2日目

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目覚めると見慣れぬ天井がそこにあった。木目調の天井は自室とも異なり、ゆっくりとこれまでの経緯を振り返る。衣擦れの音がした。見れば、隣のベッドでテリオンが寝ている。彼はそう早起きなわけでもないはず。ぼんやりと寝姿を見つめ、ややあって、視界から外した。
壁に掛けていたローブに手を伸ばし、雫が滴り落ちないことを確認する。
窓の外は明るい。まだ湿っているローブも、晴れの中歩いていればいずれ乾く。
(出発は今日の昼……。それまでに消耗品の調達をしておきたいな)
書き置きをしたいところだが、生憎と手元に古紙はない。宿の主人に言付け、サイラスは宿を後にした。
ブドウ、オリーブ、いくらかの干し肉に水。町の端にある井戸から水を汲み上げ、革袋に注ぐ。
水を移し終える頃には鞄はすっかり膨らんで、大の大人ながら立ち上がると足許がふらついた。
「ここに居たのか」
「テリオン。おはよう」
「そんな時間でもないだろ」
「じゃあ、おそよう、だ」
トレサやアーフェンがよく冗談で使うのを見てきた。一度は使ってみたかったのだと口にすると、鼻で笑われた。それでも、おはよう、と返してくれるあたりテリオンは人が好い。
「調達はあんたに任せきりだったな。他にはあるか?」
「思いつく限りではこれでおしまいだ。どうだろう、キミも持つかい? 少々機動力が落ちるかもしれないが……」
「重いんだな」
そう言ってサイラスの鞄の中から二つほど取り出し、一方を開けて飲む。
「それは移動中の水分だよ」
「……俺の方も準備は終えた。宿も鍵は返した」
テリオンは革袋から口を離し、こちらを振り返った。
「あとはあんたの心の準備だけだと思うが、どうだ? 学者先生」
「つまり、キミは迎えに来てくれたのだね」
言い方はどこか意地悪いが、事実はそうだ。
サイラスが構わず隣に並ぶと、彼は面食らったように口を噤んで、それから外方を向いた。


町の中では言い合えた軽口も、森道に入ると少なくなる。ブラックホウルの鳴き声に警戒し、森のラットキンの足跡から群れとの遭遇を避け、学者の知識で以て魔物避けの防御壁を張る。
前は八人で通った道だ。二人となると手数は減り、経験だけではカバーできない場面も出てくる。
「……! 逃げるぞ!」
サイラスの大火炎を抜け、しぶとく迫るラットキンの首を斬り、振り向きざまにテリオンが叫んだ。彼の顔や衣服には血がべとりと付着し、返り血だと分かっていてもゾッとするものがある。
「サイラス!」
魔導書を抱え、テリオンに引かれるままに走り出す。彼が撤退を唱えるということは、それだけの危険が差し迫っていたということだか、後方にいたサイラスにはその要因が見えなかった。
「何か理由が?」
「見ればわかる」
バキバキと背後に迫る枝木の音に、相手を察する。うごめく樹木が蔓を飛ばし、サイラスが走った跡を鞭打った。
「! 林全体が魔物の巣か」
植物であるから燃やせば済むが、ラットキンの斧を避けながらの詠唱はなかなかに難しい。加えて、この辺りにはフタゴヘビの通った跡もある。いつ、どこから乱入されたか分かったものでもなかった。
幸い、ダスクバロウへの道は塞がれてはいなかった。後退し、分かれ道のもう一方を進むと魔物たちも諦め去っていく。
霧が出てきた。ヴィクターホロウは比較的平地な場にあるが、ダスクバロウは幾重もの遺跡の上に立地するため、標高がある。景色が見えるうちに野営向きの平地を探し、日が落ちる前にどうにか火をおこすことができた。
水筒を捻り、水を垂らす。砂や埃、血の塊がそれによって洗い流されていく。ある程度髪を絞ったところでテリオンは首を振って水気を飛ばした。頬に飛んだ一滴を裾で拭い、サイラスは水筒に口を付ける。
「汚れは取れたかい?」
「ああ。おそらく……」
「切れているようだね」
彼の掌に、ぱた、と新たな赤い血が落ちた。前髪をかき上げるので応えて見てやれば、額の端に一筋の切り傷がある。
「道理で」
手のひらで擦って止血しようとするので、その手を掴んで止める。
「痛みがあるなら言ってくれなくては。アーフェンくんやオフィーリアくんからも散々言われてきただろう」
「言う暇がなかっただけだ」
彼の言い分も最もであったのでそれ以上の小言は控える。サイラス自身にもいくつか負傷があり、聖火神の加護を得て傷を癒やす。
焚火を前に二人座り、これまでの道のりを振り返りながら地図を確認する。明日の午前中には辿り着けるだろうと頷き合って、鞄の中から食料を取り出した。
男二人であるし、大食漢なわけでもない。静かに食事を終えると、あとは焚き火番の順番だけを決めてくつろぐことにした。