Right person in the right place.
神官視点の加入編 at フレイムチャーチ
お前なら、正しく、平等に疑うだろう──
異端審問の役に付いたとき、教皇は囁いた。
拍手の響き渡る大聖堂の中央。聖火の蝋燭が空気の波に震えて揺らめく中、その声はテメノスの耳にしかと届いた。
顔を上げる。互いに表情に変化はない。
ステンドグラスを通した色とりどりの光が教皇の背に落ちる。見上げるテメノスを、教皇の青い影だけが覆っていた。
月日は流れ、現在。
教皇の葬儀はしめやかに行われた。葬儀には多くの列席者が並び、聖堂騎士、聖火教会神官総出で対応することとなり、テメノスは若き聖堂騎士と共に列席者を出口から見送った。
教皇の死体を発見したのはテメノスと若き聖堂騎士クリックだ。
騎士の任についたばかりという彼は眩しいほど真っ直ぐな信仰心を掲げており、どことなく危うい雰囲気があったため、つい世話を焼いてしまったのである。
人の波が引く。
最後の一組を見送ると、こちらに銀髪の女性騎士が近付いた。クバリーである。
彼女とは以前から顔を合わせる機会があり、テメノスも名前を知っているものの、親しい関係であるかというとそうではない。
聖堂機関は異端も取り締まる。つまり教皇直属の形で任ぜられた異端審問官と仕事を食い合う関係にあり、聖堂機関とは手法も異端の規定も異なるため、どうにも反りが合わないのだ。
とにかく、クバリーはクリックをカナルブラインの地へ向かうようにと指示を下した。最後にテメノスにひと睨みをきかせて、背を向ける。
「寂しくなります。また会うことがありましたら、よろしく頼みますよ、クリックくん」
「懲り懲りですよ。会わないことを願います」
「フフ。つれないですねえ、君は」
数日前、教皇の死体を発見した際、テメノス達は魔物フィエルヴァルグと戦闘した。筋力と体力に劣るテメノスは結果的にクリックに助けられ、さらには道中、建築士ヴァドスの調査にも関わってくれたため、少なからず恩義を感じていた。
「それでは、テメノスさんもお元気で」
聖堂騎士の礼儀に、こちらも神官の礼儀で応じる。
さて、テメノスは教皇殺人の犯人を追うことに決めていた。教皇直属であるということは、上司不在の今、その決定権はテメノスに委任される。教会所属の他の管理官からの指図も受けぬよう、亡き教皇が取り計らってくれていたことが功を成した。
そうはいっても、無断で姿を眩ませては怪しまれる。
教会に戻り、ミントには『傷心旅行に出かける』とでも言っておこう──夕日に染まる空を見上げて教会への道を歩いていると、脇道から集団が現れる。
「ただの炎を信仰するなんて馬鹿げている!」
「炎が命をもたらしたか?! 人を救ったか?! 聖火は教会が作り上げたただの炎だ!」
「……早速仕事ですか」
かつて大陸中に広まった聖火の信仰も、時とともに薄れていく。
青白く燃え続ける炎が水をかけても消えず、油をかけても燃え上がらないことは教会の中では有名なのだが、聖書にも教会にも触れたことのない人間──特に一部の学者や商人──を中心に、聖火はただの高温の炎だとまことしやかに囁かれていた。巷の噂は子供達の口からテメノスの耳に入るため、信者が多いはずのこの町にも異端者がいることを予め知ってはいたが──今か。
(クリックくんを引き止めておけば……面倒だな)
多勢に無勢、無謀に「あなた達は異端です」などと割り込むほど若くはない。か弱き神官を助けてくれる、心優しい人間は居ないだろうか。
若き聖堂騎士が幸運にも忘れ物をしていないかと坂の下を見やったところ、空色の目立つ女性、朱色の珍しい装いの若い剣士、それから、どこか薄汚れたローブを羽織った学者の三人を見つけた。
「ここがフレイムチャーチ?」
「そうだ。聖火教会の本拠地であり、山頂の大聖堂が有名だ」
「ここもそれなりに高いが、まだ上があるのか?」
三人の共通点は一つもなく、だからこそ何らかの旅団……旅人だろうと推測できた。
「ようこそ、フレイムチャーチへ。参拝ですか?」
テメノスは気さくに笑いかけ、三人を呼び止めた。彼らの中から最初に反応した者を頼ることにして、様子を窺う。
「立ち寄っただけよ。あなたは……神官の方?」
金髪の女性がテメノスの服装から職務を推測する。
「そうですね、あちらの教会に務めています。ところで、残念ながらここから先に進むことをおすすめできません」
「え?」
「何かあったのか?」
人が良いのだろう。小柄な二人が早速テメノスの話に食いついた。大柄の学者は黙って腕を組む。
テメノスはやや大げさな仕草で彼らに説明する。
「それが、聖火を信じない異端の方々が、あのように道を塞いでしまいもして。これでは町の人達も困るんですが……私一人ではどうしようもなく」
「なるほど。なら、俺が──」
剣士が素直に剣の鞘に手を掛けたが、女性が制止する。
「それってつまり、困っているから助けてほしいってことよね」
「そうなりますね」
「うーん……。どう思う? オズバルド」
思うより、冷静だ。振り仰がれた学者は、専門外だ、と端的に答える。
「君の好きにすればいい」
「ヒカリくんが他の国で暴れるのは良くないでしょうし──ごめんなさい。助けてあげたいけど、私達では力不足かも」
「そんなことはありません」
どうやら剣士の青年は異国の旅人らしい。ならばその彼と旅をする彼女達は一体どういう繋がりなのだろう。
それはさておき、彼らが思うほどこれは深刻な話ではない。道を塞ぐ集団を追い払うだけなのだから。
「彼等は以前にも町の人や聖火教会の者に乱暴を働いておりまして……」
「それは……困るわね」
「ええ」
テメノスは眉根を下げた女性のケープに、綴りが刺繍されていることに気付いた。キャスティ、そう記されている。
「キャスティさん、お願いします」
「え?」
女性だけでなく、剣士の方もハッとしたようにテメノスを見た。なんだというのだろう。ほう、と学者までもが反応する。
「私のことを知っているの?」
思わぬ食いつき、いや、その質問はなんだ? テメノスのほうが面食らう。
「話を聞かせてもらいたいわ」
「話どころか、私はこれから旅に出るところでして。なんなら旅にも付き合いますよ」
「……分かったわ」
空色のスカートを翻し、キャスティが集団に向かっていく。
「キャスティ、待て」
慌てて剣士がその背を追いかけ、残る学者はテメノスの隣に並び立った。
体格のいい、上背の学者だ。襟と長い髪で隠しているが、首元には罪人の首輪を付けている。この辺りで罪人となると、監獄島かストームヘイルの聖堂騎士本部しか思い浮かばない。
「一体、あなた達はどういう集まりなんです?」
問いかけの間にキャスティと剣士が武器を持った暴徒と対峙する。
「拾われただけだ」
「はい?」
学者は端的に答え、二人に加勢した。
要領を得ない返答に補足をする者はおらず、見事な剣と斧裁きに拍手し、学者の放った魔法を見たときにはテメノスも目を大きくした。
三人とは酒場で合流するとして、一旦、荷物を取るべく別れることとした。
「おかえりなさい、テメノスさん」
「ただいま戻りました」
教会に戻るとミントが朗らかに笑ってテメノスを迎えた。
聖火の蝋燭の数を数えていたらしい。
「しばらく、この町も落ち着きませんね。テメノスさんも忙しくなるのでは?」
彼女も教皇の死に胸を痛めているのだろう。悲しみを懸命に隠そうと、明るい声で問う。
「ええ。ですので、しばらく休暇をいただこうと思います」
「あら」
教皇が亡くなると一時的に教皇代理が立てられる。
しかしそれには数日から一週間ほど時間が掛かるのだ。
聖火教会も一枚岩ではなく、聖堂騎士団との関係も踏まえた上で、教皇代理と後任を決める必要がある。異端審問官は教皇直属の配下であり、これら組織とは別の扱いであるため、そういった政治的な話には関わることがない。
ただ、教皇直属であるからにはそれなりの信頼関係が求められるため、後任ないし代理となる者と早期に関わっておくことは重要ではある。
「いいんですか?」
「生憎、野心よりも傷ついた自分の身の方がかわいいもので」
信頼関係が必要ということは、それなりに親しい間柄になるということでもある。
聖火教会は聖火を信じ、隣人と助け合い、苦しみを分かち合うことを尊ぶため、家族や友人を悼む行為に寛容だ。
つまり、テメノスが傷心旅行と言って休暇を取ったところで、怪しむ者はいない。
「テメノスさんまでいなくなったら、子どもたちも寂しがるわね」
ミントが惜しむように言うので、紙芝居を差し出す。
「その時のためにこれを置いていきます。読んで差し上げてください」
「まあ、準備の良いこと。……ふふ、昨日の今日だというのに、読めない人ね」
あくまで彼女は引き止めなかった。同僚の中でも察しが良く、頭の回転も早いので、旅の本当の目的は見透かされているだろう。
「でも、これはテメノスさんの役目ですよ。出かけるというのなら、これを持って色んな方に語り聞かせてあげないと」
「おやおや……困りました。これにてお役御免となるかと思いましたが」
「まさか」
ミントは朗らかに笑う。
渋々、テメノスは麻袋に紙芝居をしまい込み、続けて差し出された聖火の蝋燭も受け取った。
「では、あとは頼みます」
「いってらっしゃい。……手紙、書いてくださいね」
そうしてミントと別れ、宿舎へ戻る。
着替えといくつかの小物、財布を詰め込み、酒場へ向かう頃にはすっかり辺りは暗くなっていた。
テメノスが酒場に顔を見せることは珍しく、店へ入ると常連客達が驚きの声を上げて迎えた。一言二言交わし、件の三人が座るテーブル席を目指す。
「お待たせしました」
「ようこそ。ここ、空いてるわ」
キャスティがたおやかに隣の席を促した。
示された椅子に着席し、自分も紅茶を注文する。
「改めまして、昼間はありがとうございました。テメノス・ミストラル、聖火教会で神官をやっています」
「私はキャスティ。この中では薬師として動いているわ」
「ヒカリだ」
「……オズバルド」
三人は名前だけを告げた。何らかの事情があることは察しているので、後追いはしない。
「それじゃあ、まずは私達の紹介から始めましょうか」
聞くまでもなく、キャスティが三人の旅の始まりについて説明を始めた。
「私達、ウィンターブルームとモンテワイズに用があって数日前に海を渡って来たの。ヒカリくんが先に行っていいと言うから、ウィンターブルームに向かおうとしたのだけど、吹雪が酷くて。モンテワイズに向かうにも、距離が離れているしょう? それもあって、フレイムチャーチで休もうという話になったの」
「英断ですね。この時期のウィンターランドは吹雪が酷く、遭難者も多いと聞きます」
「そうだろうな……」
「……」
ヒカリがオズバルドを見やり、オズバルドは静かに珈琲を飲む。
「──ねえ、それより。どうして私の名前を知っているのか聞かせてもらえない?」
身を乗り出し、キャスティが問う。穏やかな見た目に反し、随分と積極的な女性だ。
「言いにくいのですが、あなたの服に名前がありましたので、それで」
「そういえば、そうだったわね」
近づいた分上体を引いて答えたが、彼女は気にしない。それどころか、妙な反応だ。名前を刺繍したのは彼女ではないのか。
もしや、物忘れが多いだとか、隙の多い女性なのか。異国の剣士や野暮ったい学者も、彼女のそういう一面を心配しての同行の可能性が浮上する。
「助けていただいてなんですが、名前を知っているからと言って無闇に加担しては危険です。よく相手を見てから判断してください。私のように」
「そなたも大概ではないか……?」
親切心からの忠告には、向かいに座るヒカリが反応した。胡乱な視線を投げられ、はてなんのことやら、と、にこやかに受け流す。
これで判明した。この剣士は間違いなく人が良い。
「ご忠告ありがとう。でも、私を知っている人を探しているものだから」
紅茶で喉を潤してからキャスティが話を続ける。
「私、記憶喪失なのよ。知識はあるのだけど、自分が誰なのかは分からなくて。この名前も本当に私の名前なのか、確証もないの。だから、あなたに呼び掛けられて、そうなのかもって……思っちゃったのよね」
「それは……大変ですね。失礼しました」
「ありがとう。気にしないでね」
気の毒に、と口にする前に、彼女の表情は明るく戻る。
「私の知識から考えて、薬師をしていたのは確か。今は手記を頼りに私のことを知っている人に話を聞いて回ることにして……ヒカリくん、オズバルドとはその途中で出会った。あなた達から話をする?」
水を向けられた剣士と学者だったが、頷いたのは剣士だけだった。
「そうだな。モンテワイズにいる仲間を頼って、旅をしている……といったところか。そなたはなんと答える? オズバルド」
「……復讐のために」
珈琲を飲む手を止め、低く、人の耳に響く声で彼は答えた。
「妻と娘を奪った男を追っている。手がかりを得るためにもまずは自宅を目指す」
「なるほどなるほど。おかげで納得がいきました」
オズバルドの首元に視線を注ぐ。
「その首元は、そのために?」
コト、とカップを置き、オズバルドは深く息をついた。
「話す気はない」
「あなたにはなくとも、こちらにはあります」
反してテメノスはカップを手に取り、紅茶で唇を温めた。
「東大陸の外れには監獄島があります。堅牢な監獄だとの噂で、脱獄に成功したものは居ないとよく聞きますが……そもそもとして、追われている人間が脱獄に成功したと吹聴するでしょうか? また、取り締まる側も同じです。外向きは公平で安全だと示したいはず──自分たちの捜査は正しかった、逃げ出した者は居ない。そう言うでしょうねえ」
ここは町の人間も利用する酒場だ。あくまで一般的な、大したことのない雑談のていで『脱獄者だろうがなんだろうが、こちらが働きかけることはない』と暗に示す。
テメノスは目元を和らげ、そのまま瞼を閉ざした。
「実を言いますと、つい先日、私の上司にして親しい友人でもあった教皇が亡くなりまして」
三人の様子を片目を開いて伺う。
キャスティはさっと顔色を変え、ヒカリは真剣な顔つきになる。オズバルドは動じることなく、テメノスを睨んでいた
「それはもう親しい友人でしたので、悲しくて悲しくて……。そんな折に、不思議な連れ合いのあなたがたを見つけた」
カップを戻し、自由な両手を広げて三人に示す。これほど善良で、害のない人間はいないでしょうと。
「気になることがあると追いかけたくなる性分なんです。友人の死を悼みながら、訪れた旅人の謎でも味見しようかと──そんなところですかね。生憎、私は聖堂機関から目の敵にされていますので、報告しても無視されるでしょうし、上司亡きいま、気ままな野良犬と代わりありません。同行しても構いませんね?」
「……好きにすればいい」
オズバルドは珈琲を口につけ、とうとう手元の本に目を落とした。
「あなたも大変なのね。……でも、神官って急に出かけてもいいものなの?」
気の毒そうにテメノスを見つめたのはキャスティだけだ。
「私の正式な職は、異端審問官といいまして。教会に属する役職ではありません」
「それは、どういう役職なんだ?」
質問をしたのはヒカリだった。
ちょうど料理が運ばれてきたので小休止とし、皆で分け合う。
「その名の通り、異端を審問にかける神官のことです」
真面目な青年の前に、キャスティがよそった大盛りの料理が並ぶ。テメノスは自分で取ると言って、トングを受け取った。
「聖火教会は聖火を信仰する宗教団体ですから、聖火を信じぬ者には宣教し、聖火の存在を疑い害する者は異端とみなしてなぜそう考えるに至ったのかと問い詰めるんですね。そうして論理の穴を突いて、聖火の正しさを知らしめる……とされています」
「ほう」
「しかし、その実態は異なります。人々の考えや思想を探り、疑わしきは罰する、ということも少なくありません。昔は拷問にもかけていたそうですよ、恐ろしいですよねえ」
「あら、あなたは違うの?」
紅茶を飲みながら、キャスティがからかうように問う。
「May the sacred flame guide you, or something like that……必ずしも信じる対象を聖火とする必要はありませんが、人を害すとなると見逃せませんかね」
「治安維持に近いな」
「それもありますね。信者を守り、導くのは教会、すなわち、神官の務めですので」
そうしてある程度互いの話を済ませると、目的地の相談の話となった。テメノスはカナルブラインを経由できればそれで良いので、モンテワイズまでの道案内も快く引き受け、戦闘では力になれませんよ、と念を押した上で、彼らの仲間となった。
宿の前で待ち合わせとして一時解散となった。
自宅のベッドで眠れるのは今夜が最後だ。これまでにも様々なことに目を光らせ、仕事をこなしてきたが、今回ばかりは少々、私怨と思惑がある。
(……なぜ彼らが殺されなくてはならなかったのか)
ようやく見つけた手がかりでもあった。教皇がどんな意図であれ残したメッセージを、テメノスが見過ごせるはずがない。
(必ず、白日の下に晒しましょう)
頭を使いすぎた。目を閉じるとすぐに意識が沈んでいく。
翌朝、宿の前へ向かうと遠目に焦げ茶と朱色が見えた。空色がないということは、まだ全員揃っていないと見て、足の速さはそのままに二人に近寄る。
「おはようございます」
「そなたか。目覚めはどうだ?」
「この通り、旅に出かけられそうです」
「そうか」
小柄であるからか、青年というよりは少年に見える。が、異国──例えば西大陸のヒノエウマなどでは全体的に小柄な人間も多いと聞くので、見た目から判断はできない。その性格は鷹揚にして豪快というか、年不相応な貫禄を感じた。
「あなた達のことはなんと呼びましょうか。ヒカリくん、オズバルド……でよろしいです?」
「好きに呼んでくれて構わない」
「……左に同じだ」
「では、お二人に訊ねますが、彼女はどこに?」
てっきり化粧などの支度で時間が掛かっているのかと思いきや、ヒカリが指したのは近くの民家だった。
「さっきそこの家の者が坂で転んでいてな。俺が運び、キャスティがそのまま手当をしている。……出てきたか」
「ごめんなさい。待たせたわよね?」
「……分かっているなら、改善をしてはどうだ」
小走りに駆けてくるキャスティを迎えるでもなく、オズバルドが先に歩き出す。ヒカリが気さくに彼女を迎えるので、テメノスもまずは彼に倣うことにした。
「朝から精が出ますね」
「テメノスさんもね。おはよう」
「おや、私もです?」
歩く速度を落としてキャスティが隣に並ぶ。
彼女は町の薬師がいるというので話を聞き、その帰り道に件の町人を助けたらしい。
「おじいさんを助ける前に、見えたのよ。教会に寄っていたでしょう? 礼拝かしらと思って」
「……それはそれは、気付きませんでした」
教会は小高い丘にあるので、確かに宿から歩いていけば見えるだろう。それにしても、早朝、まだ誰もいない時間に向かったはずだが、よく見ている。
「町を出るぞ。警戒を怠るな」
ヒカリが先頭から注意を放つ。彼らに従いテメノスも片手に杖を持ち、モンテワイズの道を示した。
風が吹く。落ち葉が飛んでいく。
キャスティの薬師の知識についてテメノスが知ったのは、それから間もなくのことだった。戦闘では後衛になるのかと思えば、ヒカリに並んで彼女も前に出て、斧を構える。
「Fire, burn」
轟、と熱風が巻き起こる。魔法学者というらしいオズバルドの火炎魔法は、前衛の二人の間を抜けてゾヤックを襲った。
魔物も必死だ。火傷を覆ったことで危機感を抱いたか、大きく暴れる。ヒカリは受け身を取り、キャスティは素早く回避をしたが、後衛のオズバルドとテメノスはまともに衝突を食らってしまった。
「わ、っと、と──」
「危ない!」
クレストランドは高峻な山に囲まれ、つまりその分、崖も多い。勢いをいなせなかったテメノスは道の端まで飛ばされ、踏みとどまれなかった。
「っ……早く、」
「た、助かりました」
キャスティが掴み、遅れて、ヒカリが手を貸す。小柄な二人に引き上げられたあと、テメノスが回復魔法を唱える前にキャスティがさっと鞄を広げた。
「オズバルド! ここまで動ける?」
体格は良くとも、防御の面では彼も自分と同じらしい。頬に擦り傷を残し、枯れ葉や砂まみれになった髪とローブを引きずり、オズバルドが近寄る。
「不要だ」
「そんなこと言ってる場合? いいから座って。テメノスさんの次はあなたよ」
「ブドウだ」
自分よりも図体の大きな男を、キャスティは子供でも叱りつけるかのように相手する。
「落ちなくてよかったわ。もう少し後ろに居てもらったほうがいいのかしら……」
「まあ、これも経験ということで」
袖をめくり、傷口を消毒されると痛む。反射的に腕が震えたが、大丈夫よ、とキャスティに念を押された。ヨモギの葉と包帯で止血され、顔についた泥を手巾で拭おうとするので、自分でやると言って断る。
「それと」
「なに?」
「呼び捨てで構いませんよ。仲間なのですから」
「じゃあ、私のことも同じように」
「わかりました」
今度こそオズバルドに向き合った、その空色の後ろ姿を見守る。
薬師の知識があるからと言うが、誰かの傷に一番に駆けつける以上、彼女は根っからの治療者なのだろうと思われた。
不意に、思い出す。救いの手──誰にでも手を差し伸べる薬師団の存在を、聞いた覚えがあるような。ないような。
「……そういえば、この大陸に有名な薬師団がいたような」
「そうなのか?」
「ええ。どのくらいの規模のものかは知りませんが、薬はよく効くし、大陸を問わず、怪我人や病人がいれば駆けつけたと」
「……キャスティと関連がありそうな話だ」
「同じことを思いました。調べてみますかね」
噂の真偽はモンテワイズで確認し、それから彼女に伝えてやろう。ひとまずの治療の礼はそれでいいかと、ヒカリの手を借り、テメノスはゆっくりと立ち上がったのだった。