好きなことは知られたくない

恋愛感情の明確な描写はありませんが、
こういう雰囲気は全部カプだと思っているので、カプです。
両片思いかもしれないし、片思いかもしれないし、当事者以外が勘違いしているかもしれない。そんな話。


「好きなんです。付き合ってもらえませんか」
「いいわよ」
「えっ」
「紅茶を買いに行くのでしょう? 付き合うわ。今は匂いがわからないでしょうから」
「え、あ、ああ……」
手元に紅茶を抱えていたことが災いしたのだろう。治療のお礼に、と菓子と紅茶を可愛らしいバスケットに包んでやってきた男性は、キャスティの世話焼きな一面に肩を落としつつも、共に出かけられることで気を取り直し、小走りに彼女を追いかけていく。
「あれ、素なんだと思う?」
「……私に聞かないでもらえます?」
「ヒカリに聞いたら、首を傾げられてさ」
「それは聞く相手が悪かったのでしょう」
二階のバルコニーから下りてきたソローネは静かな所作でテーブルまで近寄ると、何気ない仕草で卓上に腰を落ち着けた。
「パルテティオに聞いたらさ、なんて言ったと思う?」
「今度は謎掛けですか」
「うん」
話し相手が居らず、暇なのだろう。
お行儀が悪いですよと一言伝えてから、さて、とテメノスはオズバルドが置いていった本を閉じた。
「彼のことです。処世術の一つだと答えたのでは?」
ぴ、と彼女が指を立てた。見れば、ポーカーに使うカードが一枚挟まれている。
聖火神のカードだ。
「ハズレ。世話を焼きたいからじゃねーかってさ」
「……なるほど」
「誰でもいいんじゃねーの?」
「ソローネくんの声真似は毎度驚かされますね」
指で弾くようにカードを放り、ソローネは立ち上がる。
「テメノスの前でよくやるよなあ、とも言ってたよ。心当たりがあるなら、さっさと追いかければ?」
「どういう意味で……全く」
眼差しだけで後ろ姿を追いかけたが、彼女はテメノスを振り返ることはなく、分かりきっていたように片手を振るだけだ。
(……なんなんだ)
拾い上げたカードは十三枚四種類からなるもので、聖火神は十二番目のカードになる。
カードを用いて信者の心の闇を払うことがある。
聖火神が引き手に伝えるのは『相手を信じること』や『自分を信じること』だ。……何を信じろと?
「まだいたのか」
「おや、オズバルド」
振り仰げば、大柄の学者がそこに立っていた。
娘を弟子に預け、自身は娘にかけられた魔術の解除のため、旅をしている。その後の回復は順調らしく、その影響か、旅初めの頃と比べると随分と雰囲気が柔らかくなっていた。
コーヒーを片手に、もう片手には本を数冊抱えている。テメノスの隣へ、ドサと本を置いた。
本を返しますと片手に持ち上げると、コーヒーを卓上に置いたその手で拾い上げる。
「暇は潰せたか」
「ええ。お陰様でソローネくんと雑談できました」
フンと鼻白むとオズバルドは重ねた本のうち一番上のものをテメノスへ差し出した。
「これを彼女へ」
「……彼女とは?」
「分かるだろう。土産だ」
薬草大全と書かれた分厚い本──キャスティが喜びそうな本だ。
薄く笑い、彼を見上げる。
「先程外に出かけましたよ。直接渡しては?」
「面倒だ」
その面倒な役目を人任せにしないでもらいたい。テメノスがあえて返答を避けたというのに、オズバルドは構わず着席し、コーヒーを飲み始める。
「散歩には丁度いい理由だろう」
犬でも追い払うかのような言い方に驚き、それから、やれやれと腰を上げた。
ソローネといい、オズバルドといい、なんなのだろう。
窓の外へ目をやると、向こう側の店に立つ空色が見えた。が、様子は穏やかではない。片手を掴まれているようだ。
「借ります」
ため息を一つこぼして、本を片手に外へ出る。

見つめる先で男女が会話をしている。男性の表情は険しいが、女性の方はあくまで穏やかだ。彼から預かったのだろうバスケットにはいくつか花が添えられ、遠目に見れば買い物に来た女性に男性が絡んでいるようにも見える。
「それなら先生は、俺が治るまでそばにいてくれると言うんですか?」
「そうね、そのつもりよ。他にも隣家のおばあさんが腰を痛めているから湿布薬を作らなくちゃいけないし、町の衛兵さん達にも頼まれていることがあるし……」
「じゃあ、それまでに頑張ります」
意気込む男性の手から猫のように手を引き抜き、キャスティは何も知らない顔で微笑む。
「それじゃあ、今夜はこれを飲んで休んでね」
慣れたものだ。
テメノスが到着する頃には男性と別れ、キャスティは道具屋へ向かわんと身体の向きを変えたところだった。
「あら、散歩?」
「ええ、まあ」
「いい天気だものね」
彼女は朗らかに微笑む。それからテメノスの持つ書物に目を留めた。
「それ……もしかして」
「オズバルドから預かりましてね」
「ありがとう。調べたいことがあったのよね」
碧色の瞳がぱあっと開き、書物へ視線が注がれる。手渡すふりをしてみようかと過ったが、真剣な面持ちであったので素直に手渡した。
ぶつぶつと独り言を唱えながらキャスティはページを捲る。
少しの間、テメノスは街の喧騒に耳を傾け、彼女の行動を見守った。
「……あった。これだわ」
呟いたかと思えば、手帳を取り出し、書きつける。
キャスティは本を鞄の中へしまい、テメノスを見た。
「これから薬草を採りに行ってくる。夕食には戻るわ、皆にも伝えておいて」
「今からですか? どこへ」
「この近くの森で採取できるのよ。これが」キャスティは丁寧に開いたページを示し、テメノスがほうと納得したところで本を閉じた。「大丈夫。この辺りの魔物なら私一人でも対処できるから」
いまにも駆け出して行ってしまいそうな彼女をどう引き止めようか迷い、テメノスは片手に持っていた杖を握り直し、彼女の隣に並んだ。
「どうしたの?」
「散歩の途中なので」
刹那、彼女は声を忘れたようにテメノスを見つめた。
それからおもむろに手を伸ばし、額に触れてくる。
「……熱はなさそうね」
「まあ……そうですね」
普段戦闘はいやだなんだと言っている身の上なので、彼女の行動理由はすぐに理解できた。離れていく手袋の感触を惜しみながら、いつものように微笑む。
「たまには遠出をしたくなるものですよ」
「そう? いいことよ」
言いながらも歓迎しているようには見えない。テメノスが何食わぬ顔で続けば、とうとう彼女は吹き出すように笑った。
「本音は、助かるわ。行きましょうか──日が暮れる前に」


正直な話を言えば、テメノスは夜間に行動する方が都合が良いと思っている。
祈りの力がそうさせるのか、夜は聖火神の加護で魔物が弱体化しやすいのだ。盗公子が入れば身体が軽くなったような気さえするので、ソローネがいるとより良い。
「こっちよ」
夕陽が彼女の細い金髪を橙に染める。仄かに光ってすら見えるその後ろ姿に目を細め、続く。
陽光の照らす時間も、まあ、悪くはないか。簡単に絆されてしまう自分を密かに冷笑しながら、晴れた空を見上げた。
「あった」
クレストランドは山岳地帯ゆえに高木は少ない。どういう仕組みか紅葉しやすく、土の色と相まって全体的に赤々としていた。だから春の空の色をまとうキャスティの後ろ姿は目立ち、跪いたその姿は小さく見える。
「Garden balsam──」
赤い花を咲かせたそれをいくつか摘むと、持ってきた手籠に載せていく。
普段、仲間達がそうするようにテメノスは周囲へ視線を走らせ、魔物の姿がないかを確認した。
鳥の鳴き声にはっと頭上を見上げたが、バーディアンではなさそうだった。安堵する。
ふと視線を戻す。
キャスティの姿がない。オーシュットであれば背後に隠れているとすぐに分かるのだが。
一体どこへ行ったのだろう。
近くに梯子でも掛けられていただろうかと様子を見る。しかし、そういったものもなければ、彼女の姿も見えない。
その時だ。大きな影が足元を覆った。
「テメノス!」
「はい?」
呼びかけに応じて振り返れば、キャスティが何かを投げた。陽光を反射して緑色に輝くそれは、空中で破裂し、強風を巻き起こす。
魔物の悲鳴が上がる。かまいたちが巻き起こり、風の勢いに負けて背中から吹き飛ばされた。
最終的に地面に打ち付けたような衝撃があったが、それにしては生温かく、柔らかい。
「いたた……」
彼女の声が後頭部近くで聞こえたことで、テメノスは状況を察し、目を閉じたまま身体を起こした。
両手が何かに触れたということはもちろん、ない。
「危なかったわね。怪我はない?」
本当に、危ないところだった。
「……いま確認します」
耳がヒリヒリと痛むので軽く切ったのかもしれない。
片耳に触れ、それ以外に痛む場所がないことを確認してからキャスティの方を見る。
「耳を切ったようです。診てもらえますか」
「ええ。止血するわ」
手際良く応急手当を行うと、手を差し出してきたので大人しく借りる。
立ち上がる頃には、先ほどの強風も凪いでしまっていた。
「風の精霊石ですか」
「そう。詠唱も武器も間に合わないと思って……でも遅かったみたいね」
まるで自分が傷ついたような表情をするので、返答に困る。
表情だけは平然を取り繕い、大丈夫ですよ、とローブについた土埃を払った。
「ところで、薬草は無事ですか?」
「この通りよ」
軽く肘を上げて応えるとキャスティは半身を翻し、帰りましょうか、と歩き出した。
彼女も地面へ叩きつけられたように見えたが、衣服の汚れ以外はなさそうだ。
「それにしても、どちらへ行っていたんです? 姿が見えないので心配しました」
来た道を引き返しながら、小言を付け足した。助けてもらった礼を言いたかったが、下手に掘り返せば余計なことになる予感があり、触れられなかった。
ごめんなさい、とあまり反省していない様子で彼女は応えた。
「綺麗な花を見かけて、思わずつられちゃったの」
「どんな花なんです? 手元にはないようですが……」
「そうねえ」
赤い花の薬草しかない籠を見つめながら訊ねると、キャスティは考える素振りを見せた。
それから、小さく笑ってこちらを流し見る。
「白い花だったわ。この辺りの花屋さんには、青色のものもあったわね。花言葉はそう──『あなたと一緒に』」
残光が華奢な首筋や肩を照らす。
「……謎解きのようですね」
「ふふ、何の花か分かったら、ご褒美をあげるわ」
「いりませんよ。謎が何よりもご褒美なので」
「そうよね。残念だわ、紅茶にするととても美味しいのに」
くすくすと軽やかな笑い声が耳に心地よい。
「あなたって、」
「……なんです?」
「いつも何を考えているか分からないけれど、時々、驚くほど分かりやすいのね」
「……。……どういう意味ですか、それは」
「さあ? でも、そうね……さっき助けたお礼は今夜のお酒代で返してもらおうかしらね」
「キャスティ──」
分が悪いと思った時には遅かった。
他愛ない会話を重ねられ、結局それ以上の返答をすることは叶わず、街へ戻るとすぐに仲間達との夕食だ。

その夜の酒代も、花の名前も、どうなったのかは二人だけの秘密である。


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