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あたまのなかのひきだし
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もりえつりんご
2025/11/3 22:51
#余談
張り合いたくないなあ、負けず嫌いって嫌だなあ、とたまに思うので。
記録
創作の根底に何があると思いますか?
これは人によると思います。私と私の親しい範囲の人は「怒り/悲しみ」「疑念、疑問」「自分のための解を得るため」にまとめることができるのかなあ、と思います。
創作において、負けず嫌いとか、張り合いとか、なんで発生するんでしょう。なぜ闘争本能をそこに感じてしまうんでしょう。承認欲求という言葉がありますが、果たしてそれだけなのでしょうか。
我々人類というのは、生物学的には集団にならないと生きられない貧弱な生物です。そのくせ多くのことを考えられる脳を持っているので、脳に言い聞かせたり考えさせたり覚えさせたりすることで、日々を楽しく苦しくなんとか、集団として生きながらえることができるように生きています。(※諸説あります)
貧弱個体同士で争って何になるのか。これはもしかすると運動会とかも該当するのでしょうか。なぜ順位をつけるのでしょうか。数字の概念を生み出したからなのか、それともその概念が発生する前からなのか……辿れば話が出てきそうなので詳しくは調べるとして、今一度冷静になるために自分に問おうと思いました。
張り合うことで、負けず嫌いを発することでできることは、特定の人物に対して自分の存在を示せること、なのかなあ、と私は思います。
人に認められ、疎外感を覚えていなければ、あるいは人を認め、他と違う自分を許容できているならば、あまり感じないものなのかもしれません。
一人じゃないということ。これは人類にとって生命線のようなものと私は認識していますが、もしかするとこれに触れるものなのかもしれません。
張り合いたい誰かがいる。負けたくない誰かがいる。誰かを認識することそのものに苦痛がともなうことだってあるはずなのに、それでも、無視されていたとしても向き合いたくなる。
もしかすると、見えない敵の枠を誰かに当てはめてるだけかもしれません。そうでもしないと人って狂いますのでね。
それに、創作は、誰かとの出会いやほかのインプットなしに続けられないことなんですよね。
考え直すと、感情が揺れることも大事だし、怒りや悲しみを覚えていることも大事だし、あまり悲観せずに、感情のまま突き動かされないようにだけ気を付けていけば、いいのかもしれないですね。
などと思いながら、怒りや悲しみを感じるのではと予期できる作品になかなか触れられないので、ただの負け犬の遠吠えなのかもしれない。
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創作の根底に何があると思いますか?
これは人によると思います。私と私の親しい範囲の人は「怒り/悲しみ」「疑念、疑問」「自分のための解を得るため」にまとめることができるのかなあ、と思います。
創作において、負けず嫌いとか、張り合いとか、なんで発生するんでしょう。なぜ闘争本能をそこに感じてしまうんでしょう。承認欲求という言葉がありますが、果たしてそれだけなのでしょうか。
我々人類というのは、生物学的には集団にならないと生きられない貧弱な生物です。そのくせ多くのことを考えられる脳を持っているので、脳に言い聞かせたり考えさせたり覚えさせたりすることで、日々を楽しく苦しくなんとか、集団として生きながらえることができるように生きています。(※諸説あります)
貧弱個体同士で争って何になるのか。これはもしかすると運動会とかも該当するのでしょうか。なぜ順位をつけるのでしょうか。数字の概念を生み出したからなのか、それともその概念が発生する前からなのか……辿れば話が出てきそうなので詳しくは調べるとして、今一度冷静になるために自分に問おうと思いました。
張り合うことで、負けず嫌いを発することでできることは、特定の人物に対して自分の存在を示せること、なのかなあ、と私は思います。
人に認められ、疎外感を覚えていなければ、あるいは人を認め、他と違う自分を許容できているならば、あまり感じないものなのかもしれません。
一人じゃないということ。これは人類にとって生命線のようなものと私は認識していますが、もしかするとこれに触れるものなのかもしれません。
張り合いたい誰かがいる。負けたくない誰かがいる。誰かを認識することそのものに苦痛がともなうことだってあるはずなのに、それでも、無視されていたとしても向き合いたくなる。
もしかすると、見えない敵の枠を誰かに当てはめてるだけかもしれません。そうでもしないと人って狂いますのでね。
それに、創作は、誰かとの出会いやほかのインプットなしに続けられないことなんですよね。
考え直すと、感情が揺れることも大事だし、怒りや悲しみを覚えていることも大事だし、あまり悲観せずに、感情のまま突き動かされないようにだけ気を付けていけば、いいのかもしれないですね。
などと思いながら、怒りや悲しみを感じるのではと予期できる作品になかなか触れられないので、ただの負け犬の遠吠えなのかもしれない。
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