家主らしき人物を呼ぶ。窓から明かりが漏れていたので、人がいるのは間違いないだろう。サイラスはそのまま首を巡らせて他にも家がちらほらあることを確認した。
街というより、村と呼んだほうがいいような人口密度だ。

「はーい……って、テリオンさん。久しぶり!」
「よう。……家を貸してくれないか、この通りでな。服を乾かしたい」
「いいよ、入って入って」
「悪いな」

赤帽子に赤いケープをまとった少女は気易くテリオンたちを招き入れると、自分は小さなカバンを一つ手に取り、戸口に立つ。

「わたしはコタの家に行くから。朝ごはんは酒場で取ってね」
「助かる」
「へへっ、どういたしまして!」

サイラスが止める間もなく、彼女は薄暗くなりつつある外へ飛び出してしまう。呆然と見送ると、ストールと上衣を脱いだテリオンがぐいとサイラスのローブを引っ張った。

「ほら、閉めろ。あんたが風邪引くぞ」
「あ、ああ……」

言われるままに、扉を閉める。重ねるようにテリオンの手が伸びて、鍵がかけられた。

「あいつのことなら気にするな。すぐ近くの家に移っただけだ」

向き合う形で立つとテリオンは躊躇いもなくサイラスのローブの留め具を外す。ケープの留め具も一緒に外してしまい、肩に冷えた空気が触れた。ブラウスもすっかり濡れてしまっているようだ。

「……流石に冷えてきたな」

テリオンへ何気なく手を伸ばし、甲でその頬に触れる。互いに体温は下がりつつあるらしく、どこか肌の色もくすんでみえた。

「服を脱げばましになるだろ」

上衣類を暖炉のそばに並べ、テリオンがシャツに手をかける。椅子を片手で引きずって、そこに脱いだものを広げていった。
傷だらけの、引き締まった上半身を直視するのは悪い気がして、思わず目を逸らす。

「……あんたも脱げよ。寒いだろ」
「そうだね。乾かさなければ」

男性同士であるし、なによりテリオンとは素肌を晒し合う仲でもあるので、別段気にすることなどないはずだが、このとき、ベストのボタンを外す手に緊張を感じた。だが、それは寒さからくるものだろうと思い直して、上半身を曝け出す。
テリオンと比べると、肉付きも悪いしところどころ肋も浮いてみえる貧相な身体だ。暗闇で抱かれる分には意識しなくてすむことだが、蝋燭の灯されたほの明るいこの部屋では嫌でも自分の年齢や肉体のことを考えてしまう。
残るは下半身の衣類だが、これはテリオンに言われるまでもなく自ら脱いだ。雨を吸って重くなっていて、歩きづらかったのだ。

「ほらよ」
「ありがとう」

クローゼットに毛布がしまわれていたようで、テリオンが寄越す。下着だけとなった身体をそれで包んで、衣類は暖炉のそばへ。これで脱衣は完了である。

「それで……」

改めて、室内を見渡す。
平屋で部屋数も一つだけと珍しくない造りの家だ。ここに全てが揃っており、椅子は残り一つでベッドも一つ。
ネフティという少女がこの家にいたということは、共有する形で使っているのだろうから、ベッドもまた彼女が使っていた可能性がある。であれば、同衾するのは流石に憚られるというもの。ここは彼女の知り合いであるテリオンにベッドを譲ることにして、サイラスは椅子に腰掛けた。

「テリオン、キミはベッドで休むといい。私は椅子でくつろぐから」
「……は?」
「そのベッドは彼女と共有のものだろう? 知り合いでもない私が使うのはちょっとね」

テリオンはサイラスのコメントに、む、と唇を閉ざし、おもむろに傍の戸棚を開いた。替えのシーツが置かれていて、彼はテキパキとベッドメイクをし直すと、靴を脱いで机にもたれかかったサイラスの前へ戻ってくる。毛布の下に手を差し入れ、断る間もなく引き寄せられた。

「テリオン?」
「シーツは替えた。それに、あれは俺とネフティだけじゃない。旅団全員の所有物だ」
「……というと?」
「ここはネフティとある旅団が築いた街だ。俺はその旅団に一時的に加入していただけで、……要は他にもここを使うやつは多い。あんたが気にしているようなことはなにもない」
「そう……」

不特定多数が不定期にこの家を訪れるというのもまた、ネフティにとっては大変なような気もしたが、先程のテリオンとのやり取りを思うと大したことではないのだろう。彼の言うようにサイラスの配慮は不要かもしれないが──

「あの……テリオン?」
「なんだ」

文字通りベッドに横になるだけならサイラスとてそこまで気にしない。問うまでもなくそれが答えだと言わんばかりにベッドを軋ませて、テリオンはサイラスの上に跨がろうとする。

「雨宿りのために休むだけでは?」
「そうだな」

前髪を片手のひらで払い除け、あやすように額に口付けられる。こちらが本当に拒まない限りは引かない構えだ。押されるままにベッドに肘をついて、ニャー、という鳴き声にびくりと肩を竦めた。
背中を見れば、布団の下に黒猫が潜り込んでいたらしい。頭だけをのぞかせてもう一度鳴く。
首根っこを掴んで、悪いな、とテリオンが黒猫を床に下ろした。

「……お前は今日は床だ」

耳と耳の間を撫でながらそう告げる彼の声は、いつもより柔らかく、情事のときに似た甘やかな響きを持っていた。
それだけ彼とこの黒猫に繋がりがあるのだろうと思われたが、今このときにそれを見せ付けられて思わぬところがないほど付き合いは浅くはないつもりだ。

「それで、」

やっとこちらを向いた彼の首に腕を回して、無言で引き寄せる。そのまま折り重なるように寝転んだところで、サイラスは瞼を閉ざして流れに身を任せた。

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