手遅れだなんて認めない
テリサイ未満、恋心が芽生える前。
セルフお題は「お前が好きなのは俺だろ」です。
最近、人の視線をよく感じる。
街や村で暮らしているならともかく、テリオンは生まれも育ちも年齢も職業も異なる七人と旅をしており、視線の主は必然的に彼達の誰かに限られる。
はじめこそ無視を決め込んでいたテリオンだったが、やがてそれも限界を迎え、今ではすっかり犯人探しが板に付いてしまった。
そうして、ここ数日になってようやく、その主が誰かを突き止めた。
学者のサイラス・オルブライトだ。
仲間たちの旅の目的は様々だ。
儀式のためであったり、消えた本を探すためであったり、未知の世界を知るためであったりと職業も含めて誰一人として共通することはなく、価値観も年齢も異なるが、不思議と一つの集団としてまとまっている。
各自の旅は目的を果たせば終わることが明らかだ。だが、それまでの旅路の心地よさから離れがたいと感じ、自身が目的を果たした後も、最後の一人が目的を果たすまで見守るという名目で、八人の旅は想像以上に長く続いている。
誰一人として目的が重ならないから、砂漠の南の端まで行くこともあれば、寒い雪山の頂上まで登ることもあった。家族との絆を深めて落ち着く者もいれば、痛み分けとなった者もいるし、旅が終わってようやく人生が始まった者もいる。
そして、目的を果たした何人かが漏れなく人生の何らかの転機を迎えたのに対し、そのうち一人だけ、旅を始めたときから全く変わらず、何なら元の場所に戻っただけの仲間がいた。学者のサイラスだ。
テリオンとはどちらかというとビジネスライクな関係を築き、互いの価値観や思想、行動に苦言を呈したことは一度もない。いや、最初の頃は、足のつくような真似を避けたいがために長話を嫌うテリオンが、サイラスの講義じみた話を長いと一刀両断することはかなりあったが、互いの性質に理解が及び、一人で全ての危険に対処する必要が少なくなってからは随分と減っていた。
有り体に言えば親しくなったわけだが、兄弟と呼びあった相棒からの裏切り、時を経ての決別を経験した盗賊にとって、特定の誰かと繋がり合うことには多少なりとも抵抗があった。付け足して、元々の、集団との馴れ合いを厭う性格が、現時点の仲間たちとの関係性を曖昧に落とし込んでいる。
相手が困れば助けるし、必要ならば手を借りるが、それも全ては『仲間だから』の範疇に収まるからこそ。
生来、人と関わり合うことを求める節が強い割に、盗賊の道に進んでからは盗みの腕に対する自負が楔となり、他人とはそれなりの冷静さを以て交流する術を身に着けている。そのため、視線に込められた感情に気付くのも早かった。
「……なあ、」
「うん?」
「何がおかしい」
卓上にからとなったマグを置き、テリオンはテーブルを共有する学者に問いかけた。一人異なるサイズのグラスに酒を注いでいた学者サイラスは、一口飲んでから首を傾げる。
「おかしいとは?」
尋ねられてから、言葉が足りなかったと気付いた。以前酒場で踊子に指摘されたことを思い出し、渋々、自身の見解を説明しようと努める。
「いつも笑ってるだろ」
「そうだろうか? あまり自覚はないが……」
サイラスはグラスの縁を指でなぞる間を置くと、今度は意図して眦を下げる。
「楽しいからかな」
「他人を酔い潰しておいて楽しいとは、あんたも人が悪い」
テリオンがからかうのも当然だ。彼等二人の向かいには飲み比べでエールをたらふく腹に収め、終いには寝落ち潰れた仲間の薬師と剣士の姿がある。あれでは次に起きたとき吐くだろうなと思うが、わざわざ自分より上背の男共を担いでやるほどお人好しではなく、テリオンはこのまま酒場で朝を待つつもりでいた。
サイラスは失言を恥じいるように口元を片手で隠し、しかし抑えきれなかったか、はは、と苦笑いに近い声を立てて笑う。
「まさかここまで白熱するとは思わなかったんだ。以前もアーフェンくんに誘われて、飲み比べをしただろう? それで懲りたのかと思っていたから」
そうして蒸留酒を軽く呷り、仲間を見つめながら空いたグラスを置く。
(……それはそうだが)
訊きたいことはそうではなかったが、話を修正するのも面倒で上半身をテーブル側へ寄せ、頬杖を付く。椅子の背もたれに引っ掛けた片手指でトントンと縁を叩きながら、隣のテーブルへ視線を逃した。
サイラスからの視線をよく感じるようになったのは、旅の目的を果たし、レイヴァース家を後にしてからになる。もしかするとそれまでも観察されていて、テリオンが気付いていなかった可能性もあるものの、他人の気配に敏い己が見落とすはずがない──と、そういうことにしている。
テリオンは盗賊だ。盗みを働いて生きているので、人の視線など引き付けてしまうとたちまち捕らえられてしまう。だから、勝手に観察するな、とは宝箱の解錠の度に口酸っぱくして言ってきたはずだが、どうにも今回は注意し難い。
どことなく熱っぽいといえばいいのか──他人からの熱視線には全くもって鈍いくせして──ただ観察しているというより、見守っているというのが正しいというか。オフィーリアのような慈愛を感じるわけでも、トレサと似た好奇心のみを感じるわけでもなく、本当にそこにテリオンへの思いがなければ見つめないような何かを感じるのだ。
相手は年も少し離れた、それに教職に就く男である。トレサと変わらない年頃の生徒もおり、アーフェンやオフィーリアをはじめ、プリムロゼまでも生徒のように扱うから、おそらくテリオンのことももれなく庇護下においているのだろうと推測は立つものの、果たしてそれだけだろうかと首を傾げる己もいる。
そしてここ数日、ふと思い立って視線を返すと決まり悪そうに逸らすので、そうではないかと確信したのだ。
サイラスはよく他人の目を見て話すので、視線が合わないと逆に分かりやすい。食事時も目線が交わるような位置には座らないし、話す相手が互いしかいない今このときも彼は視線を合わせようとはしない。
それに何より、以前ほどテリオンの小言に言い返すことが少なくなっている。学者というのは変人で頑固なのかと最初の頃は思ったものの、年上の貫禄と柔軟さで躱されることが増えていた。……これは単にテリオンの言い分が正しいからかもしれないが。
とにかく、故郷では天才学者と誉れ高く、歩けば女がもれなく視線を投げかけるような眉目秀麗、頭脳明晰なこの男から好かれているらしい。
生憎とテリオンはそういった趣味もなければ知識もないので、気付かないふりをするしかないのだが。
面倒事は御免だ。そう思いはするものの、しかし、哀れにもテリオンはこれをすっぱり無視し続けられるような男ではなかった。
親切には親切で返すことのできる誠実な青年であったので、この、不毛だとわかり切っている熱視線にも、相応に対処した方が良いと考えてしまったのだ。ゆえにこうしてサイラスに自覚させ、控えるよう暗に伝えんとしているが、不運にも言葉足らずな性分であったので、これが成功したためしはない。
──最終的に、隣のテーブルで楽しんでいた女性陣に声をかけ、六人で協力して体格のいい男二人を宿へ運び、その夜は早めの就寝となった。
寝落ちた二人を同室にしてしまうと、残った二人で部屋を共有することになる。
テリオンは気まずい思いを堪えて上衣をベッド脇に投げ、シーツの中に潜った。
カタンと微かな音がして、遅れて、ぼんやりとした明るさを瞼の向こうに感じる。
「……寝ないのか?」
「忘れないうちに書き留めておこうと思う。眩しいかな、すまない」
自分の鞄で蝋燭の灯りを遮り、顔を覗かせたテリオンに優しく微笑みかけると、サイラスは囁くような小さな声でこう言った。
「おやすみ。よく寝るといい」
「……ああ」
挨拶には不慣れであったので、返事だけをして眠りに落ちた。
結局、視線の主が判明しても、テリオンは仲間たちと共に旅をした。
サイラスの視線を煩わしいと感じることもあったが、それも今更であるし、害はなく、こちらが応えなければ何も始まらないのだから、仲間たちと過ごす居心地の良さを優先したところで不都合がなかったのである。
それに、彼も大概にして素直で鈍いところがあったので、そのうちに視線を当たり前のものとして受け入れるようになっていった。敵意ならまだしも、サイラスの視線は好意であるし、時には純粋に自分の能力を褒められているようで悪い気はしなかったのだ。
「すまんが、エアハルトと少し話がしたい」
「ああ。こちらのことは気にしないで」
それは、最後の一人オルベリクが、リバーフォードで目的を果たした夜のことだ。
昨日まで人が焼き殺される場だった広場に献花が置かれ、町全体がお祭り騒ぎになっていた。圧政を強いた領主はオルベリクの祖国を滅ぼした男であり、剛剣の騎士の名に相応しい剣の腕で、その領主を亡き者としたのである。
もちろん彼一人の功績ではなく、かつて背中を預けあった烈剣の騎士エアハルトやテリオンたち仲間の助力あってこそとオルベリクは語ったが、彼自身の力によるところももちろんあると仲間たちは知っていた。
話を戻し、そう告げたオルベリクが別室へ向かうまで、サイラスは剣士の後ろ姿から視線を逸らさなかった。
「あっ、オルベリクさん、帰っちゃった?」
赤帽子の青年と話していたトレサがこちらのテーブルへやってきた。
「別室に行ったよ。エアハルト氏と話があるそうだ」
「そっか……それなら明日がいいわよね」
なら仕方ないかと軽い口調で応じ、会釈を残して赤帽子の青年も去る。その後、領主となったハロルドやその従者が代わる代わる礼を述べに訪れたが、オルベリクが帰ってくるその時まで、ほとんどをサイラスが対応した。
オルベリクが戻ってきたのは、それから小一時間は過ぎただろうかという頃合いだ。
エアハルトと並んで現れ、先程はサイラスに群がっていた住人たちに迎えられる。合わせてサイラスも立ち上がり、オルベリクの隣へと近寄った。
肩に手を置き、何事か話し始める。耳打ちではないが声は落としているようで、距離が近い。ハロルドとの会話で何かしらの補足があるのだろう、頷きの後、オルベリクが礼のようにサイラスの背中を軽く叩く。
青灰色の瞳は、隣の騎士に向けられたままだ。
「随分と熱心ね」
用事を済ませたのか、サイラスがカウンターに戻ってくるのを眺めていると、頬杖を付いていた肩にプリムロゼが寄りかかってきた。
「……何の話だ」
「隠しても無駄よ、ずっと見てるじゃない、サイラスのこと。喧嘩でもしたの?」
「……想像力だけは逞しいな」
やれやれと姿勢を直して彼女の方へ向き直ると、よくできましたと言わんばかりにその紅唇が三日月を作る。
「じゃあなんだって言うの。恋でもしたのかしら?」
「馬鹿馬鹿しい」
「あら。だってあの学者先生よ? 恨み嫉みで男の視線を集めそうじゃない」
──男が男に恋なんぞするかと言いかけ、それが己の考えすぎだと気付くやテリオンは決まり悪く押し黙った。
プリムロゼの話は、テリオンが懸想する誰かが、サイラスに惚れていることになる。テリオンもサイラスも同性であるので、そう考えるほうが自然だ。最初に思い付かなかったのは、テリオンがサイラスの視線の意味に気付いていたからである。……それとも、それこそテリオンの思い違いだろうか。
いや、思い違いだ。そうに違いない。
「……ねえ、本当なの? 誰なのよ」
色めき立ったプリムロゼが片っ端から共通の知人を挙げ連ねていく。辟易して、エールを黙って飲み下す。
いつもは俺を見ているくせに──そう思ってしまったなんて、気の迷いに違いない。