4日目
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昨晩のうちに準備を整え、翌朝、早くからサイラスはテリオンを連れて遺跡に入った。
この場所に魔物は少ない。人肉を食らうコウモリこそ生息するものの、あとはすべて古代兵器により焼却されるためだ。
以前ルシアを追ってここに足を踏み入れたときは、魔導兵や魔導飛器が多く動いていた。今ではそのどれもが破片や動かぬ人形となり、しんと静まり返っている。サイラスの黒靴は、よく音が響いた。それはテリオンの足音が紛れてしまうほどで、彼が自ら話してくれなければサイラスの方から何度も確認することになっただろう。そこに居るだろうかと。
瓦礫が崩れ、パラパラと乾いた音が暗闇に吸い込まれる。
「……崩れているな」
「そのようだ。この付近は危ないな」
大階段を前に、引き返す。
遺跡の最奥へ向かう道は一つだが、遺跡内部は広く、地下へ向かう階段はいくつかある。そのうちの一つを調べていたわけだが、既に老朽化が進んでいる。もとより遺跡探索のために来たわけではないので、その道は諦め、近くの小部屋に入る。
朽ちた椅子、薄汚れた酒瓶、捨て置かれた書物。以前来たときと状態が変わりなければ、すべての小部屋に本棚があり、そのどれもに書物が収まっている。サイラスはこれら書物も含めて、アトラスダムへ送るためにここへやってきたのだった。
床に落ちていた一冊を拾う。革張りの表紙は湿気で柔らかく折れ曲がりカビが生えていた。木々の隙間、あるいは崩れた天井から光が射し込むものの、雨水が溜まりやすく湿度が高くなりやすいのだ。
同じくテリオンが摘むように書物を拾い上げ、落ちた虫に驚く。これらを本棚に戻しては虫に食われてしまうため、仕方なく、日陰まで持ち出した。
「うむ、どうしようか。手分けして運んでもいいが」考えの一つを呟けば、一瞬、テリオンがとても嫌そうな顔をした。「それには人手が必要だ。まずは今回持ち帰る書物の分類を決めるとしよう」
「そうしてくれ」
言い直すと分かりやすく息をつく。彼も随分と丸くなったものだ。
「では、テリオン。悪いが私がこれから取り出す書物を持ってもらえないか」
まあ、そうでなければ、ここまでついては来なかっただろう。サイラスは早速、彼に肉体労働を任せて自分は書物の確認を始めた。
──ルシアがこの場所を選んだのは、どういった理由からだったのだろう。
アトラスダムの王立図書館から持ち出された禁書や閉架書庫の書物の他に、聖火教会、フラットランドの他都市部の図書館など、書物には様々管理用の蔵書印が記されていた。中にはウッドランドの領主やクリフランドやリバーランドの諸国のものもあり、間違いなくオルステラのあらゆる場所から持ち出しているとわかる。返却にはそれなりの時間がかかりそうだが、そこはそれ、まずは書物を適切な管理下に戻すことが先決だ。
辺獄の書に始まり、この遺跡に持ち込まれたものはおおよそ現代社会の信仰や常識に反するものが多い。黒呪教なるガルデラ神信仰の聖書もあれば、各国の王家に関わる記録もある。興味深いのはホルンブルグ王国のものと思しき書物で、古語と現代語が入り混じっていた。地下の本棚にはこれより古い書物を置いていて、小部屋には比較的最近のものを並べているのかもしれない。
「サイラス。おい」
肩を強く掴まれ、無理矢理書物から顔を引き剥がされる。表情こそ変わらないが、呆れた声音でテリオンが言うことには。
「休め。もう昼だ」
「先に休んでくれて構わないよ。私はこの段の書物を見てから休もうと思う」
「……分かった、言い直す。俺は休んだ、次はあんたの番だ」
「あ」
手元の書物は取り上げられ、代わりに酒場で購入した軽食を渡される。この日は焼き立てのパンに肉、チーズを挟んだサンドイッチを持ってきていた。
「まだ途中だったのに」
「あんたに任せたままだと、俺が食いっぱぐれる」
「食べたのでは?」
「休んだだけだ」
「では、一緒に食べようか」
薪になりそうな木は少ないが、生憎とここにはよく燃えそうな雑草が多く生えていた。適当に山積みし、火を灯す。携帯していた小さなカップに飲み物を入れ、サンドイッチを、二人、頬張る。
「……あんたは何の学者なんだ?」
半分ほどまで食べたところで、テリオンが問うた。
「ノーブルコートの奴らを見る限りじゃ、学者はなにかしら分野に特化するもんなんだろう。だが、あんたの調べ物はそれとは違うようにみえる」
「その見解は間違っていない」喉を潤し、答える。「私は分野を問わず、過去を紐解いているのだからね。……説明すると、私は魔法学と呼びうる分野を専門としている。この学問は学者を志すものに火、氷、雷を喚び起こす技術をもたらすが、実のところ、謎の多い分野なんだ」
「そうなのか」
「うん。例えば、キミは普段使う炎がなぜ手のひらに発生させられるのか考えたことは?」
「……」
この場合の無言は、納得と同義だ。サイラスは燃え尽きようとしている火に枯れ葉を追加し、ほんの少しだけ、焚火を延命させた。
「そういうことだ。過去から当たり前のように使われてきたこれらの技術を、なぜ私たちは扱えるのか。なぜ似たような形でありながら、異なる発声、詠唱で喚び起こすことができるのか。付け足して言えば、なぜこの力で術者自身は燃えないのか。
こういった疑問は、何も私だけが持っているわけではない。昔から、およそ学者と呼ばれる職業が成り立つ前から、この謎に取り組もうとした者はいた。明らかであるのは、古い時代に生きた人の方が、より高度な魔術を使用していたということだ」
ローブについた汚れや埃を払い落とし、瓦礫の上に座るテリオンへ視線を戻す。
「なぜ魔術が廃れたのか、その理由や経緯は明らかではない。辺獄の書も、この遺跡や地下の壁画も似たようなものだ。記された知識が野ざらしに置かれていては危ういために、過去の人々はこれを隠した。だが、それが明らかになったとき、後世の人間が困らぬようヒントも残した。そう考えると書物の読み方も変わってくる」
「……もういい」
肩を押さえ、首まわりの筋肉を解しながら彼は言う。
「なら、あんたの評判はどこからくるもんなんだ?」
「評判?」
「天才学者と誉れ高いんだろう?」
「……ああ」
このとき、分かりやすくサイラスは苦笑した。
「知識とは灯火のようなものだ。知れば知るほど、知らないことが暗闇のように浮かび上がる。私は一つ一つ灯火をつけて回っているだけなのだが……その行為を続けることを、そう呼ばれているらしい。あるいは、先程の話の返答として言われることもある」
肩を竦めたとき、ちょうど、炎が燃え尽きた。
苦い思い出だ。今のテリオンのように問いかけられ、答えたとき、たいてい先頭に、よくわからないけど、と付けて、あなたは天才なのだ、と言われることが多かった。その都度それを否定し、分からないのならば説明をするよと申し出、伝えるよう心がけんとするものの、大抵はその時点で忌避される。
天才などという評判には物申したいが、しかし、その評価によって多くの者がサイラスに話しかけてくることもまた事実だ。この謎を明らかにするには、どうしても人手がいる。
評判からでもいい。研究分野に興味を持ち、同志が増えるのなら。そうであるならば、サイラスに対する誤解など、いくらでも甘んじて受けようと思う。
(とは、流石に言わないでおこう)
荷物を片付け、腰を上げる。
「……さあ、続きと行こう。地下へ向かおうか」
「嫌そうだな」
「ん?」
「俺は、天才だと言われても悪い気はしない」
テリオンもまた少しの荷物を上衣の下にしまい込んで、通路へ向かう。扉の枠に片手を置いて、肩越しにサイラスを見た。
「その分、盗み甲斐のある屋敷が増えるだけだ」
盗賊らしい考えであるのに、それが彼の優しさのように思われて、思わず口元が緩んだ。
苦い思いが溶解して、あたたかな感情に変わる。
「キミらしい考えだね。テリオン」
その声は、存外柔らかく響いた。