飲酒と誕生日
千束が諦めていたことはたくさんあった。友達と買い物だとか彼氏とデートだとか海外旅行だとか、リコリスじゃなければ簡単に叶えられたこともたくさんあって、けれど千束はリコリスじゃなければ吉松とも先生とも出会えず、心臓の病に蝕まれてそのまま死んでいたのだろうとも思う。
だから、生きている今は、限りある命を大切に使おうと思ったし、人を助けるために使おうと思ったのだ。
思った、のに。
「いや、ふっざけんなよ……」
「ふざけてねえよ」
「はあ〜? これがふざけてないって?」
思わず口からついて出た悪態に真島はへらりと笑ってみせる。
「なんであんたがここにいんのよ」
「なんでだろうな」
「……てか、生きてたんだ?」
「まあな」
(ああ、やだやだ)
会話を重ねるより銃を放ったほうがいいと分かっているのに、つい口が滑っていく。殺してなくてよかった、とか。ぴんぴんしてんじゃん、とか。
なんで私がワイハにいるなんて知ってるの、とか。
千束が緊張感に思考を委ねていると、真島がズボンのボケットから何かを取り出す。警戒して銃を構え直したところで、
「誕生日なんだろ?」
差し出されたのは缶チューハイだった。
「……私、まだ未成年なんですけど」
「日付変わってるぞ」
「嘘! はあ〜っ、最悪……」
折角十八歳になったというのに、最初に顔を合わせるのがこいつだなんて。それに今日はたきなが私のために誕生日パーティを開いてくれるっていうのに、なんでこんな真夜中まで仕事をしてるんだろう。
脳内を駆け巡った言葉はたくさんあって、それら一切を大きなため息に逃がす。
「あーまあいいや。どのみちハワイじゃ二十一歳まで飲めないし」
「……あ? そういやそうだったな」
「あんたが飲むんかい!」
カシュ、とプルタブを開けて真島はぐびぐびと酒を飲む。千束に対する見せつけなのか、なんなのか。彼の行動理由が分からなくて思わず顔をしかめた。というか、かつて銃を向けあった相手に誕生日を祝われるなんて複雑すぎる。
「もう、なんなの。用がないなら帰んなさいよ──ッ!」
急に、真島が動いた。
撃てば以前よりは機敏に避けられ、散弾銃が放たれる。
廃工場でよかった。ドラム缶を盾に銃弾を避け、仄明るく照らしていた蛍光灯の落ちる音を聞く。視界が暗くなる。サイレンサーを取り付けて、懐中電灯を片手に忍ばせる。
暗がりでは相手が有利なことくらい覚えている。息を殺して、勘と予測で位置を定める。
「──遅えよ」
「っ、ん!」
銃を撃った瞬間、顎を掴まれた。口の中に何かが入ってきて、咄嗟に突き飛ばす。が、相手は大の男であるし、口に突っ込まれたのはどうやら指だ。
噛んでしまえば離すだろうと瞬時に判断、くあ、と勢いよく口を開けたところで壁に押さえつけられる。
「は──」
ぬらりと舌を這いずったのは指じゃなかった。生ぬるい、水気を帯びた何か。
(いや、これってもしかしなくて舌──)
自分とは異なる吐息にぞっと背筋を悪寒が走り、腰に回された腕に気付いて押し返す。
「っは、ちょい、待っ……!」
一瞬のようで、長い時間だった。
一口だけ流し込まれた液体を吐き捨てて、口から垂れた雫を拭う。甘ったるいジュースみたいな味なのに、つんとくるこの感じ。
「無理やり飲ませるなんて最低じゃん!」
「ハッピーバースデー、千束」
「どうもありがと!」
礼代わりに銃を撃つ。当たった感触も足音もなく人の気配だけがなくなって、代わりにたきなの足音がかすかに聞こえた。ばん、と勢いよく扉が開かれ、覚えのある声が響く。
「千束!」
「あー、たきな。大丈夫大丈夫、もう終わったから……」
見られてなかっただろうか。なんて考えた瞬間、あれはキスだったと気付いてじわじわと顔が熱くなっていく。片手で顔を隠したものの、たきなの足音は止まらない。流石に怪しまれると顔を上げ──
「誕生日、おめでとうございます!」
抱きしめられて、叫ぶようにそう言われて、これは照れてる場合じゃないなと笑って抱き返した。