Good night, my dearest dad.
ソロ3章前後妄想withキャス、テメ、ヒカリ
──野良犬同士、良さそうな人間について世界を回るのも楽しそうだと思いませんか。
探偵なんだか神官なんだか分からない、胡散臭い男に促され、ソローネは妙な四人組について両親を探す旅に出た。
男所帯で暮らしていたので男性との会話に気後れすることはないが、自分とは違う世界で生きているのだろう女性を前にすると、色々と思うところがある。……あったはずなのだが、物思いに耽る沈黙すら与えぬほど積極的に構われるので、気付けば気安く話せすようになっていた。
同行する旅人の数は七人と一羽に増えた。
ここモンテワイズの大きな宿でも、八人が寝泊まりできる宿は少ない。
この日はソローネ、キャスティ、ヒカリ、それからテメノスが同じ宿を使っていた。
「おはよう、ソローネ。よく眠れた?」
「んー、まあ……」
アグネアもパルテティオもいないので、歌や音楽は頼めない。テメノスが起きていればなにか話してよと強請ったが、当の本人がソローネよりも遅く起きるので、ヒカリの稽古に付き合うか、キャスティの支度姿を眺めるかの二択しかなかった。
「考えごとかしら。話してくれるなら、聞くわよ」
化粧台の前で、丁寧に髪を梳く薬師の背筋はしっかりと伸びて、なのに抱きしめたくなるほど華奢なつくりをしている。空と似た服の色がソローネの目には優しく映る。
だからだろう。ぼんやりと空を眺めていたあの時間が思い出された。
「あと少しだと思って」
話題は見つからず、素直に吐露する。
「そうね。ここまでよく来たわ」
しみじみとキャスティが寄り添う。
「次はこの間の傷の分までお返ししないとね」
「……ああ、うん。そうだね」
ウィンターブルームでの出来事を言っているのだと気付き、ソローネは苦笑した。
「そこは、喧嘩はだめよ、じゃないんだ?」
「あら。喧嘩はもちろんだめよ? でも、ソローネは違うでしょう」
髪を結び終え、トレードマークのカチューシャをぱちと留めたところでキャスティが振り返る。
「仕事以外で人は殺したくないって言ってたもの。大事なことだと思うわ」
ケープを羽織り、鞄を肩にかけたキャスティは仕上げに手袋を両手に嵌め、ベッドに腰掛けるソローネの隣までやってきた。
「それに、あなたは誰かの命を奪わないで生きる道を選ぼうとしている……応援したいのよ」
ソローネの手を取り、温めるように両手でそっと包み込むと、静かに言葉を続ける。
「これまで、あなたには何度も助けられた。自信を持って。あなたはもう、誰かを殺すためじゃなくて、誰かを救うために戦ってきたんだから」
「……ありがと」
彼女の肩に寄りかかり、曖昧な感情をそのまま受け止めてもらう。
決意は変わらない。
自由になるために進むだけだ。
廊下からギィと扉の開く音がした。コツコツと靴が床板を踏む音と杖をつく音が部屋の前を通り過ぎる。その音の主が誰かを互いに察して、顔を見合わせ笑った。
「起きたのかもね」
「そうね。朝ごはんにしましょう」
二人並んで部屋を出て、のんびりと歩くテメノスの背後を追いかけた。
は、は、と短い息を吐く。いつもの癖で、引き抜いた短剣を手に距離を取っていた。
男が頽れる。吐血し、床も腹も赤く染めながら、地面へ伏す。
あと数分。いや、数十秒もすれば、そのまま彼は死ぬのだと思うと、全身が感じたことのない恐怖に怯えて震えた。
隣にテメノスが並んだ。探偵じみた学者のローブが視界の端に見え、オズバルドの顔が脳裏を過る。
頭のお堅い学者が見せる、娘や妻へ向けた慈愛の表情が『父』ゆえのものならば──目の前の男がソローネに向けてきた思いもまた、同じものだろう。
引き留めたいと思った。それと分かる繋がりが必要だと思った。父さん、と呼んでもいいかと問えば、彼は笑った。娘と認めてくれた。
「行け。お前の……本当の父親に、会いに行け……」
傍に膝をつき、その手を取って頬に寄せたわけでもないのに、ファーザーの──父のその声は満たされたように穏やかだった。
呼吸が落ち着く頃、足元に倒れていた父もまた息を引き取った。
震えは、もうない。
「ソローネくん」
仲間の心配を他所に、膝をつく。
恐る恐る手を伸ばして髪を払い、ぺたりと頬に触れてみた。
思うより柔らかく、骨張っていて、やつれていた。
「……こんな顔、してたっけ」
キャスティ、とヒカリの戸惑う声が背後に響いた。男の死体を挟んでソローネの向かい側に膝をつくと、彼女は鞄を地面へ下ろす。
「隣、お邪魔するわね」
「何をするつもりです?」
ソローネの疑問をテメノスが言葉にした。諌めるような硬い声が教会に響く。
対するキャスティはあくまで平然としていた。
「このまま置いていけないでしょう。綺麗にして、眠らせてあげましょう」
「……眠る」
ようやく顔を上げたソローネを、キャスティはたおやかな微笑みで慰める。
「穏やかな夢を、ずっと見ていられるように……ね」
彼女はそれから黙々と薬の材料を並べ、ファーザーの傷を治していった。腹、肩、首、大腿、脛、脇腹。ヒカリの槍技、キャスティの斧、テメノスの光魔法もこの男を襲ったので、皮膚の損傷は酷いものだった。
それを、一つ一つ丁寧に整えていく。
「死に化粧のようなものか」
「なんです? それは」
「文字通り、故人の顔に化粧を施す。……血色を良くしてやって、最期の別れをするのだ」
「へえ、それはそれは」
男達の会話を耳端で聞きながら、キャスティの仕事をじっと見守る。
そんなことをしてもらえるような人間じゃない。そう思うのに、目が離せない。
(そういえば、墓守のじいさんが……してくれてたっけ)
何度も仲間の死を見送って、自分も死ねばここに入るのだと思っていた。死んだやつを引きずって、墓守に頼み、埋めてもらう。その繰り返しだった。
ピルロの時は、一人で見送った。あの時も墓守は血と雨で汚れた顔を丁寧に拭いてくれていた。
「ソローネ」
キャスティに呼ばれる。
「手を組んであげて」
「……私が?」
「知っているわよね。……死んで時間が経つと筋肉が硬直して、身体が動かなくなる。今しかないのよ」
「そうだね。……わかった」
男性にしては細い、骨ばった指を一つ一つ解いて、肘を曲げる。
指が綺麗に並ぶように組み合わせ、腹の上へ置いた。彼には全く似合わない姿勢で、なのにどうしてか、滑稽だとかそんな気持ちにはならなかった。
こんな顔をしていた。こんな形をしていた──
「……っ、は、」
重ねた両手の上に手のひらを重ねて、そういえば手を繋いで帰ったことはあったかもしれない、なんて都合の良い思い出が過った。
この手から滑り落ちていったものの大きさに打ちひしがれる。
キャスティの体温が近くへ寄った。
ヒカリもテメノスも、静かに待っている。ソローネは涙が溢れる前に空を見上げた。
「行こう」
「どこへ」ヒカリの問いに、ソローネは苦笑で返した。
「……ここで埋めるわけにもいかない。景色も悪いしね」
「では、その間に加護の祝詞でも贈りましょう」
ありがと、と仲間の気遣いに感謝を示し、動き出す。
ヒカリと話し、父の墓は教会傍の見晴らしの良い場所に掘ることにした。教会の近くに捨てられた錆びた道具を使って埋める場所を作り、遺体を運ぶ。
「キャスティは?」
「あちらですよ。呼んでもらえますか、ソローネくん」
「裏手だろう。一人で大丈夫なのか?」
「さて、なんとも。教会である以上、魔物避けの効果は多少あると思いますが……注意してください」
頷き返し、教会の裏を目指す。人が通るのか、茂みの中に道があり、ドレスを枝葉に引っ掛けることなく進むことができた。角を曲がる。
花が咲いていた──金色と、空色の眩しい、頼もしい花が。
「ソローネ。見て、綺麗でしょう?」
足音を立てて近付いたから、キャスティはすぐにこちらを振り返った。
その手元にある小さな花束を見て、頷く。
「あなたもいくつか摘む?」
「うん」
キャスティに促され、咲いた花の側に膝を折り、どれにしようかと選ぶ。
──ファーザーのために、何かをしたことなんて一度もなかった。
ソローネは青と白の可愛らしい花を二つほど詰んで、立ち上がった。
「もういいの?」
「まあね。……今度は花を買ってくるよ」
「……そうね、そうするといいわ。じゃあ、」
キャスティは束ねていた花をソローネに渡すと、鞄の中から見覚えのある道具を取り出した。
「お化粧、直しておきましょう」
「いいよ別に」
「すぐに終わるわ。遠慮しないで」
彼女はそう言って、頬に付いた汗と血の跡を拭い、整える。手早く、的確で、本当にすぐに終わった。
キャスティと共に花束を持って戻る。ヒカリとテメノスは近くの木陰に腰を下ろし、休んでいた。お待たせ、とキャスティが声を掛ける。
「では、始めましょう」
テメノスが仰々しく聖火神からの言葉を告げた。
ヒカリとキャスティが彼の合図に従い、土を掛けていく。ソローネも手伝い、最後はヒカリが用意してくれた木片に名前を掘って、盛り上がった土の上に立てた。
花を添え、離れる。
ここまで来たのに、まだ、この首輪は外れない。ここで首輪が外れていたら、もう少し晴れやかな気持ちでまた来るよ、なんて言ったのだろうか。
分からない。今はただ、彼と父娘の繋がりを得られて良かったと、そう思う以外に思い浮かばない。
ソローネは父の言葉を反芻しながら、三人を振り返る。
「行くよ。……みんなが待ってる」
闇は深くなる。
それでも歩みを止めないで、父の残した道標を頼り、ソローネは先を往くことにした。