Rain-bringer
剣士視点の加入編 at リューの宿場町
雨が降っていた。
泥濘んだ地面を馬が駆けていく。
笠を傾け、視界の悪い中、ヒカリは町の灯火を探していた。
ヒノエウマ地方に砂漠は多いが、川や湧水に恵まれ、水に困ることはほとんどない。米はよく実るし、家畜も多い。
それなのに争いが絶えず続いていたのは、ひとえにク国が──ク家が、血を欲したからだ。
奥歯を噛み締め、馬を走らせる。雨粒で歪んだ視界に、さっと橙の明かりが現れた。
リューの宿場町だ。
三日三晩、馬を休ませる以外に休みを取ってこなかった。流石のヒカリも吐息が溢れる。
厩に馬を預け、世話を頼む。
ともすればふらつきそうな足をどうにか踏み出し、宿を目指した。
「おい、聞いたか? ク国で内乱が起きたらしい」
「聞いたさ。ク国に商売に行こうと思ったんだがなあ……」
「やめとけやめとけ。命がいくつあっても足りねえ」
敷かれたゴザには先客がいた。話に耳端で聞き流しながら、宿の主人に声を掛ける。
宿は天幕と畳を敷いただけの簡易なもので、休む者同士邪魔にならぬよう仕切りを立てていた。中央──奥からも町からもすぐに見えない位置のゴザを借り、ヒカリはようやく、腰を下ろす。
父が討たれ、ヒカリをも討たんとした兄は力を求めてク国の民をも手にかけた。
民なくして国は成り立たない。ムゲンのしようとしていることは、とてもじゃないが見過ごせない。
以前より決意はあったが、ヒカリは改めてク国の新たな王となる覚悟を決めた。
そして今は身を潜め、『友』を頼り、人を集めねばならないことも理解している。
静かな怒りは腹の底へ潜ませ、笠を外す。髪結いを解き、置かれた布で全身の水気を拭うと、装備を外して横臥した。
リューの宿場町はヒノエウマの中でも西側にあり、ク国の戦火は届いていない。
翌朝ヒカリが朝餉を取るべくして食堂を訪れても、昨晩聞いた以上の話は聞こえてこなかった。
さて、ここからヒカリはモンテワイズなる町を目指す。東大陸にあることは覚えており、そこへ渡るとなると船を使わなくてはならないことも記憶している。
つまり、馬はここで置いていかねばなるまい。
ク国からここまで共に駆けてきた友だ。柔らかな鬣を撫でてから別れようかと、腹を満たしたところで席を立った。
「用意ができねえってなんだよ!」
「ひっ!」
怒声が響く。食堂の女将が盆を取り落とし、カラン、と乾いた音が響いた。
「す、すまねえ。あんたらには悪いが、昨日の雨で材料がまだ届いてねえんだ」
「中の奴らは食ってんじゃねえか! 俺達だけ食わせねえってか? あ?」
一見すると賊のようだが、店側にも一応の非があるらしい。一食の重みは十分に理解している。人に当たり散らすのは良くないが、腹が減れば気が荒くなるのも当然だ。
「そなたら、そう気を荒立てるな。この店以外にも食べ物は買える……」
「何だお前は」
「チビはすっ込んでな」
笠を被り忘れていた。が、相手もヒカリがク国の王子などとは思わぬようだ。
「いや……おい見ろよ。あの着物」
「剣士か」
小声のやり取りは筒抜けで、やはり物盗りの類かと判じる。
ヒカリは旨い食事を提供してくれた夫婦に礼を告げ、賊の前へ立った。相手は三人──戦を切り抜けてきた自分にとっては、慣れた数だ。
「話は聞いてやる。代わりに、アンタの持ち物を全部寄越しな。剣士さんよ」
強面の男が剣を抜いた。肩を叩くように、気取って見せる。
「話が通じんな」
ゆるく首を振ってため息をつく。
「剣を向けるというなら、受けて立とう。……止めるなら今のうちだ」
ヒカリも剣の鞘に手をかけながら重心を落とす。
一触即発。まさに剣を鞘から引き抜き、五月雨のように斬りつけんとした矢先──
「喧嘩は駄目よ!」
さっと目の前へ飛び込んできたのは、空色の衣装をまとった女性だった。スベリヒユの花の色に似た明るい髪色は団子の形にまとめられ、妙な頭飾りを付けている。
「女、邪魔すんじゃねえ!」
「怪我をしたくなけりゃ、引っ込んでな」
「そう言うのなら、武器を収めてちょうだい。彼だってまだ武器を構えていないじゃない」
片手がヒカリへ向けられ、ぎくりとした。
彼女の登場で男共の気は削がれたようだが、矛を収めるには不十分だったようだ。
ええい面倒だ! と三人が武器を持つ。
「そなた……」
「──仕方ないわね。大人しくしてもらわなきゃ」
速やかに彼女が構えたのは斧である。
(……結局、戦うのか?)
つい先程まで喧嘩は無用だと言っていたような気がするが。ヒカリは最早四人の眼中から外れてしまったようなので、彼女が危うければ剣を抜くと決めて、数歩距離を置く。
「ちゃんと治すから、安心してちょうだい」
それが敵に向ける台詞だろうか。それだけでも彼女の存在は印象に残るというのに、戦い慣れた斧さばきがヒカリの目を惹きつける。
三人を一撃で押し退けた女性は一粒だけかいた汗を拭い、ようやくこちらを振り返る。
「あなた、怪我はない?」
「あ、ああ……」
「そう。……動かないで! 今、止血するわ」
治すと宣言した通り、素早く男達に駆け寄り、薬瓶や布を取り出す。
なんとも強烈な登場をした彼女は、その後、大人しくなった男達にスープを振る舞い、食堂の夫婦をはじめ、見物していた周囲の人間から称賛の言葉を受けた後、ヒカリのところまで戻ってきた。
「良かった。まだ居てくれて」
「先程の。どうかしたか」
「庇ってくれたお礼ですって」
手渡されたのは笹の葉に包まった饅頭だった。
口を挟んだだけとなったが、助けとなったのなら良かった。ありがたく頂く。
「いい馬をありがとうよ」
「ああ。元気で」
すれ違う馬主と馬に別れを告げ、見送る。
「……あなたの馬?」
「そうだな。ただ、この先しばらく馬を連れ歩けなくなるから、売り払ったのだ」
「そうなの」
話は済んだはずなのに、彼女はじっとヒカリを見つめたまま動かない。
「名前を聞いてもいいかしら」
「……ヒカリだ。そなたは」
「キャスティと呼んで。実は私、名前と知識以外、覚えていることが何も無いの。いわゆる記憶喪失というものね」
軽い口調で、重い事情が明かされた。それなりの深刻さが伴って然るべきなのに、当人があっけらかんとしているのでヒカリも彼女に倣って、そうか、と頷く。
「それよりあなた、体調が悪そうだけど、よく眠れてる?」
「……なに?」
「目元に隈が。それに、目も充血しているわ。さっきの馬と一緒にやってきたと言うけれど、馬の様子に反してあなたの方は元気いっぱいには見えないもの。着物の汚れは最近できたものみたいだし、……それに、血の匂いがするわ」
まるで検分するかのような真剣さで顔を寄せられ、戸惑う。薬草の清涼な香りが鼻をかすめて、慌てて一歩退いた。
「怪我を隠しているのなら、見せてちょうだい」
「いや、これは……服に染み付いたのだろう」
それだけで彼女は察したようで、そう、と目を伏せる。
ヒカリもどこまで話したものか迷い、口を噤む。
二人の間に落ちた僅かな沈黙を拾い上げたのは、相手の方だった。
「私で良ければ、話を聞かせてもらえる?」
「しかし、」
「病ってね、病原体を取り除けば治癒できるものと、そうじゃないものがあるの。怪我は目に見えるから治せるでしょう? でも、心配事、不安、つらさ……そういった目に見えない痛みは、自覚して、治そうとしないと、ずっと残ってしまうものなの」
そう言って彼女は植物を取り出した。
「私、薬師の知識を備えているの。だからかしら……怪我や病気の人はもちろん、困っている人を放っておけないのよね」
苦笑しながら唱えてはいるが、揺らぎない意思をそこに感じた。
どこか熟れた口振りがツキやカザン達年上の家臣を思わせる。
彼女の──キャスティの立ち居振る舞いは既に見た通りである。記憶がないとはいえ、一貫性のある行動は信頼できるし、なにより、戦で血を流しがちなク国にとって、治療者は貴重な存在である。
「……分かった。聞いてくれ、俺は──」
恐れることなく事情を明かす。
彼女──薬師キャスティが真剣な眼差しで、一緒に行くわと言い出しても、もう、ヒカリは驚かなかった。
二人の足元、赤と青を反射する水溜りの上を、鳥の影が横切る。
雨上がりの空には、珍しい七色の虹が掛かっていた。